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2006年9月1日金曜日   PM9時58分投稿 

今年の勤務実績

 今日は久しぶりに朝から夕方まで1日中雨降り。結構降っており、お昼ごはん時も傘を指してても、結構足元が濡れるほど。
 昨日は夜遅くまで飲んだので、酔いも影響し、若干眠い。今日から9月。会社から今年の実績と来年の目標について資料を纏めるよう指示があった。派遣の1年契約社員なので毎年、実績と目標をエビデンス(資料)を添えて提出しなければ来年の契約は無い。勿論提出しても契約保証は無いのだが、宝くじと同じで、出さないと来年の契約はしてもらえない。今年はまだ2/3が終わったばかりで、提出期限は11月初旬で十分時間があるが、本年の実績だけは早い目にまとめておき、来年の目標については1月ぐらいかけて、関係部門と相談してゆく予定。Dachs飼主の予測では、去年は電話応対ガイドライン、今年はモニタリング、来年は渉外がキーワードとなりそうなので、来年に向けて準備を進めてゆく。

寄り合い酒もたまには良いですね

 昨日の飲み会では、コミュニケータの人と一緒にご苦労さん会に参加。仕事中は私語やプライベートな話は出来ないが、午後6時から10時半頃までたくさんの人たちとくだらない話ばかりして楽しかった。仕事の話は極力しないように努力していたが、経験2年目の某女性から「私の気持の持ち方でお客様の昂ぶった感情がかなり抑えられることが去年はできませんでしたが、今年はできました」と言われたときには「教育やアドバイスをやってて良かった」と思った。この方はスポーツ選手(スノーボードクロスという競技)で、去年も夏に応援にきて頂いた方。ジムの話や旅行の話しなど、乾き物と缶ビール・酎ハイ、ピザ・寿司の簡単なパーティでもとっても面白かった。日頃ゆっくり話せない年代や性のちがう人のお話を聞いてるのは新鮮だ。

2006年9月2日土曜日   PM3時17分投稿 

芝刈り

 昨夜は結構涼しく快眠できた。気持ちが良いので、やり残していた庭の芝刈りを10時頃から開始。しかし、芝刈り機が少し刈るとすぐヒューズが飛んでしまう。今年の春先に芝を焼いたときにもイライラしたが刃がさび付いて、芝が刃と筐体の間にすぐに絡みつき、負荷のかかったモーターが熱を持ちヒューズが飛んでしまう。

新しい機器は前と殆ど変わらない 3時間の結果が・・・ 何とか来春まで持つか?

 仕方がないので、替え刃がないかとホームセンターに行ったら、本体メーカーは既に倒産しているとのこと。しようがないので、新しいメーカーの製品をやむなく購入。良く似た形なので、店員に聞いてみたら、この会社(タナカ工業)が前メーカー(アシュレィ)を引き継いだとのこと。殆ど使い勝手が替わらないので、なれたこの商品(MyGreen250)を購入することにした。半年の間に芝が随分伸びきっており、最初は刈高4センチで刈り、その後刈高2センチの2度刈りをした。結局午前11時から午後2時半までの3時間強の重労働。タンクトップ2枚洗濯、ペットボトル1本、缶ビール1本の散財。

2006年9月3日日曜日   PM3時49分投稿 

総裁選スタートで感じること

9月のカレンダー もはや、9月も3日、風も陽射しも一時に比べると相当柔らかになってきた。今月のカレンダーを作ってなかったので朝から急造。カレンダーを作るときはいつも身近な写真を取り入れるのだが、どうしても対象写真が先月の写真になってしまうのは仕方がなし。 気持ちが良かったので昨日に引き続きジムへ行って来た。日曜日とあって、ジムもショッピングセンターも人が多く、駐車場も屋上まで行かないと無かったほど。

 一昨日9/1に安倍晋三官房長官が20日に実施される自民党総裁選に立候補を表明した。昨日土曜日から今日日曜日にかけて報道番組中心に識者がさまざまな解説をしているが、総じて『彼はタカ派であるが、本心を吐露せず、相手の顔色を伺いながらこそこそと流れに沿って生きてゆく』というように論評されている。「日本を美しい国に」、「憲法創案」などお題目は大きいが、現首相(小泉純一郎)のように、威圧的に迅速に行うほうではないので、政治の進み方はスローモードになる。戦後ッ子(昭和29年産まれ)であるにもかかわらず、祖父母父母の伝統を守り、靖国参拝も実行する。
 美しい国や憲法や外交もいい加減にはできないが、普通の国民が納得できる福祉や教育を懸命にやらないと「所得格差が拡がる」「子供若者に未来がない」世界になってしまわないかととても心配である。先日、私と同年代と友人と話をしたが「団塊の世代の人間は親の所得を超えようと親子で努力してきたが、今の若者・子供は親の暮らしは到底出来ないと諦めきっており、親も子供と相当距離を隔てている。多くの人がニート・フリーター・年収200万円・親殺しなどに奔っている」との愚痴で落ち着いた。
 我が社でも若い人は、何か不満があると転職を畏れず辞めてゆく人が多い。技術職に限らず、仕事のノウハウは最低1,2年経験しないと基本レベルが身に付かないが、3,4年くらいで辞めてしまう人は本当に会社としてはもったいない。会社も若者を大事にしないことも大問題であるが、先輩リーダークラスの後輩に接する態度や仲間意識も昔とだいぶ様変わりしてきたように感じる。職種が違うが、Dachs飼主の新入社員時代は先輩が飲みに連れてってくれたり、マージャンや水泳登山に行こうと誘ってくれたり、公私にわたりいろいろ気遣いをして貰ったが、今は多分、履き違えた個人主義(人は人、自分は自分)で会社とプライベートは一緒にしない。
 新首相になって、さらに所得格差は広がり、テロ・犯罪は増えるような気がしてならない。彼の言う「美しい国、日本」がどんなものになるか、来年の参議院選までを一区切りとしてみてみようと思う。

2006年9月4日月曜日   PM10時22分投稿 

おかねいろいろ

BS001437.gif 今朝通勤時、久しぶりに携帯と財布を忘れた。電車に乗る前に気付いたのだが、態々駅まで持ってきてもらうことはしなかった。財布は札入れと小銭入れ含め、ジムに行く際、携帯と一緒にジムバッグの中に小バッグを入れている。お金は万一の場合を想定し、定期入れに1万円札のみ四つ折りにし入れておいたので、何とかなる。今日は、お昼ご飯の際、ピッタリの料金の物を頼み、その他一切おかねを使わないことに決めた。会社の机の中にも500円硬貨専用のミニ貯金箱(千両箱)を隠しており、イザとなればそこに出し入れもできる。2千円札は使い勝手が悪いのか、Dachs飼主の手には5,6回しか握らせてもらえなかった。沖縄にはたくさんあるらしいが、こんなに永い間にわたって、人気の無い札も珍しい。Dachs飼主自身は別に違和感や嫌悪感が無いのだが、相当毛嫌いする人も多いらしい。(沖縄に偏しているからか?)あの2000円札に印刷されている守禮之門は日本3大がっかり名所(?)に上げられているらしい。今年札幌雪まつりに行ったとき、バスガイドの人に教えられたのだが、ほかの2箇所は札幌の時計台と土佐のはりまや橋。いずれも行ってみると大したことなく、がっかりして還るという。2000円札もその守禮之門に呪われたのだろうか。かたや500円硬貨はどこでも良く使われるのだが、中年のおじさんには財布に閉める体積が大きく、若干重いので、タンス貯金の楽しみもあり、机の引き出しに隠し持つ100円ショップで購入の千両箱にツイツイ機械的に放り込んでしまう。550円の定食を食べても、1050円出して、500円硬貨を貰い、貯金するほどの熱の入れよう。貯金箱を一杯にするには150回程度かかる割には7万円程しか貯まらない。でもささやかな愉しみです。
 

2006年9月5日火曜日   PM8時49分投稿 

トレーニングやレッスン

利き足に力を貯める
 テニスで5月に肘が痛んで以来、4ヶ月にもなろうというのに、もう一息のところで、直っていない。レッスンに行っても、ボレー練習で強いリターンやバックボレーでは左肘に衝撃が残る。サーブもスマッシュも4ヶ月以上力をかなりセーブしてリアクションしているので、ゲームやレッスン自体があまり面白くない。テニス肘になった時に仲間に聞いたら「半年ぐらいは治らないよ」と言われ、「そんなこと無いでしょ」と信じなかったが、この状態でははやく11月になって欲しいという気持でいっぱいである。こういうときには基本に立ち返って苦手なショットを忠実にすべきだが、左肘が気になってあと一歩のところでおじけづく。しかし、肘が悪コンディションになって、ストロークの際、ボールに力を与えるため、打つときに利き足に力をこめる練習をいつもしてそれなりの効果がでてきたのは少し嬉しい。手首を骨折した松井選手も、あの病気のせいで打撃に力が出てきたと言って貰いたいだろうなぁ。
 この状態はジムでも同じ。筋トレ機器では、脚力は50~100Kg近くの負荷に耐えられるのに、腕のほうはせいぜい20~30Kg程度の負荷を前後上下左右に10回3セット行なう程度で抑えている。ジムがオープンした時からテニス肘なので、直ったらもう少し負荷を上げられるかと期待している。ジムも4ヶ月を過ぎ、物珍しさも手伝って約70回強、足を運べた。水泳は苦手なので未だプールへは一回も足を運んでないが、現在のトレーニングは(筋肉トレーニング機器 20分)ー(エアロバイクトレーニング 40分)ー(スタジオプログラム 30分)ー(お風呂他 30分)の2時間コース。会社から帰宅して食事をしてから行くが、汗をいっぱいかいてエネルギーを使うので、帰ってからの発泡酒がビールのように美味い。サントリープレミアム缶ビール500mlを昨日飲んだが、とっても苦かった。毎日高級ビールは飽きるのでたまに飲めば良いかもしれない。

2006年9月6日水曜日   PM10時03分投稿 

MIXI上場

 MIXIが来週上場するという。広告関係が主であろうが、5億円以上の経常利益をあげて、9/14にマザーズ上場が決定したらしい。1株*百万円以上もするとのこと。
 Dachs飼主も7月上旬に友達より紹介を受けたので早速「色々考える前に 畏れずなんでもやる」性格から即入会した。半信半疑で入会したが、趣味や郷土、会社、興味ある話題で結構面白く利用させて貰っている。MIXIは今はやりのSNSで、念の為、「KINUGASA」というのと、「YAHOO DAYS」というSNSにも登録だけしている。MIXIは会員が先日500万人を越えたという。我が街千葉ニュータウンは勿論印西市というキーワードでも180人以上のかたがたが地域の話題をそこそこ提供してくれている。今燃えているasahiスポーツジムや、テニス、旅行、顧客対応の話題も盛り上がっており、来週行くペルー旅行の事前知識取得にも少しは役に立っている。ペルー旅行のガイドブックが書店に全く無いので心配していたところだった。
 またSNSでは、会員全員が運営主にプロフィールを披露しているので、無責任な発言も無く、安心して会話が活性化するので良い。

2006年9月7日木曜日   PM10時29分投稿 

遠慮無し

 先月初めから管理職変更に伴う窓際席不足のため、Dachs飼主は普通のシマに座席を変更した。1部屋に100人以上が席を寄せ合って電話対応業務に勤しんでいる。コミュニケーター一人あたりの占有スペースがもっと広くなれば仕事もし易いのだろうが、当初予想より激増する顧客数に現勤務ビルが対応できないし、契約年限のこともあるのだろう。来年か再来年までには、勤務地を移転しないと顧客に迷惑をかけることになる。社員の意見では六本木や秋葉原の話が出ているが、派遣勤務のベテラン女性スタッフが多いので、大田区かせいぜい品川区・川崎駅周辺に移転しないと移転後のスムーズな運営は実質無理。
人が通るときは椅子を退きなさいよ、邪魔でしょ 席を移動して少し気懸かりなことがある。私たちの若い頃は(こういう言い方をするのが歳をとった証拠です・・・)席の後が狭い時は身体を細くして通ったり、万一座席の背もたれにあたったりすると「申しわけありません」とすぐ声がかかったように覚えている。そう言われれば「大丈夫です・気にしなくていいよ」や「私こそ」と気持ちよく返事ができたものだ。丁寧な人は後を通る際には「うしろを失礼します」などの言葉もあった。 ところが今の若いひとは背もたれにあたっても平気で通り過ぎてゆく。狭いのだからもっと前に詰めて座りなさいよ、邪魔でしょ、と言われてるのではないかとこちらがドキドキしてしまう。相手の気持や反応をあまり配慮せず、触れ合うコミュニケーションがメールだけになっているからでしょうか? アフター5もそれぞれが会社仲間を誘わずにわが道をスタスタと通り過ぎていく人が多いように感じる。電車の中で化粧をしたり、傍若無人な学生も同類項か。

2006年9月8日金曜日   PM10時50分投稿 

ペルーへの往復で丸2日

旅行に持ってゆく機器の準備がこれから大変(楽しみ)です 来週の木曜からのペルー旅行の日程表が本日、届いた。7月に申し込んで随分先だなぁと思っていたが、いよいよあと1週間を切ってしまった。14日(木)午後13:55成田発コンチネンタル航空で米国ヒューストンまで行く。到着時間は日付変更線を通るので1日戻って同日13:55着。日本時間で言うと15日の03:55にあたる。2時間ほど乗り継ぎ待機時間があり、16:05ヒューストン発で同日22:37にペルーのリマに到着する。飛行機の中で何度も寝てるので、リマのホテルではひょっとしたら寝苦しいと思う。真の旅行期間は翌15日から20日午後23:55リマ発の帰り便ヒューストン行きまでまる6日間のみとなる。ペルー直行の便があればあと半日くらい短縮できるのだろうが、実質6泊9日間の旅である。片道飛行機に乗っている時間は18時間を越える。乗り継ぎを含めると片道で丸1日、往復時間だけで2日を費やす遠距離旅行。帰りは20日23:55リマ発でヒューストンに21日06:27着、乗り継ぎでヒューストン10:50発(日本時間22日00:50)に搭乗し、成田への帰着が22日14:20着になる。
 そうは言っても、若い頃から行ってみたいと憧れていた土地なので、短い丸6日間の旅をとことんENJOYしてきたいものだ。日程表を貰うと直前の気配が伝わってくるので、旅行で持ってゆく予定のカメラやパソコンバッテリー一式をどういう風にバッグに詰めるかを具体的に考え始める。明日は近所の鉄道会社主催の『ありのみウォーク12Km』に朝から参加するが、日曜日は持って行く機器の調整や充電、使用プラグコンセント・ケーブルの準備などで忙しい筈。

2006年9月9日土曜日   PM8時00分投稿 

ありのみウォーク

鎌ヶ谷の豊水種の梨 昨年9月25日に予定されていた北総/新京成/東武/京成の4私鉄が合同で主催するウォークが嵐で中止になった。それが今年鎌ヶ谷周辺散策『ありのみウォーク』して蘇る。4社合同といっても、京成だけは直通電車は走っているが、この周辺には駅や沿線はない。行程は新鎌ヶ谷駅ー大町植物園ー日本ハムファイターズ球場ー鎌ヶ谷市民の森ー貝柄山公園ー新鎌ヶ谷駅に至る12Kmのコース。鎌ヶ谷の緑の里山を見ながら約3時間。
 季節的に梨の実がたわわに実っており、ウォークのシンボルになっている。時期的に幸水梨はほぼ終了で、今は豊水種の梨が最盛期。梨が「無し」につながると縁起が悪いので梨の実は『ありのみ』と縁起を担いで言うらしい。梨農家の人は不作になるとイヤなので「今年のありのみは甘いかねぇ?」と謂うそうだ(ホンマカイナ?)。
 本日はぞろ目の9月9日(土)。日和は秋曇り。時たま陽は射すが、雲が多い天気だ。しかし湿気も多く、半ズボンと半袖服装にも拘わらず、少し歩くと手足から汗がにじんでくる。最寄り駅から5つ目の駅、新鎌ヶ谷には午前8時50分に到着し、駅近隣の写真を撮った後、ちょうど午前9時に出発。まず新京成線の線路に沿って最初に向ったのは同鉄道の車両基地。たくさんの電車の倉庫となっていた。既にこのあたりから汗が出始め、タオル生地のハンカチ(と言うか、ハンカチのタオル)を襟に掛けて黙々と前進。来週の高地旅行に備えて、少し早足で進む。
 車両基地から鎌ヶ谷カントリークラブの緑地に沿って北総鉄道の大町駅に向う。ここから大町の植物園の湿地に咲く雑草雑花を久しぶりに愉しんだ。大町植物園を出ると次の日本ハムファイターズ球場、市民の森、貝柄山公園への道は農道で両側は野菜畑と延々の梨畑。
 日本ハムファイターズの球場で練習している選手は2軍で、試合は「イースタン」。成績表を見てみると現在楽天にも遅れを取って、みじめな最下位。地元も応援しているので頑張って欲しい。野球場へ見に来たことはなかったので、告知されている無いようにいろいろと興味をそそられた。
 鎌ヶ谷市民の森や貝柄山公園を見て廻ったが、緑の規模はそれほどでもなくガッカリした。多分、農地の緑の雄大さに市の森や公園が負けているのだろう。鎌ヶ谷のマンホールはアルファベットのみだったのも初めて知った。
 ゴールまで12キロメートルであったが、あまり寄り道をしなかったせいで、11時半には到着してしまった。駅下名物のラーメン屋「らーぷ」で夏辛豚骨麺を食べた。トマト色の麺がスープに良くあって旨かった。汗をかいたので、ジムへ寄り、サウナでさらに汗を出して、着替えて颯爽とした。ジムへ行きだしてこの日が始めてのウォークだった。この爽快さが忘れられないので、多分今後も帰りは「ジムで汗流し」が癖になるやもしれない。写真を52枚撮ったので、早速、ウォークの記録をサイトアップしておいた。

2006年9月10日日曜日   PM4時19分投稿 

旅行準備

昨日買ってきたDVDブック 昨日ジムからの帰りに、右のDVDブックを買って、観たせいもあるが、木曜出発に備え、朝から旅行に持ってゆくものの準備に取りかかった。殆ど、日本の裏側の国で、旅行先の大半が富士山以上の高さでの観光なので、とても体調のことが気になって緊張している。
 どうしようもないが、気になることは現地への往復時間。ほぼ1日掛けてペルー到着し、リマで泊まった後、翌日午後にはメインの高地クスコ(標高3300m)に行かねばならぬ。また、後半旅程ではボリビア近くの高地チチカカ湖(標高3800m)を訪れる。アンデス山地の酸素は3000m以上になると空気の濃度は平地の30%程度に薄くなるらしい。熟睡して十分体を休めなければならないが、長い移動時間と時差ボケで高山病にならないように注意する。高山病は頭が痛くなったり、吐き気がしたりと、結構キツイという。高度があがると、湿気は減るが陽射しが強いので、昼間は日射病や熱中症にも気をつけなければならないが、Dachs飼主は暑さに強いと思っているので、こちらのほうは人より耐性があるかもしれない。高山病の対策は行ってみないと程度は予想できない。日頃のトレーニングを信じてなるようになれと思い切るしか方法は無い。そのほかには

何を着るか(服装)
アンデス山脈は朝晩は冷え、昼の太陽が出ているときにはとても暑いので、一日に夏と冬が一度に来ると考えたほうがよい。暑いときは裸になれば耐えられるが、寒さは我慢できないので、長袖ポロシャツ、裏起毛のトレーナー、寒風除けのフリースだけは下記の用具用品を用意した。 旅行直前になって変更あるやも知れないが旅行日まで休みなしなので一応の段取りは進めておく。
飲食は大丈夫か(食事)
全行程は安全健康的な食事が準備されていると予想するが、生水や生ものは厳禁。匂いの強い魚や加工品ばかりで食事ができない悲惨さも予想し、レトルトのおかゆを数袋用意して持ってゆく。(情けなや・・・)高地に行くと食欲が落ちるらしいので、余計に体に気をつけなければならない。
趣味の機器関連

サブノートパソコン、一眼レフデジタルカメラ、望遠レンズ、20GBフォトストレージメモリ、各バッテリ
その他持ってゆくもの
帽子、サングラス、レインコート、虫刺され・虫除け薬、箸。

 ついでにペルー旅行のサイト作成に手間がかかると予想されるので、日程などをサイトアップしてしまった。 昨年のオーストラリアのほうは行く前は冷静だったが、行ったときのほうが興奮した。今回の旅行はいつも違って、行く前から相当、自分なりに燃えている。行ったらもっと感激してみたい。

2006年9月11日月曜日   PM9時49分投稿 

高額通勤定期

ここで、ポイントカードを発券してきた Dachs飼主の通勤電車の定期料金が他サラリーマンに比べ、バカ高い。月6万円、6ヶ月定期でも28万円以上する。千葉ニュータウンに住んで25年間、通勤定期代だけでも1400万円を会社に払って貰ったことになる。最寄駅に半年に一度、一万円札を28枚持って買いに行くのは定期券1枚持っているのより「盗られはしまいか」と緊張する。こちらに引っ越して3年位経った頃だが、常磐線で朝、ぎゅうぎゅう満員の痛勤電車に乗っていたときに定期入れをスラれたことがあり、残り4か月分を自前で払ったこともある。私達の街に住んでいるサラリー生活者は「財布より定期券を落とすほうが被害が甚大」なのである。
 しかし、今勤めている会社の最寄駅が京急沿線なので、昨年なかばから6ヶ月定期をクレジットカードで購入できるようになった。早速京急カードに入会すると、購入限度額も普通最初は20万円までなのだが、半年経過後に限度額50万円に上げてくれた。20万円だと定期を購入する度に一時限度額拡張申請を電話で行いその許可をとらなければならないからだ。
 UCカードからのお知らせ郵便で、3回の定期券購入でポイントが5000ポイント付いたとのお知らせを先日受取った。クレジットで購入してポイントが付くのは良くあることだが、定期券を買っている京急カードには全くポイントの意識が無かった。今回ポイントの支払い期限が今月末とのことで早速、品川の京急ウィング(写真のビル)に立ち寄って500円の商品券を10枚プリントしてきた。会社に払ってもらってそのポイントを私用に使うのは気がひけるが、会社に返すのも会社側が迷惑するだろうと思う。昔社用出張で飛行機を使いマイレージを貯めることも最初行なったが、その後会社も社用クレジットカードを作り、全て購入支払いは社有カードで引き落としするようにルールが変更された。しかし、定期券にまではルールが行き渡らないと思う。そのほか、今年の3~5月には京急でカードで定期を買うと携帯hddプレヤーがあたるキャンペーンもあったので、カードを使うのもいろいろとメリットが多い。残念ながらプレヤーはDachs飼主には中らなかったようだ。 

2006年9月12日火曜日   PM11時59分投稿 

お尻は鈍感

 暑かった残暑も昨日でジエンドを迎えたのかもしれない。今日はお昼外に出たが、ワイシャツ1枚では肌寒く、走って会社に帰った。夜も冷たい雨がしとしとと降って、テニス帰りの11時過ぎは結構冷えた。今日のテニスは振替レッスンの方が2人参加されており、ひとりはサウスポーの方だった。30台を過ぎてからテニスやゴルフを始めたが、40台以下の若い人のサウスポーは珍しく少ない。50台の方は結構サウスポーの人もいるが、左利きの人が減ったのか?60以上の戦中戦前の人(あばんげーる)は親のしつけが厳しく左利きが少ないのはわかるが、我々戦後産まれの人(アプレゲール)はもっとサウスポーがいても良い気がする。
携帯バイブが気付かない
 今プライベートと会社用で2個の携帯を身に着けている。スーツに入れるのはカサが高いし、脱ぐ機会が多いので、どうしてもズボンに入れる。Dachs飼主はサウスポーなので、ポケットもよく出し入れする物は自然と左側のポケットに入れてしまう。プライベート用携帯はベルト通しにつけているが、社用のは左尻のポケットに入れている。
 以前、常磐線沿線で満員の電車の中で定期入れを掏られた痛い経験があるので、それ以来、後ろのポケットは何も入れないか、ハンカチまたはティッシュしか入れてなかった。 お尻の筋肉が鈍感なので掏られたのだろうと思うが、携帯電話でもお尻に入れてると危ないので長いストラップをベルトにも絡ませて紛失を防止している。しかしながら、バイブモードが鳴動しても鈍感なので気がつかない場合がある。プライベート携帯はベルトにつけているので、バイブの振動はよく認識できる。
お尻の神経は本当に役立たぬ代物だということが解かった。

2006年9月13日水曜日   PM8時00分投稿 

行ってきます

 今朝の気温は20℃以下。朝方は夏物の薄いかけ布団で、何度か目が醒めてしまった。なんとか我慢したが、明日から向かう9月のペルー気温はリマ(最低15℃-最高22℃)、クスコ(最低3-最高20)なのでまだまだ冷える。ネット情報を調べると、気温が高いところでも高地は湿度低いので、厚着をしていても暑さはそれほど感じないので、薄物よりも厚モノ中心に衣料品は揃えたほうが間違いないとのこと。
 仕事も来週急遽忙しい仕事が襲来するらしいが、3ヶ月前から申請していたので、後ろ髪曳かれる思い(?)で明日から来週末まで(有給休暇6日間)休ませて貰う。 今日はいまから旅行の最終準備にかかる。
 明日14日から22日までは携帯パソコンで日記を書くので、ブログは帰宅後纏めて23,24日に埋める予定。それでは明日から暫く留守にさせて戴きます。写真と思い出をいっぱい詰めて帰る予定なので、帰ってからのインカ帝國旅行記を楽しみにしてください。

2006年9月14日木曜日   AM9時02分投稿 

リマに向って出発

出発前

 昨夜から激しく降り続いていた雨が出発日の昼前にやっとあがった。雨の降ってる中、やや天候を心配しながら、スーツケースの中身を最終チェックをする。
 母犬ラミエルの心身はよとても強いが心配なのは娘犬のウリエル。ウリエルが産まれてからここ数年にわたり、いつも飼主夫妻が旅行に行く数日前から体調を崩してしまうのだ。今年もラミウリのいるリビングとは違う和室居間でスーツケースに細心の注意を払いながら出発準備をしていたのだが、それとなく雰囲気で解かるらしく、週始めあたりからストレス性の下痢や嘔吐が始まってきた。激しい雨の中、午前中にDachs飼主妻に連れられてペットクリニックに行き、注射を2本打ってもらい、3種類の薬も一緒に貰ってきた。薬もそのまま飲ませるのは難しいので、駅前のPETCITYに行って、好物の缶詰A/dを買って、その中に薬を混ぜて、飲ませる予定(Dachs飼主娘の仕事)。症状が心配なときはタクシーを呼んでもカカリツケのペットクリニックに行くよう指示。
 ちょっと心配だったが、空港パーキングに車を預け、成田空港に12:00に到着。空港パーキングはここ数年競争が激しく、10日間まで3000円ポッキリが常識で、当日預けやペット預かりもしてくれるところも増えた。受付まで若干時間があったので空港にできたという高級ペットホテルを覗きに行った。場所はなんと第2ターミナルの地下1階の暗い場所。散歩や健康に十分注意を払ってくれるというが飼主としては若干心配だ。入り口は本当にホテル並だが、小さなケージにつながれているのは些か侘しい。
 第2ターミナルの案内カウンターで添乗員の方にお目にかかる。若くてとっても気さくな感じのお嬢さん。ツアー参加者数を聞いて見るとDachs飼主夫妻含め12名とのこと。当初案内では15名以上参加で添乗員が付くとのことだったが、Happyなことである。

成田出発

 定刻より20分はやく出発したことで、搭乗時アナウンスでは予定よりはやく着くとのアナウンスあり。いずれにしても12時間の長旅でやっと米国着陸となる。ヒューストンに着くまでにでた食事(Meal)は何と計3回。1食目は午後6時、2食目は12時、3食目は午前3時。「動いていないのに、こんなに出ても・・・」といつも思うのだが、不思議に(暇なせいか)嫌なもの以外は食べることができる。それ以外にドリンクサービスは1.5時間おきペースで廻ってきてくれる。ただ、今回搭乗したコンチネンタル航空はソフトドリンクは無料だが、ビールワイン日本酒水割り類はすべて5ドル(日本円では600円)チャージされてしまう。飲食と寝なければならないという義務意欲にそろそろ飽きてきた午前3時頃に、出して貰ったグリコのバニラアイスと紅茶の組み合わせはとても爽やかで快かった。

ヒューストン到着

 ながい12時間の飛行を終えて、ヒューストンに到着。テキサス州ヒューストンは宇宙旅行への入り口の街。ニックネームと思うが、「Jorge Bush InterContinenntal Airport」と呼ばれている。この空港は大航空会社「コンチネンタル航空」ハブ空港と呼べるようなところで、どちらを向いてもコンチネンタル機ばかり。「ヒューストンへようこそ」の看板を見て、米国着陸を実感する。ヒューストンのスペルが『Houston』であることもあらためて再認識。
 米国入国審査前にゆっくりと今回のツアー参加者の顔を見ることができた。添乗員さんとDachs飼主夫妻以外は老齢姉妹、若夫婦、若姉妹、元同僚女性ペアと女性の一人旅が2組の合計13名。これだけいても、男性は僅か2名であとは女性ばかり。これから帰国まで仲良くお付き合いしてゆこうと思う。
 入国審査では、パスポートと搭乗券を見るだけでなく、左右人差し指の指紋採取と顔写真を撮られる。これで、Dachs飼主がもし国際手配で米国に問い合わせを受けたら、即座に身元が判ってしまうことになった。指紋採取は相当強く押さないとならないので、女性連は何度も取り直しを指示されて怒られていた。米国はTRANSIT(乗り継ぎ)だけで国内には入らないが、テロ行為撲滅を重視しており、預けたスーツケース内チェックも厳しく、ケースやベルトの鍵は外した状態で預けないと壊されたりしても文句は言えない。1時間強も審査ヒアリングや待ち時間に取られてしまった

リマに向って

 成田ーヒューストン間は横9席のジャンボB-777機だったが、ヒューストンーリマは横6席の100名強のジェットB-757機。この飛行中でも、食事が2回も出た。午後4時過ぎにヒューストンを出発し、約4時間掛けて南米ペルーに到着。到着は午後10時30分だが、日本時間で言えば、なんと、15日の午後1時前。このあとリマのホテルで泊まることになるのだが、14日朝昼自宅で取った食事も含めるとナント、7回も食べ物を口に運んだことになる。もうすぐリマへ着くという直前、「今日は何回食べただろう?」とお腹を撫でていると最後の7食目がワゴンで到着。がっかりしながらも貧乏性のため、ターキー生ハムの入ったバーガーをコーラで流し込んだ。このせいと思うが旅行4日後くらいから上唇水泡ができて、旅行の後半は口の上周りが少し見苦しいことになってしまった。これは間違いなく口唇ヘルペスなので、食べ過ぎのサイン。ゾビラックス軟膏5%を持ってきておけば良かったと後悔したが、もう遅い。
 上記の如く、飛行中は<<「食べる」「飲む」「うとうと」「尻痛い」「首筋張る」>>の繰り返しでエコノミークラス症候群に陥る。機内アナウンスもヒューストン便は「英語・日本語」だったが、リマ便になると「英語・スペイン語」になってしまい、外国に来てしまったことを実感。Dachs飼主は何十年も語学を勉強し触れてきたが、聞く話すのセンスが全く無くて、外国旅行は語学力の点でも苦労している。
 リマ空港に到着した瞬間、大勢の乗客が拍手。これは機長への「感謝」と無事到着できた「喜び」をあらわす拍手で、ラテン系、スペイン系の人々では良くあることとのこと。日本人には多少違和感がある。
 手荷物は検査の際に「No Food?」くらいの簡単なヒアリングがあるだけだが、審査は面白いことに全部チェックはりソースの関係で出来ないようで、出口で最終チェックでボタン押す。それでルーレートのように赤緑のランプがチカチカ回転して最終的に緑ならGo,赤なら詳細チェックをされる。Dachs飼主は赤だったため、手荷物の簡単X線透視があった。もちろん問題ないのでスルー。面白いシステムだったが、もちろんカメラで撮らせては貰えない。
 12時30分にリマ空港に到着。こんな夜中にも、たくさんの観光業者や出迎え人が空港内で黒山の大混雑。バスに乗り込むと30分でホテルに到着。温度は16度で乾期には珍しく、リマ市内は小雨模様。ホテル着が日本時間で15日夜8時半にあたるので、日本で14日朝6時起床から数えると結局リマシェラトンホテルで寝るまでの時間は40時間近く寝床に入ってないことになる。それを考えると熟睡しなくちゃと思って寝る。ホテルにカジノもあったが、それどころではない。明日は朝5時にMC(モーニングコール)、6時にBO(バゲッジアウト)、6時30分ホテル出発の強行軍。明日は空港からホテルまで付き添いしてくれた現地ガイド女性ウチダさんにリマ市内を観光案内をしていただく。アナウンスに「あのぅ」が多い方だが、我々を歓迎して懸命に話そうと努めているので、それほど違和感は感じない。

詳細は写真も含めて南米インカ帝国初日を参照。

2006年9月15日金曜日   PM11時22分投稿 

リマークスコ遺跡観光

リマ市内観光

 朝5時40分、寝ぼけ眼で1階ロビー奥で軽い朝食を取る。食欲が余り無かったので無理をせずにフルーツと飲み物を中心に食事する。どうせ、リマからクスコへの飛行機の中でも軽食が出るはずなので。
 リマ市内は昨夕(深夜?)から小雨模様で10時過ぎまで止まなかった。昨日のウチダ嬢の説明でリマの市内観光。と、言っても時間が1時間ほどなので殆ど彼女のアナウンスで聞くのみ。バスが停まって観光したのはリマで一番有名なマヨール広場のみ。アルマス広場では大聖堂、大統領府などで写真を撮った。リマ旧市街地と新市外を廻ったが、市民の貧富の差や街がスペインコロニアル風の建物、色彩がどぎつい黄色が多いことも印象的だった。最低賃金が法律により150ドル/月と決まっているものの市民の平均月収は月200ドル程度、お祭や近所付き合いが好きで1年の稼ぎを一晩で失くす人も多い、時間を守らない人が殆ど、車は日本の中古車が全体の90パーセント超、公務員は議員を除き賃金が相当に低く土日はアルバイトをしないと生活ができない、旧市は荒廃しており、ビジネスは専ら新市街地へ急速に移動している、ペルーの人たちは幸福な街を暴力で占領したスペインを憎み、1900~2000にかけて復興に全力をささげたフジモリ大統領を慕い日本人を尊敬している、・・・いろいろ興味深く説得力のある話をウチダ案内嬢はしてくれた。

クスコに向う

 僅かなリマ市内観光で少々物足りなかったが、09:15にはクスコ行きに乗らなければあなないので、急ぎリマ空港へ。空港の駐車場入り口で料金所の開閉器にちょっとしたトラブルがあり15分ほど待たされたが、空港にはなんとか到着できた。 クスコに出発前にリマ空港にて米国ドルをペルーソルに変更。Dachs飼主は30ドルを90ソルにexchangeした。これからトイレチップや小額買い物で使う機会が多い。
 スターペルー航空の飛行機は横4席のB-737機で、1時間10分程のフライト。ここでペルーの代表的飲料水「INCA KOLA」に出逢う。所謂コーラではなく、レモネード(昔風に言えばラムネ)に薬風味の味を加えたチョット癖のある味。この風味はペルー独特のハーブが入っているらしい。

クスコ市内観光

 クスコでは日本人男性モリさんが案内を努めてくれた。モリさんは言葉ははっきりしているし、情報はたくさん持っているのだが、思い込みと、話のつなぎ方に難があるようで、結果的に何を言いたいのか訴えたいのかわからないときが散見された。リマは海抜10メートル近辺であるが、ここクスコは一挙に海抜3400メートルに達する。高山病の話が最初にあり、モリさんの話に寄れば「高山病にならないためには腹式呼吸をして、要するに深呼吸ですね。。。」などと腹式呼吸と肺呼吸を取り違えている。高山病の予防は「胸肺呼吸で大きく息を吸い込む」「水分を多く取る」高山病にかかった際には「頭痛薬を飲む」「良く寝る」ことが大事。 モリさんの案内でクスコの案内をしてもらう。
 途中、宿泊するホテル「ROYA LINCA Ⅱ」に入って昼食を摂る。
 行った観光地は「アルマス広場」「12角の石」「太陽の神殿」「サクサイワマン城砦」「タンボマチャイ」・・・。旧い建造物や石で美しく荘厳な遺跡や建物を見て廻り、それなりに感動していたがmサイクサイワマン辺りから少し頭痛とふらつき症状がでてきて元気がなくなってくる。高山病初期状態と判断し、タンボマチャイ遺跡見学はパスして、バスの中で待っていた。
 観光が終り、ホテルの近くの会場でフォルクローレ(ペルーの民俗音楽)を聞きながらバイキング料理を楽しむ夕食会があったが、Dachs飼主と他2名が体調不良にて不参加。残念だったが、これ以上悪くなったら困るので、止む無く自ら断念した。空気も普段の2/3程度になるので、キャンディの袋もパンパンに膨れ上がっている。
 明日と明後日は、いよいよメインのマチュピチュ見学散策があるので、ここで無理はできない。良く眠ることに専念したい。

詳細は写真も含めて南米インカ帝国2日目を参照。

2006年9月16日土曜日   AM11時34分投稿 

感動マチュピチュ1日目

始めて見た感動は言い尽くせない  本ツアーのメインの一つである「マチュピチュ来訪」がいよいよ本日になった。昨夜から頭が痛く、息苦しくてなかなか熟睡できなかったが、今日はメインなので頑張って起きて、ホテルの1階で食事をすると若干軽くなった。多分高地になれてきたせいだろう。今日のマチュピチュは約500m以上低くなるので高山病症状はさらに楽になると思う。翌日夜はまた、チチカカ方面に向うため、このクスコのホテルで泊まるので、スーツケースはそのままにして、1泊2日用の軽い用意だけして出る。
 ホテルを午前6:00に出発し、登山電車の基点駅『サンペドロ』駅へは約5分で到着。出発は午前7:03、終着駅の『アグアスアガリエンティス』駅には午前10:55着の予定。クスコーマチュピチュ間111Kmを4時間で奔る。基本的にクスコ側より終着駅のほうが低くなるビスタドゥム型登山電車だが、スイッチバック軌道がクスコ側4回、マチュピチュ側2回程度設定されている。途中の最高部は『ポロイ』駅で3500m。ここからはさらに低くなるので、若干スピードもあがり、草原や川が車両の両側に常に表われるようになった。この国の農作物の代表は「じゃがいも」と「とうもろこし」であり、季節的にとうもろこしの植え付けがされ、畑にはその緑がとても映えていた。今は乾季(秋冬)だが11月頃より雨季(春夏)に入り、とうもろこしはぐんぐん育ってくる。『オヤンタイボ』駅では「チーズ付きゆでとうもろこし」が販売されており、向かい側の席に座っていたご婦人が買われたのを少し戴いた。とうもろこしは塩味のみで茹でてあったが、これがまた旨い。粒も日本のものと比べると格段にBIG! Dachs飼主が買った物ではないがつい、パチリしてしまった。
 駅を下りて、徒歩5分ほどで今夜泊まるHATUCHAY TOWER MATCHU PICCHU HOTELに荷物を預けに行く。荷物だけ預け即マチュピチュに向うバスに乗り込む。細い九十九折のほこりまみれの田舎道を15分程度登りきる。こんな悪路の上、ところどころ車がすれちがうところあるが、ほとんど路肩の無い細い道。おまけに160度クラスの急な九十九折が11箇所もあるのに、カーブミラーもない。そのドライバー技術には感動すらする。
 マチュピチュ遺跡入り口に1件だけロッジ『』があり、そこで昼食をバイキングスタイルで摂る。このロッジはホテルの一部であり、なんとこのホテル、1泊1000ドル(10万円)もするという。

詳細は写真も含めて南米インカ帝国3日目を参照。

2006年9月17日日曜日   PM11時14分投稿 

インカ道トレッキング

マチュピチュ遺跡を再度訪れる
 今朝は8:30に出発なので、旅行に来て始めてゆっくりした朝。ペルーでは毎日ペットボトルを一人1リットルは飲む。生水を飲むと、十中八九お腹を壊してピーピーになるらしい。外は若干曇っていたが、涼しい風があり、とても気持ちのよいサンデーモーニング。
 駅まで3,4分の坂道を登りきったところに、パトカーが放置されていた。NISSAN製の車である。昨日と同じようにバスに乗り込み、遺跡に入る。昨日は若干雲行きが怪しい午後に訪問したが、今日は午前中で、風や雲も幾分違って爽やかだった。
インカ道トレッキング
 9:30頃から、マチュピチュ遺跡見張り小屋を基点にし、インティプンク遺跡に向って往復2時間、さらにその後インカ橋に向って往復1時間のトレッキングを行った。爽やかなハイキングではあるが、下を見ると谷底深く足がすくむ場所多い。しかしマチュピチュの向こうにそびえるワイナピチュの形が歩くことでいろいろな形に見えてくる。インディアンの顔にも見えてきた。
 お昼前にトレッキングは無事終了し、バスに乗り込むと今日は緑色のウェアを着たGoodByeBoyと出逢えた。お昼を駅前レストラン「チャスキ」で食べた。マチュピチュは高山病で苦しんだクスコより高度が低いので、ビールを飲んでも平気で美味しかった。アボガドが特産らしく、味は日本で食べるのと変わらないが、たくさん食べて堪能できた。これからあの高山病のクスコに戻らねばならないので少し気が重い。
クスコに戻る列車内で
 列車に乗ったとたんに雨。今、遺跡を訪れている人は雨に降られてアタフタしているだろう。我々の旅行は天候には恵まれている。車内では突然ピエロが出てきて踊りだした後、フォルクローレにあわせて、1時間強男女が交互に車内を廻ってくる。これはペルー特産のアルパカで作った衣料品のファッションショーである。モデルはその車両担当の男女車掌が受け持っている。
 『オヤンタイボ』駅で「チーズ付きゆでとうもろこし」が販売されている。60歳と70歳のご姉妹が「帰りの列車で買う」と、とっても楽しみにされ、買えたのをとっても喜んでいらっしゃった。Dachs飼主にも少しつまんでくださいとおすそ分けをいただくことになったがその時、トラブルは起こった。揺れととうもろこしのつまみ所がわるかったので、「あっ」と思ったときには電車の廊下をごろごろ・・・。たいへん楽しみにされていたのに申し訳なくて言葉も無く、縮こまっていた。
クスコに戻る
 予定の4時間でクスコに到着。バスでホテルに戻る前に1昨日訪れた大聖堂のライトアップを見学に寄った。美しく荘厳な大聖堂であった。ホテルでとった夕食はDachs飼主がとった昼食と同じメニューだったのにはびっくり。夜、ガイドさんに案内されて、ホテル屋上にあがり、星空を眺めた。しかし、期待していた南十字星(サザンクロス)はオーストラリアの夜と同じく、時期と時間のせいで見ることができなかった。だんだん高地に馴れてきたのか、酸素の薄さは気にならなくなった。

2006年9月18日月曜日   PM6時51分投稿 

チチカカ湖遊覧

 朝07:00にバスはホテル前を出発。ここクスコからプーノまで約360キロの長旅だ。長距離なので高速道路に暫く乗るが、高速料金もエコロジーの観点からか例えばリマ空港路線ではマイカー1.5ソル、乗合バス1ソルというように、バスが優遇されている。ガソリン代はペルーで一部生産されているも日本と殆ど同じレギュラー140円ほどする。
 オロペサでBIGなパンを3枚ガイドさんが購入。直径30cmくらいある丸くて平たいパンで、皆で少しずつちぎって食べる。噛んでいると甘味がでてきてなかなかおいしい。5そる200円とのことだが、昔のコッペパンよりも甘くて懐かしい。化学調味料もなにも入っていないのでこんなにも素朴で美味しいものかと思う。今日訪問予定のウロス島の子供達に上げるのだという。
 9時に最初の見学地であるラクチ遺跡に到着。ここは海抜3600mでクスコより200メートルほど高い。聖堂と穀物倉庫を見て廻った。マチュピチュ下車駅と同じアガリエンティスという駅があり、ここでも温泉に浸っている人たちがいた。この辺は4000m級で、この地区を越えると森林限界線を越える。ここから上はイチュ(イネ科の植物)くらいしか育たず、樹木は育たない。しかし、広く平坦な野原が見渡す限りでとてもここが4000mの山岳地帯とは信じられない。また、イチュだけしか映えない原っぱでも酪農が盛んで、いっぱい家畜の小さな群れを見ることができた。時間を惜しんでお昼ごはんをバスの中でおむすび弁当を食べたが、このご飯がとても美味しく炊けており、みんな、ムシャクシャと食べた。付け合せの漬物とみかんも美味しかった。
 11:30にこのルート最高高度を誇るララヤ峠に到着。雪がちらちらしてきたが、Dachs飼主妻がアルパカの靴下と手袋を購入した。プーノが近くなってきた。バスの右前方に綺麗な列車を発見。ガイドさんに聞いて見ると、クスコープーノ間111キロを週に3度しか走らない列車らしく、我々は偶然見ることができたので写真に撮った。鉄道会社が国有から私有になったため、運賃が以前より4倍の120ドルにもなって今では観光客しか乗らない贅沢列車になっている。列車は12時間掛けて走っている。
 13時プカラ到着、15時には無事目的地プーノに到着した。 ホテルで荷物をおき、高山病対策のコカ茶を飲んで、歩いて1分の早速チチカカ湖のチャーター遊覧船に乗り込む。湖は琵琶湖の12倍もの広さがあり、チチ(ピューマ)とカカ(灰色の)の合わさった名前と聞いたが、帰って図書館である資料を呼んでみると、チチカカとは「鉛の山」を差すと言う。どちらも本当なのっだろう。40島余もある島、人口2000人もいるところで訪問地を選んだ島は学校の島と5家族の島の2島。、島に1歩足を踏み入れると靴がふわっと沈み込む。地面がととらでできているのでクッションがありすぎる。島には展望台が立っているので登ってみる。4本の柱だけなので少し体を動かすとゆらゆら揺れて怖い。私たちが訪問するので、わざわざ下校後の小学生がまた集まってくれて日本語の歌まで歌ってくれた。粗雑な古びた教室、粗末な教材で頑張っている子達を見ていると私たちも何か協力したいと思い、募金や持ち物で子供達が喜びそうなボールペンやメモ帳、キャンディなどを差し上げた。学校の島から家族の島までは一人2ドル払ってトカラでできた船、バサラに乗ってゆく。遊覧船なら5分で到着するがトカラ船では手漕ぎなので20分もかかる。住民の済んでいるところにはウロス族の民家が3軒ほど並んでいる。家の中は狭く、生活用具は外に吹きさらし。トイレや風呂は湖ですませるし、雨が降らなければ島全体が家の中のようなものだから、寝床だけおさまる小さな家があればよいのだ。島に限らずプーノの街は観光を生活の糧としているが、ウロス島民は魚を獲って生活をしている。しかしながら、夜は寒くなるのに裸足で生活をし、トイレは湖へ、お風呂は?の我々から見るととても気の毒な生活をしている。余談だが、募金の際にお金に関してこんな話題も聞いた。ソルだけでなくドル札も汚れていたり、一部破れているとお金として通用しない。銀行やお店でも両替してくれないので枕銭も汚い紙幣は使わないように言われた。
 午後6時に船を下りる。高地だけにさすがに寒く、空気も薄い。1時間ほどホテルの自分の部屋で休憩した後、夕食。さすが高級5☆ホテルだけあり、メインの鱒料理、デザートのケーキ・フルーツは美味しかった。ただ、すぐうしろが調理室で煩かったのがちょっと気にいらなかったがこれは誰が悪いわけでもない。食後、ロビーに出てサザンクロスを見に行ったが、見えず。外は風もあり、とても寒かった。夜はとても冷える。この先の湖ではその湖上で寝起きしている人がいるのを思い出し、彼らと比べると私達はたいへん幸せだと思った。

2006年9月19日火曜日   PM6時55分投稿 

シュスタニ遺跡

 朝プーノ市場で簡単な買い物を楽しんで、ひきつづき、そのバスでシュスタニ遺跡へと向う。シュスタニとはウトヨ湖に突き出た半島が爪状の形をしていることを示す。バスを降りて丘に登ると煙突みたいな石の塔があちこちにある。全部で400以上あり墓の跡(チュルパ)だという。一番大きい塔に近づくと石の表面にトカゲの浮き彫りがあった。トカゲの塔は3000年前の墓でトカゲは再生をあらわすシンボルとして描かれている。塔の壁面の半分は崩れているが高さ12m、直径7.6mあったという。頂部はなくなっているが元はドームで覆われていたらしい。トカゲの墓は有力者の墓で表面が滑らかに磨かれた石が使われているが、一般の墓は平たい石を丸く積んだだけである。この墓地はインカの時代にも使われインカの墓も残っている。インカの墓は石の表面が丸みを帯ている。
 シュスタニ遺跡のはずれに平たい島、ウマヤ島がある。ピクーニャはスペイン人の乱暴残虐な殺戮で激減したのでこの島(ウマヤ島)で野生のピクーニャが40頭ほど大事に育てられている。アルパカよりも高級品だが、おなじ駱駝の仲間。
 12:30にインカの住民のお宅訪問。門の前にいる動物は黒はリャマ、それ以外はすべてアルパカであった。家の門には牛の魔除けが着いている。この魔除けは屋根の上にもよく見られる。 中に入ると門の脇で食事の用意をしていた。食材はほとんど野菜だ。家の中にも竈があったが、昼は戸外で炊事をしたほうが気持ちよいのだろう。粉は石臼を使わずに石の板の上で石の棒を転がして挽いていた。庭の隅にクイの小屋があった。人家を小さくしたようなつくりで周りを低い塀で囲ってある。逃げようとすれば簡単に逃げられる低い塀だが、それでも逃げないのはよほど臆病なのだろう。ここで魔よけの牛を15ドルで購入。とうもろこし、ひまわり、じゃがいもはアンデスが原産だとも聞いた。
 13:20にフリアカに到着。空港近くのレストランにて黒ビール、乾燥ジャガイモの入った野菜スープ、アルパカステーキを食した後、ルクマ入りのアイスを食べる。ルクマとは、クリと柿とサツマイモを合わせたような南米特産フルーツで、そのまま食べるより、アイスクリームやケーキの素材として食べるのが美味いらしい。
 16:15発A319便でフリアカーアルキーパ経由ーリマで18:30にリマに到着。今回も飛行機に乗った直後に雨が降り出した。
19:30にホテル着。リマのホテルでは夕食を奥まった部屋で戴く。もう明日は成田に向かうのに今さら日本食でもないものを と思ったが、「先付けー刺身ーおでん風煮物ー天麩羅ー寿司」とそれなりの作法に従って美味しく戴けた。13人のグループなので今までの食事ではテーブルが2~4つに分かれて食べていたが今回はみんな一緒のテーブルで、かつ静かな食堂なのでみんなで一緒に食事をしている気になれた。いよいよ明日のナスカ地上絵観光でペルー旅行も終わるのでみなさん思い出に浸れた。13人、それぞれ年齢・育ちなどばらばらであるが、添乗員さんの努力とお客の前向きな考え方で楽しく旅行をさせてもらえた。
 飲み物はペルー特産のクスコサワーをリクエストした。ペルーのお酒といえば、ぶどうから作る蒸留酒ピスコ。そのピスコを卵白とレモンでシェイクしたのが、このピスコ・サワー。卵白のまろやかな口当たりとピスコの爽やかな香りが織りなす不思議なカクテルだということだったが、高濃度で味が口に合わなくて即リタイア。ビールの新銘柄クリスタルに変更。
 その後、カジノで同朋女性(元同僚)2名が10ドルづつコインを買ってスロットマシンを初めて遊んだら出るわ、出るわで、一緒に見ていた飼主夫妻にも10毎づつおこぼれをプレゼントして貰った。結局、二人は40ドルほどに換金してウファウファ。うち一人の方は今朝プーノの市場近くで釣銭間違いで嫌な思いをされた直後だったので、ストレスも発散できて、余計に嬉しかったと思う。

2006年9月20日水曜日   PM6時57分投稿 

ナスカ地上絵を見る

 ナスカ地上絵観光にからまる全てはエアーコンドル社が握っており、リマからイカへの飛行機、遊覧の順序、待ってる際の行き先などはすべて彼らの采配で動くしかない。 08:30、リマは小雨もようでどんよりしていたが、30分遅れでなんとかイカ行きの飛行機1627便に乗ることができた。この飛行機は久しぶりの全席自由席48人乗りののプロペラ機。Dachs飼主は昔、ビジネスでローカル空港へはANAでプロペラ便を良く飛んだ。運行不能の場合、経由地プカラ空港まで行ってそこから車で1時間ほどかけてイカに向かうことになる。 09:30イカに付いた時にもまだ飛行機は飛んでいない。帰りの成田便が午後11:50発なので心配だったが運を天に任せるしかない。セスナによる遊覧が可能になるまでバスで湖や砂山散策、博物館見学、昼食などの行程が組み込まれており、それほど待ってることのイラダチや不満はなく、気持ちよくスケジュールをこなしていった。 10:00~10:40 湖と砂山散策 11:00~11:30 特に博物館ではカメラ撮影はできなかったが、土器・織物などをみることができたほか、はじめて現物のミイラ数体と対面できた。最初におかねを出せばカメラ撮影はOKだが、そこまでする必要はないと判断して撮影しなかった。 12:00~13:00 空港裏のレストランで食事。遊覧飛行は食後直ぐに乗れた。離陸後20分ほどすると人の形の浮き彫りが現れた。パイロットはたどたどしい日本語で「ココ ミギ シタ ウチュージン」などと言ってくれる。丘を通り過ぎると今度は左側の席で見られるように旋回してくれる。次いでハチドリ、コンドル、ペリカン、クモ、サル、手など次々見せてもらえた。言い方がたどたどしいので、雲か蜘蛛か判らないので、事前に見えるもの形を知ってから乗るほうがよい。地上絵は観光客の足跡などで見分けにくくなったと書いてあるのを以前呼んだ記憶があるが、予想以上にはっきりと見えた。ただ、体がシートベルトで固定されているので目で見られても写真に撮るのはなかなか難しい。 20分ほど見た後、空港まで引き上げる。最初の旋回のときには機体が急降下して気持ちが悪かったが、その後はそれほど急激に降下することはなく、気分が悪くならずにすんだ。降りる際に、パイロットに1ドル手渡すのもエチケットでちゃんと機内にガイドが貼ってある。 遊覧を終わっても一緒に乗ってきた1627便のお客全員の地上絵観光が終わらないとリマに帰れない。時間があるので、地上絵のビデオ撮影をみたり、プール際でベンチに座ったりして帰る時刻まで待った。17:20 イカーリマへ朝と同じ飛行機で戻り、リマ着は18:20 この飛行機は持ち物検査など一切無く、帰りの飛行機でも安全上の説明も省いてイイカゲンな会社でもある。 リマ空港に着いたのだが、そのあと空港まで道路は夕方の大渋滞。「リマの運転は、けっこうハードです」ガイドさんの言葉どおり、強引な割り込み、クラクション、飛び出しの連続。そして路上で物を売る人。「事故はないのか?」と聞いたところ、「少しくらいぶつけても皆気にしない」とのこと。(なぜか納得)日本車の多さにもびっくりしました。予定の帰り便に乗るためにはホテルを午後8:30に出なくてはならない。ホテルに着いたのが7:45分なので1時間で荷物を纏めて食事をしなければならない。1昨日荷物の整理は殆ど終わっていたがとにかく忙しい夕食であった。バイキング形式の夕食に今日はペルー名物魚介料理セビッチュやデザートが出てきたが、みなさん慌ただしく自分の部屋で荷物の整理にかかり、落ち着いて夕食を食べる雰囲気ではない。ペルーの代表的料理といえるのが、このセビッチュ。白身魚などの魚介類と玉ねぎを、香辛料とレモンでマリネした料理である。 行きは問題なかったが、帰りの飛行機では同じコンチネンタルであるものの、スーツケース1個の重さが23キロを超えると別料金になるというので、3Kgほどの壊れないものを布バッグに移動し、2個を預け荷物にした。

2006年9月21日木曜日   PM6時59分投稿 

帰国

リマから、ヒューストンへ4時間、ヒューストンから成田まで13時間と長い時間をかけて、やっと成田に着いたのは1日日付の進んだ22日午後3時。 たいへん疲れた

2006年9月22日金曜日   PM8時53分投稿 

無事、帰ってきました

ペルーのぼくへのおみやげです リマからヒューストンへ6時間、米テキサス州ヒューストンから成田へ13時間半、自宅へ着いたのは午後5時。若干高山病でつらいこともありましたが思い出をいっぱい詰めて、無事に到着しました。旅行記は明日から書くことにします。とりあえず、食べ物以外の私のおみやげです。パンフルートは手がでなかったのですが、似たような楽器で『サンポーニャ』というペルーの民族楽器があったので、買ってきました。これで近日中に「コンドルは飛んで行く」をマスターしたい。帽子はチチカカ湖、Tシャツはマチュピチュとペルーの民族的飲み物インカコーラがデザインされてます。牛のペアはインカ民族の魔除け(お守り)で屋根や門の上に飾るようです。
 11人の新しい旅仲間とも知り合いになれ、とっても充実した旅行でした。

2006年9月23日土曜日   PM10時59分投稿 

時差ぼけ

 昨夜も眠かったが、少し眠ると目覚めてしまう。眠いのだが熟睡できない状態が続く。朝いつもの時間帯まで眠られないので早朝に起き出して、旅行の1日目と2日目を書くが、ミスや抜けも多く頭がさえない。
 今日は秋分の日。午後は船橋の浄土宗のお寺へ秋の彼岸会合同法要に参加。毎年、春秋の彼岸とお盆の3回、このお寺の合同法要に参加している。お墓が関西にあるので致し方なし。 ここでも念仏のさなかに異常な眠気に襲われる。明日も午後、坐禅会に参加するが、ここでも苦行が強いられると思う。何せ、昨日は40時間以上も布団に入ってない状態が続いていたので、快復には2,3日かかるかも。ネット情報によると、時差ボケは体内時計との誤差によって生まれ、50歳以上の人に強い症状が現れやすいと言う。14時間の誤差を取り戻すには通常2週間もかかるらしいが、そんなに待ってはいられません。

2006年9月24日日曜日   PM5時10分投稿 

無の境地

彼岸花が満開 穏やかな秋日和。お寺にも咲いていた。師戸では彼岸花が100本ほど見事に咲かせているところがあるとご住職よりお聴きできた。
 今日は月例の坐禅会で印旛村東祥寺へ伺った。早速坐禅をさせて貰ったが、坐禅堂に入り込んでくる風がとても気持ちよい。また、耳にはまだ泣き止まぬヒグラシが夏との別れを惜しんでるように聴こえる。坐禅の極意は無になることだが、無になろうとすればするほど、現実の「背筋は伸びてるか」「首筋はしゃんとしているか」が気になるし、暫くすると背が若干前かがみになっているのがわかり、慌てて直す。昨日は秋の彼岸。仏教では坐禅や念仏によって、自己を現実より高みにあげるということだが、Dachs飼主にはまだまだ現実逃避ができず、目の前にある柱や壁の模様、自分の影、無関係なことに心が簡単に触れ、なびいてしまう。いくら努力しても『無の境地』の影さえも踏めないかもしれない。しかし、月に1回の短い行事であるので大切にしてゆきたい。

2006年9月25日月曜日   PM11時17分投稿 

初出勤

 長い休暇を貰って、旅行に行ってきたが、今日から元気に初出勤。時差ぼけのせいで、今朝も起床は朝4時、まだ暗く、寒い。2時間ばかり旅行写真の整理をして、書き足りない部分あるが、旅行4日目までをまずサイトアップできた。会社では数人に挨拶をし、昼食時にペルーの面白いところを中心にお話させてもらった。
 仕事は快調に進んだが、帰りの電車内でうとうと病が・・・。人間、寝不足状態のとき、18時間以上起きつづけていると徹夜明け状態になる。具体的には眠りたくて体の力が抜け、眼を閉じるとすぐによだれが出そうになる。なんとか最寄り駅まで頑張って、結局12時前まで起きている。多分明日は6時まで熟睡できると期待している。

2006年9月26日火曜日   PM11時23分投稿 

寒い

 今朝も残念ながら昨日よりは遅かったが午前5時から寝られなくなり、起床してしまった。曇りがちで、午前中から結構激しい雨が降り続き、昼間外に出てもスーツを着ていったが体が冷え込んだ。今月も今週末で終り。今年は既に3/4が終了しようとしている。
 職場の皆様に「ちっぽけなキャンディのような小さなチョコチップ」を1個づつ差し上げたら、愛想かもしれないが多くの人たちから「ありがとう感謝」の言葉をいただけた。「甘いチョコは夜遅くまで仕事をしている時のカンフル剤です」とも言われ、ちょっと嬉しかった。
angel.gif  今夜はテニスでちょっと汗を流し、眠れば時差狂いもすっきりするかもしれないと期待している。しかしいつまでつづくのだろう。
 いまテニスから戻ってきた。大雨の降る音が激しく聴こえるテントハウスでボールを追っかけレシーブ・リターンスマッシュなどを久しぶりにやったので、疲れたけれど心地よい。明日も旅行中の振替レッスンを午後7:30からとった。明日はテニスのために、午後5時に退社する。

2006年9月27日水曜日   PM10時24分投稿 

時差ぼけ解消の兆し

テニスは快適 今日もテニスに行ってきた。旅行中の振替レッスンである。9月一杯でレッスンサイクルが終わるので、今週土曜日までに取らなければならない。色々な時間帯があったが、ベストなのは今日の午後7:30からの分。これに遅れないで受講するのは会社を午後5時過ぎに出なければならない。会社に入って1年と9ヶ月、一回もフレックスを使ったことが無かったが、今日始めて上長に話をして午後5時に退社できた。体を動かすととっても気持ちがよい。時差ぼけはこれで解消できたと思う。昨夜11:30頃激しい雷による停電で、枕もとのラジオ・CD付き目覚ましが午前0時にリセットされてしまい、おかげで5時半だと思って今朝起きたらまだ5:00だった。それでも昨日までのぼぉーとした眠さはなくなっており、多分明日からはまともなサイクルに戻れる予感がする。

2006年9月28日木曜日   PM10時36分投稿 

写真整理順調に進む

FOOD024.GIF 今日は昨日1昨日とうって変わって、暑すぎる。最高気温は多分26,7度を越えていたのではなかろうかと思う。財布を入れるのでいつものようにスーツを来てお昼外に出ると、汗が出そうになる。今年は多分最後の冷やし中華を衝動で食べてしまった。
 今朝は順調に午後6時に起床でき、熟視できた。今も爽快なので、もう時差ぼけは解消した。明日で帰国後1週間になるが、14時間の時差はDachs飼主に相当に堪(コタ)えた。
 帰って3時間ほどかけて、旅行6日目チチカカ湖の写真整理を終えた。今回の旅行で駄作も含め1,000枚を越える写真を撮ったが、サイトアップしたい写真がトテモ多かった。それだけワンショットごとに思い出が詰まっている。インカ帝国旅行記のサイトアップもあらかた整理が終わったので今週末には完成の見込み。パソコンにはペルー写真データが7GB以上溜まってしまった。嬉しいことである。

2006年9月29日金曜日   AM12時26分投稿 

ねぼける

 今日、たまたま、職場の上長に誘われて、会社の近所の飲み屋で一服した。故郷が同じ兵庫県だということで、年代は違うが話が合い、焼酎を二人で一本開けてしまい、着いた駅が乗り過ごしの駅。やっと12時少し前に最寄り駅に到達できた。酔っ払った日はすべて億劫なのでもう寝ます。おやすみなさい

2006年9月30日土曜日   PM6時10分投稿 

1ヶ月ぶりにジム見参

久しぶりのジムは気持ちよかった
 朝から気持ちのよいお天気。昨日の酒も芋焼酎だったので、殆ど残らず、快適に朝ごはんを食べられた。お昼からほぼ1ヶ月ぶりにジムに行った。スタジオプログラムは参加しなかったが、午後2時過ぎから5時前まで3時間近く体を苛めた。筋肉トレーニングは毎日やらずに2、3日おきくらいでやるのが良いとある本で見た。筋トレを行うと、筋肉は痛む。それが快復するのに約32時間程度かかるので、それまでにやっても筋肉は強化できないらしい。今日ははじめてプールに入った。ウォーキングだけ25mプールを20往復1Km歩いてきた。プールサイドにはジャグジー泡風呂などあって割合プールに入るのも面白い。
 ペルー旅行の写真の整理が今日やっと終わった。旅行記もまだ若干改善の余地あるものの、写真はすべてアップできたので一段落した。1週間掛けて1000枚余りの写真をスクリーンサイズ400枚くらいに圧縮整理した。インカ帝國旅行としてサイトアップ。

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