2025年11月17日月曜日 PM5時45分投稿
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76人の喜寿達成者が参加した。
先月20日に明石駅近くのホテルで開催された
高校18回生喜寿同窓会で撮った写真が送られてきた。卒業時500名のマンモス同窓生がいたが、卒業後60年経って、この日参加できたのは76名に過ぎなかった。名前と顔が一致しなかったが、わかるように名札が下に記述してあったので、小さい写真だが拡大してみると三分の一程度は思い出せる人も居た。
朝一テニスは10人参加で、かぜはそこそこ吹いていたが秋晴れでみなさん元気に上下左右前後に心地よく動けているようだった。ジムのお風呂は先週から熱海の湯に変化していた。人工温泉なので前週までの阿寒湖の湯との違いがはっきりしない。
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2024年12月13日金曜日 AM10時52分投稿
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日を追うごとにやはり師走の寒さが朝夕応えるようになってきた。エアコンも先週初めから起床時から8時頃までかけるようになったが、今日からは起床時から9時までかけるようにしている。
体も大切だ。塩分を控えるために最近は食卓のおかずに必要あれば醤油をかけていたのを殆ど麺つゆで済ますようにしているが、これにも慣れてきた。徐々に忍び寄る超高齢化に向けて、いまや早すぎることはないので、すこしづつ準備をしなければならない。
午前中、時間があったので、SUICAの悲劇を追ってみた。
SUICAではないがまず最初にトラブルに遭ったのは2017年6月の草津蓼科山梨ドライブでの紛失。次に失くしたのは2019年12月新宿病院から帰りに友人と焼き肉叙々苑にランチを食べた帰り。その次は翌年の12月に関西旅最終日で神戸のステーキ屋で紛失に気付く。4回目は2023年3月に船橋でBBQ宴会が行われその帰りに紛失した。最後の5回目は今週武蔵浦和の宴会帰りに東武線船橋乗車し新鎌ヶ谷で降りようとしたらSUICA紛失に気づき、駅から再発行を依頼。これ以外にもSUICAカードを100円野菜販売所近辺で落としたのだが、直ぐにクレジット会社に発見者から連絡を頂いて、再発行せずに済んだ(2022年頃だと思うが時期は失念)。dachs飼主はSUICAに関してはMCIを超える認知症を疑われるまったくの馬鹿阿呆だ。猛省。
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◎2017年06月 東京駅創設100周年記念SUICAカード紛失 1万円損失
◎2019年12月 新宿帰りにオートチャージクレジットSUICA紛失 再発行で被害無
◎2020年12月 神戸のステーキ屋でSUICA紛失に気付く 再発行で被害無
◎2022年頃時期不明 カードを落としたが発見者の連絡により戻ってきたので再発行せず
◎2023年03月 船橋BBQ宴会の帰りに紛失に気付く オートチャージ被害で18372円の被害
◎2024年12月 茅場町の病院からの帰りに紛失 東武線で気づき即再発行で多分被害なし
既に再発行を依頼しているのでお正月前後にはSUICAクレジットカードが来るのでその際は紐付きのパスケースに入れてベルトに紐を通すなどの紛失対策が必要と思っている。カードもスマホに入れてモバイルSUICAにするのが一番良いかと思うのだが、どうだろうか。
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2024年1月18日木曜日 PM5時05分投稿
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久々に読み応えのある本に出合えた
1昨年暮れに亡くなった思想史家「渡辺京ニ」さんの代表作『 逝きし世の面影』600頁を読破した。渡辺さんを知ったのはNHKEテレで日曜朝に放映しているこころの時代で人物を知って読んでみたくなった。なかなかおもしろかった。幕末や明治の日本の、ごく普通の庶民の快活で自由な、そして精神的に豊かな暮らしぶりを、その当時の来日欧米人の瑞々しい記録から明らかにした大作。まさにDiscover Japanesesである。彼らは日本において(彼らの価値観からして)受け入れがたい様々な事象を目にした一方で、それを上回る大きな感動をこの地で経験したことを、赤裸々に文書につづっており、そのころ全くいなかったdachs飼主でさえ、共感と尊敬の市民生活を想像でき、感動した。ぜひみんなに読んでもらいたい作品だった。庶民の生活を欧米人の目から見ているのだが、先日読んだ「人新世の資本論」が正しいのではないかと思った。借りた本だが、Amazonかどこかで改めて購入したい。
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2024年1月16日火曜日 PM6時35分投稿
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風も強く、今日は今冬最低の寒さ体感。朝テニスも当番さんの判断で止むなく中止となった。土日はもっと寒くなるかも。ツレアイのテニス肘も完治したようで、今日からテニススクールに通い始めた。
以前、小学生の時に同年の男子生徒と文通したことを書いた。中学に入り、英語の勉強を始め、英語圏への興味も湧いて「ペンパル」にも心は動いた。しかし、風習の違いすぎる海外の人とはdachs飼主の拙い英語力では到底QAや自我の主張ができないと思って、早々に諦めてしまった。60年以上経った今でもその状況は変わらない。
同時に中学生になって、異性への興味があこがれや妄想から徐々に具体的行動に考えが移ってきた。それとともに、北海道の男子生徒とのつながりは縁遠くなってくる。そのうち、いつの間にかどちらからもなく音信が途絶えてしまった。これを機会に、ターゲットは男子生徒から女子中学生に変わってゆく。今もそうだが、あの頃も対面によるアプローチは最も苦手だったので、見知らぬ人に手紙を出すという戦法を安易にも選んだ。顔も素性も知らないので気後れや羞恥といったものはない。ただ距離的に近いと、なんとなく魂胆を見透かされそうな気がして長野県南佐久町の女子生徒を選んだ。返事をくれたので、釣った魚を逃すまいと、細心の注意を払いながら、興味深そうなさりげない話題を文章に入れて繋いでいった。字の下手さにはがっかりするがこれだけはどうにもならない。それでも精一杯丁寧にかくように努め、相手の返事を待つようにペンに力を込めた。2年ほど便りを交わしたがそれ以上の進展はなく、これも何かの機会から音信が途絶えてしまった。女子中学生とのデートはできなかったが、文章を書くことには抵抗感がなくかけるようになったのは良かったと思っている。的確で正しい文章をを書けるようになるのは一朝一夕でできるものでなく、学生の頃から文筆に慣れておくことも重要だった。実際、サラリーマン生活をしていると、文章を作る機会がやたらと増える。会社の業績や信用に直結するものであり、かつ作成者自身の表現力や自己アピール能力を発揮しながら、社内の地位向上に直結するものだから、慎重に書かねばならない。
しかし、今やIT恋愛の時代。下手な文字も最近はスマホでもアイコン文字も含めて、気軽にかけるようになった。AIで文章を作成できるようにもなっているらしい。また、文通でなく、マッチングアプリというような手段もとれるそうだ。
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2023年12月14日木曜日 PM9時11分投稿
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ワンカップもたまには良い
先週金曜日8日で書いた北茨城市のイメージキャラクター「あんちゃん こうちゃん」の地酒を飲んでみた。ワンカップ〇関タイプの安い酒だったが、今夜のカレー鍋にはちょうど手頃だった。
全然関係は無いのだが、子供の頃、「文通」を暫くやっていたのをふと思い出した。小学生だったが同学年の北海道沙流郡の男子生徒と文通を続けた記憶がある。きっかけは小学5年生か何かの雑誌で「文通しませんか(文通希望者欄だったか)」という趣旨で、名前や住所、年齢や趣味、ひとことなどが毎月たくさん書いてあったのを見て始めたようだ。個人情報が満載で、今日では大騒ぎになるだろうが、当時の社会文化としては何の問題もなかった。彼とは、2年位続けたが、記憶に残っているのは「北海道では竹ひごが売ってないので、送ってくれませんか」という依頼。竹と紙で作った飛行機を飛ばしたいらしく、少し送ってあげたら、大変喜んでいた。
中学生になって、今度は長野県の女子中学生との文通を3年間ほどやったが、これは長いので別の機会に、記憶を呼びさましてみたい。中学生は女性への関心がとても開花爆発している頃だったなぁ。中学から英語を習い始めたので、文通をする相手はペンパルと言ってたような気がする。これ以降の文通は
ペンパルに記述したい。
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2023年8月14日月曜日 PM3時26分投稿
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小学時代は良く遊んでもろた
今日も午前中のテニスを終えて、シャワーを浴びた。昼食は自分で作った。袋麺の冷やし中華を沸騰させて、添付のスープ、ふりかけに加えて高菜の漬物とウィンナーを載せて食べた。午後はミステリー本を読む。山田正紀の「篠婆骨の街の殺人」。読んでる途中に本筋とは全く関係ないが(ダイヤモンドゲーム)が出てくる。子供の頃親と一緒にするゲームで良く遊んでもらった記憶がある。一人で頭を使う(箱入娘)というのも良くやった。止め処無い噺。
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2023年6月24日土曜日 PM5時33分投稿
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湯布院昭和館で撮ってきた写真
九州旅と埼玉旅で一眼レフを持参せず、スマホのみで撮影したために(Google Photo)に数百枚の画像が溜まってしまった。そのため、(Google Drive)無料保存容量15Gbのうち、63%にあたる9.5Gbも旅の写真で埋められてしまった。デスクトップパソコンのローカルドライブに保存してGoogle Photo写真1013枚を削除してみた。そうすることで、使用量が9.5から5.8gbまで3.7GBも縮小された。
遅れていた湯布院の昭和記念館の整理が終わったので
懐かしの昭和と題して68枚の懐かし写真をアップした。
先週水曜日の誕生日朝、
右足太もものこむら返りで朝テニスを休んだ。今までより痛みがひどく、治りも遅かったので、薬屋で「コムレケアゼリー4包み入り」を買ってきた。結構値段は高かったが、効果のほどはわからない。

こむらがえりの特効薬と信じて購入
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2023年4月17日月曜日 PM9時18分投稿
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今日は結婚記念日。29歳の時1977年に郷土の兵庫県明石市であげた。その日は大阪ロイヤルホテルに泊まり、翌日から新婚旅行は沖縄に行ったと思うがそれらの記念写真などない上に46年前の記憶は既におおかた飛んでいる。2003年以降はブログを書いているので、それを観たら思い出せるが、若い時の記憶はどんどん消えていってる。
明日は日帰りバスツアー。謎旅とは言え、メインは苺狩りでその他は昼食とお買い物ツアーになるだろう。行き先はわからないが、日帰りなので関東だろう。6月中旬に4泊5日で九州ツアーに参加を決めた。最後の全国旅行支援になろうかと思う。
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2022年9月16日金曜日 AM8時27分投稿
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移動には電車とバスが子供には最重要な交通機関だった。
物置の段ボールを整理していたら、神戸市電が廃止された時のおなごり乗車券が出てきた。懐かしかった。大正6年から昭和46年までの54年間市街地を走ってくれた便利な市電で中高大時代に神戸各拠点で遊ぶ際によく利用させてもらった。
午前9時20分からテニスレッスンに90分出た後に一旦帰宅。今日は暑い。お昼ご飯を食べて、午後1時からはまたも平日テニス。残暑を強く感じた。帰りにジムに寄って久しぶりに奔った。サウナの後の水風呂が気持ち良い。
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2022年3月10日木曜日 PM8時19分投稿
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月の第1&第2木曜午後はストレッチの日。今日はツレアイがご近所の奥さんを乗せて行くのでdachs飼主は車がなく、テニ友Nさんに送迎いただいた。
からくり時計 彼は大牟田にいた頃があるそうで、帰りの車で「博多ラーメン発祥来福軒」や「東芝創業者が作ったからくり時計が駅前にある」話を振ったが、ポカンとされてた。帰ってwebを観なおすと8年前の秋に福岡観光をしたときの思い出だった。よく見るとあの話題は大牟田ではなく、久留米でした。ゴメンね、Nさん。
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2022年3月8日火曜日 PM4時05分投稿
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娘が昨日から新しい弁当箱と保温ポットを持って出勤していった。保温ポットも1000円前後で軽くて保温性の高いかっこいいものが増えている。dachs飼主がテニスジムに持っていっているのは350mlポットであり、夏冬関係無く氷を3分の1ほど入れたスポーツドリンクを入れている。ドリンクは糖分などが多いというので1割ほど水で薄めたものを飲んでいる。
弁当箱もプラスチック製で可愛く軽くて保温性密封性の高いものが多い。我が懐かしの義務教育時代は灰色のアルマイト製で、せいぜいお菜入れが別になって汁がこぼれないようパッキンゴムのついたもの程度が新型であった。母が毎朝作ってくれたことには感謝しているが、他の生徒からおかずの中身を見られるのがとっても恥ずかしくて、蓋で上部半分を隠しながらこそこそと食べていたのが強く印象に残っている。秋の運動会のお弁当のお菜も他所の家のそれとよく比較し、家風も考えずに見当外れな考え違いをして一喜一憂していたものだ。
食べ終わると小使さん(当時は用務員とは言わなかった?)の運んできた大きな薬缶からお茶をその弁当箱の蓋に注いで飲んでいた。薬缶は教室中央のだるまストーブの上にあったので、火傷に注意しながら小さな蓋に少量入れるのがこわごわで隣の子と共同で入れ合いっこした。
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2022年1月22日土曜日 PM5時35分投稿
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会社リタイア前後の平成時代によく歩き回った
dachs飼主がいない間にどんどんツレアイがこれ幸いとばかり断捨離を実行し始めている。10数年続けていた駅周辺ウォークで集めた缶バッジを捨てるよとラインを受け、もう使う必要はないので捨てていいと思うが、とりあえず、写真だけは撮っておいてほしいと頼んだら一部だけ送信してくれた。
都内の感染者が1万人を超えた。昨日も我が市では45人もの感染者が増えた。いつまで続くのか、たいへん不安である。明日の東祥寺さんの坐禅会もコロナ蔓延で中止したいとの連絡があり、指示に従い、
座禅会日程表に急遽中止の連絡を入れておいた。
ひとつ、失敗があった。病院の洗濯機にパジャマのズボンを入れたのだがポケットの中にオムロン製の万歩計(HJA−307IT)を入れたままにしており、結果液晶部にも水が溜まり使い物にならなくなっている。
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2021年12月17日金曜日 PM5時00分投稿
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寒い時は動きたくない。寒風にあたるのは億劫である。子供の頃は寒い時に手や足が悴んだり、赤く霜焼けていても、鼻が赤くなっていても、庭に出て霜柱を踏んだり、公園の池の薄氷を足で壊したりして楽しんでいたことを思い出せる。家の中には火鉢があり、いこった練炭や炭の上に網を載せて餅やするめ、時には酒粕をあぶって、砂糖をまぶしながら食べたこともある。
今日は朝から冷たい雨。エアコンをかけ読書三昧で半日を過ごし、午後はテニスを休んでジムでゆっくりサウナと温浴の繰り返しで1時間ほどぬくもってきた。寒くなると歳のせいでもあるのだが、動きが少なくなる。
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2021年11月25日木曜日 PM8時18分投稿
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秋も終わり、もうすぐ冬が来ることを感じさせる
彼岸花もとうに終わり、晩秋近くになると、我が家の庭に花持ちの良いネリネ(ダイヤモンドリリー)が1か月以上も咲いてくれる。我が家の庭では、この花と菊(スプレーマム)、パンジー、シクラメン、葉牡丹(?)くらいしか咲いていない。
昨日入荷したDVD-RはTBS日曜18時の「
世界遺産」とテレ東金曜「
武田鉄矢の昭和は輝いていた」をたくさんダビングした。武田鉄矢の態度と話し方などはちょっと気に喰わないが、昭和の時代に流行った玩具、映像、ファッション、世相、世界情勢、などなどは大変興味深く、残しておく価値があると思う。現在世界遺産は450超、昭和は200テーマを越えてダビングしている。
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2021年8月4日水曜日 PM2時59分投稿
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桃は独特の甘みがあり夏の味だ
昨夜、桃5個入りケース2箱を入手した。桃はスーパーでも皆が良く触るので、このコロナ隆盛の時期ではなかなか買う気になれなかったのでまだ一度も食べてはいなかった。さっそく食べたが甘くて美味であった。桃の味といえば子供のころの不二家缶ジュース「ネクター」を思い出す。
今日は朝から暑い。昨日新潟三条では39.1℃、今日は山梨勝沼で39.7℃の最高気温を記録したそうだが朝から陽射しも強く、1時間半のテニスプレーは早く終わって欲しいが全員の気持ちだったろうと思う。『うだるようなあつさ』とは今日のような暑さを指すのだろう。こんな炎天下でオリンピックを競う選手にほんとうに気の毒に思い、頭が下がる思い。
東祥寺さんのHP相談についてはかなり大規模なデザインや内容変更を考えられているようなので、ビッグプロジェクトになり、今年中の完成は難しいかもしれない。
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2021年5月29日土曜日 AM8時41分投稿
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昔を懐かしめる本を買いました
図書館で『団塊なつかし雑学百科』という本を借りてきたペーパーブックスタイルだが300頁を越える分厚い冊子。読み始めたら懐かしさがこみ上げ、その頃の自分を思い出させる。昭和20年から50年にかけて世相を中心にもの・事件・流行・景気・価格などを細かく記載してある。2週間で返すのももったいないので、Amazon書店で送料込みで550円の中古本の購入手続きをした。アマゾンは中古本は安いが、この本正価は1429円+税だが、新本で購入すると4558円もするのには吃驚した。昭和22年から24年産まれの団塊者たちは700万人もおり、昔のことは「アレのアレはアレだったなぁ」くらいにしか覚えていないが、頭の中ではその風景がはっきり浮かんでおり、この本を観ると「確かに」と納得させられ、さらに空想が広がって楽しい。誕生日年表をみると、漫画家本宮ひろしさんはdachs飼主より4日後に産まれたそうだ。
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2021年4月18日日曜日 PM3時23分投稿
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広報誌を読んでいたら、今春から公立の小中学校では全児童生徒にパソコンが行き渡り、IT教育が進んできたと書いてあった。dachs飼主が小学生の頃はコンピューターってなものは知らなかったし、つい25年ほど前のノートパソコンは30万円近くしていたのが生徒諸君にも行き渡るというのは夢のような話である。現役時代、仕事がら企業のお客様とITシステムの話を進めようとしても、まずは経理人事からで一部の社員の机上にしかコンピューターはなく、日進月歩のIT進化によって、バージョンアップやセキュリティの観点から事務機械化は何年計画という方針のもとに進んでいた。
小学校と言えば、個人情報保護や民族やジェンダーフリーのため、名札は登下校時には外す、顔写真は発行物に載せない、絵の具の肌色表記は無くし、あだ名は禁止、名前も男女順ではなく混合順となっているらしい。衛生面からは手洗い所のネット石鹸はハンドソープに替わっている。ごみ分別により焼却炉が廃止された。そのほかには年間3学期制から2学期制に、不登校生を慮り皆勤賞を無くす、女子生徒のブルーマーはなくなり、ハーフパンツになった、防犯ブザーは必携、座高測定が無くなったなどなど・・・隔世の感がある。
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2021年2月21日日曜日 PM6時49分投稿
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dachs飼主のツレアイはこの街に住み始めてから運転免許証を取得した。40歳を前にしてでも、わが街では当時、バスも交通機関も発達していなかったので、無理をしてでも取りにいかねば生活に不自由をきたす。そういうdachs飼主も運転免許は大学在学中に取ったが、わが街に引っ越すまではペーパードライバーであった。なぜ取ったかというと、就職に有利に働くだろうということ、あると写真付きなので身分証明になるという2点のみで難しい交通ルールを覚え、自動車学校で当時10万円近くかかったのではないだろうか。この街に引っ越すまでは横浜、川崎、東京都内を何度か引っ越したが、車運転の必要性を全く感じなかった。
ところが、わが街は人口が2万余人のラーバンな街(行政区分でも市ではなく町)だったので引っ越した。ラーバンとは田舎(ルーラル)と都市(アーバン)の合成語でツレアイがこの街が良いと主張された。会社まで1時間乗換2回で電車に揺られるが、小学生の息子と娘を抱える我が家では空気も綺麗だし、野菜も新鮮で良いなどと言われ、この地に決めた。しかしながら、ショッピングなどでは公共交通機関が不便で、どうしても必要なものは遠くまで買いに行かねばならない。dachs飼主は自転車にも乗れなかったが、まず自転車に乗るようになり、次には50㏄の2輪車も買った。その次には中古のコンパクトカーを買ってカー生活を始めた。最初はペーパードライバーでドキドキしたが、始めたころは駅前には駐め放題の無料駐車場があり、信号も自宅から駅まで3個しかなかった過疎状態だったので運転技術の習得にまでにはそれほど時間がかからなかった。自転車やバイクに乗っているときは大きなトラックが脇から追い越してくると、車体が揺れるほどでとっても怖かったがそれも解消できた。
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2020年10月19日月曜日 PM5時56分投稿
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午前中は曇りで、平日テニスも9時から11時まで問題なくできたが、ミスショットが多く、出来は散々であった。どこが悪かったか反省しようにも、いろんなところでボールを拾いに行けず、惨敗。テニスレッスンわ受けている生徒の悪い癖だが、打った方向にリターンを素直に返してしまうのでそれが、相手方にネット際に落とされたり、ロブであげられたりする原因だ。ショットされた方向に素直に返さず、打つ方向を適宜変えていくのが、プレヤーの鉄則だというのをときどき忘れてしまう。
学生時代、鹿児島に行ったことが数度ある。鹿児島中央駅でなく、西鹿児島駅地と言った頃に、行く度にチャーシューと豚骨が旨かった思い出のあるおばあちゃんがやってる駅左側にあったと思う汚い店に寄って、美味しく戴いた。昨日テレビで駅前にあった「のぼるラーメン」がレクストンホテルで再現されているというのをみたが、昔の鹿児島ラーメンを行って味わいたくなった。
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2019年5月27日月曜日 PM7時20分投稿
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明日までは記録的な猛暑30℃以上が続くとのこと。明日夜からの雨降りで一旦は落ち着くらしい。9時からのテニスもゲームは和やかに進めたが、酷暑で辛かった。dachs飼主は伊豆のサマーオレンジゼリーを持参したが、ほかのご夫婦は台湾旅行に行ってたらしく、パイナップルケーキを頂いた。
今年は平成31年から始まり今月からは令和元年となる。略称ではH31からR1に替わるのだろうか? R1はヨーグルトのような略称で軽すぎる感じがする。
dachs飼主はこれで3元号を経験することになるが、30年続いた平成は日本怠惰期(?)であり、なんといっても40年以上を経験できた昭和が平成より思い出も多く素晴らしかった思いが強い。ふと朝のテニスの待ち時間に昭和の記憶を独りで思い出してみた。
◎歌謡曲艶歌・浪曲
◎ララミー牧場・ベンケーシー・赤穂浪士・片岡千恵蔵・ひょっこりひょうたん島・てなもんや三度笠・アップダウンクイズ・ALWAYS 三丁目の夕日・・
◎粉末ジュース・赤とんぼ・めだか・先生の体罰・ブルーマー・シミーズ・ズロース
◎まくり・BCG・
◎テレカ・電話ボックスの中にアダルト系のチラシ多数・蠅取りリボン・老女の立ちションベン
◎現金で貰った給料袋・ハンドン後の麻雀
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2018年7月2日月曜日 PM10時00分投稿
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今日も抜けるような青空。エアコンが効いた院内もブラインドのあたりに立てば、ほんのりと暖かい(贅沢な気持ちだ)。仲間たちともう蝉が鳴き出してるだろうなぁ、聴きたいなぁとも話した。

難しい本で半分読み飛ばしたが中学時代によく読んだ
暇なので、入院中に
昔懐かしの職業を話していたのを思い出し、午後、水を飲みながら、仲間と昔懐かしいものについて2時間ばかり盛り上がった。アトランダムで系統だっていないが以下のような話題がでた。(いま思い出してるものだけ羅列)
◎「電話の呼び出し」「銭湯」「ちゃぶ台」「お櫃」「シェパード・ブルドッグ・スピッツ」
◎「番傘」「さいころキャラメル」「石炭ストーブ」「豆炭練炭」「ハクキン懐炉」「蚊取線香」
◎「真鍮弁当箱水筒」「オート三輪」「線香花火」「蚊帳」「玉暖簾」「ソノシート」「竹ひご」
◎修学旅行「絵葉書」「ペナント」「提灯」 「肥後守」「ボンナイフ」「像が踏んでもの筆箱」
◎「ローラー式洗濯機」「蠅取り紙」「女子専用脱脂綿」「一銭定食」「シミーズ」「赤チン」
◎包装「新聞」「竹の皮」 「水飲み鳥」「粉末ジュースの素」「みかん水」「駅の伝言板」
◎「東京ボンバーズ」「スクラップブック」「グリコおまけ」「ろばのパン屋」「鯨竜田揚げ」
◎「洗濯板と盥」「脱脂粉乳」「パックマン」「ろう石」「ホッピング」「マブチモーター」
◎「リーダーズダイジェスト」などなど
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2018年5月22日火曜日 PM9時39分投稿
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昨日、高齢者といろいろ話した中身の続き。
若いころ居た(あった)けれど今は無くなったことや職業などについて酒も飲まずに昼間っから語り合った。(順不同の走り書きメモ)
◎エレベーターガール 大丸で素敵な帽子とウェアに心ときめいた
◎エスカレーターガールもいた(登りしかない時代、手すりベルトに布を当てていた)
◎和文タイピスト、電話交換手、自転車で出前持ち、小学校前の怪しげなおもちゃ奇術売り
◎ポン菓子屋、風鈴売り、竿竹屋、行商人、赤帽、鋳掛屋、傘修理、貸本屋、飴細工屋
◎ワープロ・表計算 ジャストシステム一太郎・ロータス123
◎街頭テレビ・傷痍軍人・虚無僧、トロリーバス、靴磨き、チンドン屋、サンドウィッチマン
◎氷屋、紙芝居屋、金魚売り、銭湯の三助、豆腐屋、ロバのパン屋、御用聞き、付添婦
◎信号役をしていた巡査・駅改札の切符切り、踏切番、駅弁売り、かつぎ屋、灯台守
◎喫茶店などで貰うマッチ、切手収集、糞尿(おわい・肥料)屋、汲み取り屋、煙突掃除屋
◎ペンフレンド、夜霧のハウスマヌカン、鍛冶屋、バスガール、路線バスの車掌
◎押売り屋(訪問販売)、富山の薬売り、押し屋、鉄釘拾い(子供の仕事)
◎ヤミ米屋 、ちり紙交換、手荷物預かり所
[tip]生き方に迷った時に君子喩於義、小人喩於利、
『君子は義に喩(さと)り、小人(しょうじん)は利に喩る』
自分がどれだけ得をするか、いくらもらえるかを気にするのは仕方がないこと。だからと言って、お金ばかり気にするのもつまらない。それよりも、自分のために、人のためにどうすればまっすぐに誠実に生きてゆけるかを考えるほうが良い。そうすると大きな視野をもつことができる。[/tip]
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2017年4月18日火曜日 PM5時12分投稿
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今日からジムもテニスも検査入院終了の日(5月7日)まで約3週間、休止と決めた。午前中は雨風が強くて外に出る気もなかったので、ノートパソコンでデータベースの整理などをしていた。午後は風が強かったが近所の図書館まで歩いて行き、先週土曜日に予約した奥田英明の「オリンピックの身代金」を借り受けに行った。まだ1割強しか呼んでいないが、出稼ぎ労働者の実態や昭和40年代前後の田舎とオリンピックに湧く東京が描かれており、読み続ける興味を惹いた。東京は昭和50年代以降しか知らないが、東北など田舎の暮らしは兵庫県明石市のそれと大きく変わらないので興味深く読んでいる。「草加次郎」という爆弾魔がいたこともこの本を読んで思いだした。

今は補欠のBIOSで起動している状況
普段はノートPCを膝の上に載せてテレビなどを見ながらHP更新やブログ操作をしているのだが、複雑な画像操作や高性能な処理能力を要求される際には、自作デスクトップを使って行っている。ところが、先日写真のようなエラーが出て一次BIOSが壊れてしまったようだ。幸いDUALBIOSなので、一方が壊れてももう一方が代替業務を行い、Windowsを立ち上げて呉れるのだが、一つ困ることがある。2次BIOSが立ち上がるまで10秒近く時間がかかるので、電源ボタンを押してもしばらく待たないといけないし、待っても点くかどうかわからないのでちょっとイライラする。このマシンは
2009年5月に部品を購入し、組み立てて、
2012年暮れにCPU・GPUなども含め高速化してきた。まだ8年しか経ってないので、もう少し我慢しながら、ハードのご機嫌を伺いながら、使ってゆきたい。今度のリプレースは基盤・OSすべてリフレッシュし、空冷式から水冷式の冷却システムに変更したい。ノートPCは熱に強いが、デスクトップは意外に熱にもろい。
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2016年5月7日土曜日 PM9時31分投稿
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小冊子だが、50年ぶりの復刊となる
同人誌『島影』が我が家にも送られてきた。中学校以来の旧友4人で作った小冊子の第4号になる。第3号は大学時代に作っているのでほほ50年ぶりになるだろうか。懐かしかった。
午後は、テニス用のパラソルをホームセンターに観に行った。直径2m、高さ2m程度がベストだが、価格は2000円前後。それにパラソルを立てかけるポールスタンドが1000円ほどで、予算は合計3000円とみている。ただ、風には弱いので、少し強めの風が吹くと危険なので使えない。ポールスタンドには水を入れたり、砂を入れたりして安定性を高める工夫をしているが、強風には抗えない。それにしても最近は風が強い日が強く、テニスも苦労するが、先日植えた夏野菜の苗も何度も倒れ掛けて、復帰するの繰り返し。
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2015年8月6日木曜日 PM9時18分投稿
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都心では今日で連続6日間の猛暑日になり新記録だそうだ。熱帯夜も12日も続いているらしい。
昨日の8月号に引き続き、9月号用に「夏の涼」と題した僕たちの昭和物語素案をつくってみた。これで2年半かけた昭和コラムも丁度25回目を迎えるので、一旦休止としたい。
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近頃は野外よりも屋内で熱中症になる人が多いと言う。僕たちの若い頃はそんな言葉もなくて、30℃にもなると「日射病になるから家に居なさい」とよく昼寝をさせられた。あの頃祖父母などが「今年は一番暑い」と言ってたのを今ではその通りだと共感する。
よしずを張った縁側で昼寝の際は蚊帳と蚊取線香は欠かせない。家の周りに水たまりが多いのかすぐに蚊が手足顔にまとわりついてくる。蚊帳の中に蚊取り線香を5分も焚けばぽとぽとと面白いほど落ちてくるので、その後は中で煙臭さもなく1時間ほどぐっすりと眠れた。蚊取り線香の生産は岡山県がメジャーで我が家では、鶏の金鳥と西郷隆盛の南洲香を愛用していた。蝿の防除には「ハエ取り紙」が庭に面した部屋に数本ぶらさがっていた。粘着質の物質をリボン状の紙につけて、吊るしておくとこれも面白いようにハエがくっつく。いわゆるゴキブリホイホイの蝿版である。
エアコンは無いので、扇風機、うちわで暑さをしのぎ、風鈴や麦茶で涼を感じた。お風呂上がりに汗取りの天花粉(シッカロール)をあごや首周りにつけて浴衣を羽織って外に出る。おもてに帆布製デッキチェアーや床机を出して、近所の人たちと将棋を指したり、夕涼みをしたり、線香花火を楽しんだ。
その他、夏の涼で思い出すものとして「うちわ」「金魚鉢」「盥と行水」「アイスキャンデーやかき氷」「粉末ジュースやラムネと栓抜き」などなど尽きないが別の機会に続きを書いてみたい。
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2015年8月5日水曜日 PM6時49分投稿
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白黒テレビをメインに書いた
本日、ふれあい毎日8月号が発行された。dachs飼主の「僕たちの昭和ものがたり」第24回目が
掲載されたので、メモしておく。
我が家に待望のカラーテレビ様が入ってきたのは40年代も後半に入ってからだった。木目調で垂れ幕付きの観音開きの大型贅沢家電品で各メーカー「嵯峨」「名門」「王朝」「薔薇」などのネーミングがついて応接間に置かれていた。カラー番組はラテ欄でも、放映中のテレビ画面の右隅にも小さくカラーと表示されていた。テレビから見ている座卓まで長い接続コードが付いてはいたが、手元リモコンでチャンネルが変えられるのはとっても便利だった。字数の関係でカラーテレビの思い出は書ききれなかった。
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テレビは昭和30年には放送を開始していたが、大半の家庭ではまだまだ高嶺の花で、電気屋の店先や銭湯、街頭テレビで大相撲やプロレス、ドタバタ新喜劇などを大勢の人たちが立ち見でたのしんでいた。
自宅電話もなく、呼び出し電話を使わせて貰っていたお向いさんでテレビを見せて貰っていた。カラーテレビも30年代半ばから放送を開始していたが、わが家では40年代後半まで白黒テレビが2代も続いた。当時ほとんどの家庭にカラーのテレビは無かった。
映画でさえ総天然色ではなくパートカラーが多く、テレビ番組もモノクロ放送が中心だった。角丸のブラウン管で下側に大きなつまみが付いているだけの白黒テレビでも高価な家電品で家族皆が大切に扱った。
テレビの正しい見方は、ブラウン管の直径7倍の距離から部屋を暗くして見るとされていた。選局もリモコンではなく、ロータリー式のつまみで「ガチャ、ガチャ」と乱暴に扱うとスポッと抜けてしまう。
機嫌が悪いと画面がコマ送りみたいに上から下へ流れたり画像が歪んだりするので、頻繁に裏側の結線を確認したり前面つまみで微調整した。真空管式なので電源オンになってもすぐに映像は出ないなど細かなことはあったが「面白い番組を見るために」と思うとそんなことはたいしたことでは無い。
あの頃のテレビは家族全員で見るような西部劇やホームドラマがたくさんあった。今と違って、ドラマも30分枠の単発連続番組が多く、毎週一家団欒で楽しめたような気がする。
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2015年8月4日火曜日 PM6時03分投稿
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7月は愛子婆さんの告別式がトップ記事
今日で都心の最高気温35℃超が連続5日の都心歴代猛暑一位となった。2010年も暑かったが、今年はもっと熱くなるのではないかと思う。
少し遅れたが
愛犬暦に7月を加えた。なにやかやと愛子婆さん告別系が7月の思い出となる。

リボン型の粘着紙
子供の頃の夏の風物は蚊帳と蚊取線香、ハエ採り紙を先ず一番に思い出す。蚊帳は知らないが、蚊取線香とハエ採り紙は岡山産である。蚊取線香は大日本女中菊株式会社から出されているが今の金鳥である。少し高かったがポトポトと蚊が面白いほど落ちた。蚊帳を張って寝る前に金鳥蚊取りを5分程焚くと蚊帳の中は一匹も居なくなるのであとは蚊帳の裾を注意しながら上げて自分が入ればあとは朝までグッスリ眠れるというわけである。これより安い蚊取線香で西郷隆盛の絵が入っている「南州香」も我が家では良く使った。これは人畜無害の「南州香」がキャッチコピーで線香独特の強い匂いが少ないので年寄り子供には好評だった。ハエ採り紙はカモイの「リボンハイトリ紙」を使っていた。粘着質の物質をリボン状の紙につけて、天井に吊るしておくとこれも面白いようにハエがくっつく。いわゆるゴキブリホイホイの蝿版である。ハエ採り紙は後日カモイからもっと安いアース製薬に取ってかわられるが、アースも岡山県か兵庫県に大きな工場があった。黄色い紙に大きく赤字で「アース」と書いたハエ採り紙はたいへんインパクトがあった。飲食店では薬が使えないや強い匂いはご法度なので、無味無臭のハエ採り紙は最適。しかし、あまり死んだ蝿がべたべたついている紙を店先に吊るしておくのは美観を損ねるので毎日のように新しいリボンに替えていた筈。カモイもアースも大儲けをしたと思う。
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2015年7月28日火曜日 PM9時02分投稿
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ラジオに比べると、テレビの普及には15年程度かかっている。価格が異常に高価であったのと、カラー番組放映が順調に進まなかったせいではないだろうか。
テレビは昭和30年の頃には既に放送を開始していた。しかし大半の家庭では、まだまだ高嶺の花で電気店のショーウィンドー、銭湯や街頭テレビで、大相撲やプロレス、ドタバタ新喜劇などを大勢の人たちが立ち見して愉しんでいた。呼び出し電話を使わせて貰っていたお向いさんでもテレビを見せて貰っていたことがある。カラーテレビは30年代半ばから放送を開始していたが、我が家では40年代後半まで白黒テレビが2代も続いた。映画でさえ総天然色ではなくパートカラーが多く、テレビ番組もモノクロ放送が中心だったので当時ほとんどの家庭にカラーのテレビは無かった。
角丸のブラウン管で下側に大きなつまみが付いているだけの白黒テレビでも高価な家電品で家族皆が大切に扱った。テレビの正しいみかたは、ブラウン管の直径の7倍の距離から部屋を暗くして観るとされていた。選局もリモコンではなく、ロータリー式のつまみで、「ガチャ、ガチャ」と乱暴に扱うとスポッと抜けてしまう。また、機嫌が悪いと画面がコマ送りみたいに上から下へ流れたり画像が歪んだりするするので、頻繁に前面の微調整つまみや裏側の結線状況で調整確認した。真空管式なので電源オンになってもすぐに映像は出ず、初期の蛍光灯のように画像を待っていた。
あの頃のテレビ番組は、家族全員で見るような西部劇やホームドラマがたくさんあって一家団欒を楽しめたような気がする。今と違って、ドラマも単発30分枠の番組が多く、長くても1時間くらいだったのではないだろうか。
我が家に待望のカラーテレビ様が入ってきたのは40年代も後半に入ってからだった。木目調で垂れ幕付きの観音開きの大型贅沢家電品で応接間に置かれていた。カラーについて各メーカーは松下ーパナカラーー嵯峨、ソニーートリニトロンカラーー?、日立ーキドカラーーポンパ、三洋ーサンカラーー薔薇、東芝ーユニカラーー名門、三菱ーネオカラーー高雄、日本電気ー?ー太陽、ゼネラルー?-王朝、コロンビアーホワイトカラーー世界だったと思う。
カラー番組はラテ欄でも、放映中のテレビ画面の右隅にも小さくカラーと表示されていた。テレビから見ている座卓まで長い接続コードが付いてはいたが、手元リモコンでチャンネルが変えられるのはとっても便利だった。
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2015年7月20日月曜日 PM4時36分投稿
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今週末25日は関西の義兄の家で愛子婆さんの四七日法要が行われるので前日に飛行機で現地入りする。ところが、遺骨がはいっている箱が重くて大きいので手荷物として乱暴には出来ないのでいろいろ考えて郵パックで送ることにした。遺骨は郵パック以外のサガワや黒猫など宅配業者では配送はして貰えないことを初めて知った。関西方面では咽喉仏や腰骨など僅かな量の遺骨しか骨上げはしませんが、関東では遺骨は原則すべて持って帰らないとならない。已む無く大きな骨壺(9寸)と分骨用として関西小さな骨壺(3寸)を用意して貰ったのだが、こちらに置いておくわけにはいかないので関西に持ってゆく。関西では、ちなみにお墓には小さな骨壺だけを納めることになる。大きなほうはお寺と相談することにする。話は関連するが今回の斎場お骨上げの際、係員がすべての遺骨を壺に納めるために、槌で頭部や腰骨を叩いたり折ったりシャベルで骨粉1gたりとも余さず救う姿に、関西人のDachs飼主として、とても衝撃を受けた。
ツレアイが愛子母さんの荷物を整理している。その中に愛子さん専用の裁縫箱が見えた。dachs飼主が子供の頃、裁縫箱にはマッチのような待ち針、掴む時にこわごわの針山や三角形の蝋石のような青いチョコ(と言ったかな?)などが入っていた。木綿のカタン糸と巻き込み用の(糸)コマはミシン全盛の今でも、まだ売ってるのだろうか。カタン糸の車は図画工作の時間にタンク(戦車)やロボットの部品として使っていた記憶がある。
裁縫箱には毛糸も入っている。毛糸編みも冬は母がよく精を出して家族のセーターや手袋、マフラー(当時は首巻きと言ってた)を造ってくれた。毛糸のマフラーは今の化繊製より暖かかった気がする。メーカーではスキー毛糸やクローバー毛糸というのがあったように思う。その毛糸を上手にほぐして、編み目の付いた毛糸を、熱い湯の中をくぐらせて、再度編みなおしの出来る直の毛糸にしてゆきます。まっすぐになった毛糸をこぶしに巻いて球体に造っていくのは、(途中で転がしてもう一度やり直したり)たいへん面白かった。
小学校高学年の時は近所の姉ちゃんたちにリリアンという一本編みを教えて貰い、長い間かかって首巻を完成させたこともある。この糸は伸縮性のあるソフトでカラフルな糸だった(筈)。
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2015年7月17日金曜日 PM6時14分投稿
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台風11号は昨夜から12時間もかけて四国中国を風と雨で直撃したが、その余波で関東地方も割合何度も強弱こもごもだが俄か雨が降った。朝9時からのテニスでも、前半に結構降られ、人が集まらず、2人ほど電話してうち一人が出てきてくれ2面取っていたがなんとか4人で愉しめた。後半は晴れて気持ち良くプレーできた。帰りにはウリエルもコートに迎えに来てくれた。

とっても高い家電新なので大事に扱った
午後は、月刊コラム「僕たちの昭和物語」8月号掲載用の原稿を作成し、編集部にメール送付した。7月号は
ラジオを掲載ので、昭和30年代から40年代に家庭に長い時間かけて入っていったテレビを白黒からカラーに移る様子を我が家のテレビを中心に寄稿した。テレビの思い出は皇太子(現今上天王)ご成婚と東京オリンピックを一番に思い出す。昭和30年半ばからカラーテレビは既に放送を開始しテレビ自体も発売されてましたが、我が家では30年代から10年かけて40年代後半にやっとカラーテレビジョン様が導入された。その頃は大学時代に必死に観たあの映画でさえも総天然色では無くパートカラーだった。白黒テレビはその間2台を買い替えた。古い話を思い出しながら書いたので作成に約3時間を要した。
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2015年6月6日土曜日 AM11時10分投稿
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今日は夕方テニススクール仲間の宴会。幹事になっているので少し準備をしてはやめに行かなければならない。1名の仲間が来月から1年半外国駐在するのでその記念品の準備もしておく。

昭和物語第22回目原稿
水曜発行の「ふれあい毎日」15年6月号にdachs飼主のコラムが掲載された。ホームページ見習い文筆の
昭和コラムにアップしておいた。以下はその全文。
今年も鬱陶しい梅雨の季節がやってくる。食べ物が黴び、部屋が湿っぽいのは困りものだ。雨の日は外遊びができなかった幼い日を思い出す。
少しの雨でも親は長靴(ゴム長)を履かせたがったものだ。運動靴は軽いが、ゴム長を履くと重いし、走れない。昭和30年代、街の幹線道路は僅かにアスファルト舗装をしていたが、ほとんどの道路は土の道で雨が降ると水たまりができ、ぬかるむ。
洗濯する者の身になれば雨靴は必須だが子供たちはとても嫌がった。通学路で車が横を通ろうものなら、傘を素早く横にして泥はねを避けていた。「泥をかけられたら車のナンバーを覚えておいて警察に通報するのだよ」と親や先生からも言われたが一度も届けたことはない。
もう一つは雨傘。あの頃、男の子は黒い木綿張りの小型のこうもり傘を差して通学した。当時、どの家にも番傘、またはから傘と言われる油引きの紙の傘が2、3 本はあり、近所にお使いに行く時はこの傘で表に出た。紙の割に比較的重く、子どもにはキツイのだが、雨が傘にすごく大きい音であたるのが痛快で気持ちよく感じられた。傘骨が竹材なのも気に入っていた。
女性用に軽い蛇の目文様の傘もあった。蛇の目傘は浅草仲見世で購入できるらしいが、一本くらいは家に常備してあの懐かしい雨の音をもう一度聞きたいものだと思っている。しかし、番傘は傘の立て方が上下逆なので傘置き場では折り畳み傘と同様、困ってしまうのかも。
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