お弁当箱
娘が昨日から新しい弁当箱と保温ポットを持って出勤していった。保温ポットも1000円前後で軽くて保温性の高いかっこいいものが増えている。dachs飼主がテニスジムに持っていっているのは350mlポットであり、夏冬関係無く氷を3分の1ほど入れたスポーツドリンクを入れている。ドリンクは糖分などが多いというので1割ほど水で薄めたものを飲んでいる。
弁当箱もプラスチック製で可愛く軽くて保温性密封性の高いものが多い。我が懐かしの義務教育時代は灰色のアルマイト製で、せいぜいお菜入れが別になって汁がこぼれないようパッキンゴムのついたもの程度が新型であった。母が毎朝作ってくれたことには感謝しているが、他の生徒からおかずの中身を見られるのがとっても恥ずかしくて、蓋で上部半分を隠しながらこそこそと食べていたのが強く印象に残っている。秋の運動会のお弁当のお菜も他所の家のそれとよく比較し、家風も考えずに見当外れな考え違いをして一喜一憂していたものだ。
食べ終わると小使さん(当時は用務員とは言わなかった?)の運んできた大きな薬缶からお茶をその弁当箱の蓋に注いで飲んでいた。薬缶は教室中央のだるまストーブの上にあったので、火傷に注意しながら小さな蓋に少量入れるのがこわごわで隣の子と共同で入れ合いっこした。
よくぞ幼少期のことの詳細を覚えているものですね・・
弁当の思い出は全くない!
給食の無い期間、アルマイトの弁当箱とだるまストーブはよく覚えていました。
遅ればせながら、弁当に関する悲しい思い出です。私こと、福岡県は大牟田市、炭鉱町の出身。小学校の校区にも大きな炭鉱社宅があり、小学生のころは三池争議の真っ最中(多分)。炭鉱不況で炭鉱マンは給料もない、みんな貧しい。5~6年生のころ、「遠足の弁当は贅沢❗、弁当禁止」となった時期がありました。弁当の代わりは学校給食のパン。ご馳走のない時代、遠足の弁当はちょっと豪華で楽しみだったのにこれが取り上げられてしまいました。学校の先生達も苦労したのだろうと思いますが、あれはつらかったなあ。ちなみに初めは給食を運ぶ箱に入れてみんなで交代で運びましたが、途中から小使いさんが車で運んでくれるようになったのを覚えています。
大牟田は九州福岡の海沿いなんですね。なぜか完全に大都市久留米と勘違いしてました。