骨上げ 裁縫箱
今週末25日は関西の義兄の家で愛子婆さんの四七日法要が行われるので前日に飛行機で現地入りする。ところが、遺骨がはいっている箱が重くて大きいので手荷物として乱暴には出来ないのでいろいろ考えて郵パックで送ることにした。遺骨は郵パック以外のサガワや黒猫など宅配業者では配送はして貰えないことを初めて知った。関西方面では咽喉仏や腰骨など僅かな量の遺骨しか骨上げはしませんが、関東では遺骨は原則すべて持って帰らないとならない。已む無く大きな骨壺(9寸)と分骨用として関西小さな骨壺(3寸)を用意して貰ったのだが、こちらに置いておくわけにはいかないので関西に持ってゆく。関西では、ちなみにお墓には小さな骨壺だけを納めることになる。大きなほうはお寺と相談することにする。話は関連するが今回の斎場お骨上げの際、係員がすべての遺骨を壺に納めるために、槌で頭部や腰骨を叩いたり折ったりシャベルで骨粉1gたりとも余さず救う姿に、関西人のDachs飼主として、とても衝撃を受けた。
ツレアイが愛子母さんの荷物を整理している。その中に愛子さん専用の裁縫箱が見えた。dachs飼主が子供の頃、裁縫箱にはマッチのような待ち針、掴む時にこわごわの針山や三角形の蝋石のような青いチョコ(と言ったかな?)などが入っていた。木綿のカタン糸と巻き込み用の(糸)コマはミシン全盛の今でも、まだ売ってるのだろうか。カタン糸の車は図画工作の時間にタンク(戦車)やロボットの部品として使っていた記憶がある。
裁縫箱には毛糸も入っている。毛糸編みも冬は母がよく精を出して家族のセーターや手袋、マフラー(当時は首巻きと言ってた)を造ってくれた。毛糸のマフラーは今の化繊製より暖かかった気がする。メーカーではスキー毛糸やクローバー毛糸というのがあったように思う。その毛糸を上手にほぐして、編み目の付いた毛糸を、熱い湯の中をくぐらせて、再度編みなおしの出来る直の毛糸にしてゆきます。まっすぐになった毛糸をこぶしに巻いて球体に造っていくのは、(途中で転がしてもう一度やり直したり)たいへん面白かった。
小学校高学年の時は近所の姉ちゃんたちにリリアンという一本編みを教えて貰い、長い間かかって首巻を完成させたこともある。この糸は伸縮性のあるソフトでカラフルな糸だった(筈)。
Dacks飼主の記憶力、驚きです。それってご両親に愛され、兄弟仲良く、いい家庭で育ったことに起因しているのでしょう。
2年以上前から千葉県ローカル毎日新聞社系のふれあい毎日という月刊新聞の3面に、「僕たちの昭和物語」というエッセーと言うかカラムのような文章を書かせて戴いております。
はや今月で23回目となっています。大学に行くまでの懐かしい話を記憶をたどりながら書いています。拙文ですが時間あるときにご覧ください。
http://dachsjp.com/SYUMI/M1HSYOWA.htm