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2009年5月11日月曜日  PM9時09分投稿 

まるたけ

 今日から本格的に仕事をしなくては・・・・
夏場に向かってこれからが、私たちの会社の仕事は忙しくなる。今日は月曜日なので、いつもより1時間ほど多く仕事をして、かえってきた。

popye 2本入り DVD

popye 27本入り DVDが2枚

  写真をCFに取り込む際、カメラのほうで、9999枚を超えると、自動的に最初の1に戻ってしまう。そのため、CFをPCに取り込んだ後、ファイル名を変更してくれる、「まるたけ」というのがあり、いつもこのソフトを愛用している。今回PCをクリーンインストールしたので、再度このサイトからダウンロードしようとおもった。しかし、何度やってもうまくいかない。仕方なく、古いマシンからソフトを保存して復元した。しかし、不思議だ。どうしてうまくダウンロードできないのかわからない。それ以外新マシンの調子は絶好調で、SSDも静かでアクセス速度も目に見えてはやい。立ち上げも今までの多分1/3以下に短くなったと思う。
 帰りに夕刊を買おうと重い、ヤマザキディリーストアに寄ったところ、雑誌コーナーに右上のDVDを見つけた。子供のころ白黒テレビしかなかったが、良くこのアニメを見たもんだ。懐かしく思い出されい、またも衝動買いしてきた。27本の話が3時間半にわたり納めめられているそうだ。子供のころのことを思い出せるかどうかわからないが、白黒アニメをカラーアニメーションで見られるのは感動ものだ。ポパイとオリーブ、ブルートに再会できる。著作権が切れているので、980円で買えたのも嬉しい。

2007年11月15日木曜日  PM8時35分投稿 

2本立て

 昨日、消化の為に休暇を取ったので、今日は月曜日の気分。あすもう一日出勤すればまた土日と休める。休みの日はジムやテニスに明け暮れているが、たまには違った土日を過ごしてみたいと思っている。ぜひ見たいと思っている『3丁目の夕日』のロードショー公開はいつまでやってくれるのだろう。義母愛子が12月下旬に正月を千葉で過ごすために遊びに来てくれるのだが、年末まで興行してくれるのだろうか? ロードショーはもちろん1本の映画だけを見るためにお客さんが足を運んでくれる。数年前までは映画の日(毎月1日?)のみが1,000円でそれ以外は2000円近くしていた。しかし最近は映画人口がレンタルDVDや地デジに圧されたのかどうかしらないが、映画館は毎日のようにナントカデーを設定しては1,000円の値段設定をしており、気軽に映画館に行けるようになった。
 Dachs飼主が若い頃は映画は週代わりで2本立て興行だったような覚えがある。新聞社の週刊ニュースを見て、来週の予告編を見て、2本の映画を堪能していた。場末の2流館では3本立て興行もあった。料金も大人30円、子供15円くらいだったと思う。小中学生の頃は怪談映画でギョッとし、動物映画に感動し、チャンバラ映画で勧善懲悪や痛快時代劇を楽しんだ。ゴジラをはじめとする特撮映画もモノクロだったが恐くて大変面白かった。高校時代に入ってDachs飼主は関西に居たので、大阪梅田でシネラマという立体映画を見て大変衝撃を受けた。梅田OS劇場だったはずだ。

2007年7月13日金曜日  PM8時12分投稿 

懐かしい思い出

 昨日、コピーワンスのDVDに関して苦闘した話を書いた。今日のニュースでは、当件に関して、10回まではコピーできるようにする方向で行政側で検討を進めていると言う。10回の根拠は標準的な3人世帯で1人3回までコピーをしてもよいのではないか、という理由らしい。
 また、昨日のNHK日めくりトラベルで昭和38、42,43、52,57年が出ていて、ニュースをじっくり見ると、知ってるニュースに関連するいろいろなできごと(学校・会社・友達・家族など)を思い出してたいへん懐かしかった。こういうニュースを見直すのも楽しい。
 今日は九州方面で台風4号の影響が色濃く現れて、大災害とのこと。明日は関西、明後日未明には関東が影響を受けるらしい。土日月と出勤なので先週と同じように電車事故が起こらなければと心配している。

2007年6月21日木曜日  PM10時10分投稿 

還暦達成

自分に還暦おめでとう Dachs飼主にもやっと、本日、還暦の日となった。数え年60歳の正月だとか、61歳の正月だとか、説は入り乱れ、イヨイヨ還暦だね!と昨年正月くらいからカラカワレてきたが、本日満60歳の誕生日を迎えることができた。ツレアイからは朝、起きてリビングに座った際、「誕生日、おめでとう」と言われた。また、午前中2人、昼休みに3人、午後2人の計7人の友達から携帯デコレーションメールを貰えた。普段、メールなどそんなに貰うこと無いので、腰につけている携帯がブルブルとバイブレーションするたびに、こそばゆかった。
 関西の知人は殆ど同年代の人たちだったので、自分も近いせいかわが身のことを考え『激動の時代』や「シュトゥルム・ウント・ドランク(疾風怒濤)の時代」を良く生き抜いた、進学就職難、学生闘争、バブル時代、・・・いろいろあったね、と思い出しながら長文を打ってくれた人もいた。
 60年というと、約2万2千日、そのうち、起きてる時間だけでも30万時間も手足や目頭を動き回していたことになる。感慨深い。残りの人生は余生と考えず、健康と趣味を大切にしながら、アクティブに生きて行きたい。しかし仕事だけは、お手伝いする気で動き、あまり出しゃばらないことが良い。
 仕事といえば、明日夜は、まだ勤務して3年目にしかならないDachs飼主を「還暦を祝う会主役」として有志が、飲み屋に招待していただけるそう。とても嬉しいお誘いで、これからも会社の人たちとはますます親交を深めてゆきたいと思っている。

2006年11月17日金曜日  PM10時29分投稿 

菊名と野毛

秋も真っ只中 菊も満開 朝晩、だいぶ寒くなってきた。これはこの前の日曜日撮った庭に咲く菊だが、これに限らず、今どの菊も満開である。明日土曜日、どこにもウォークの予定が無かったのだが、菊を見ているとなぜか野毛山公園に行きたくなった。
 結婚前、と言っても30年も前の話になるが、関西出身のDachs飼主は当時、東京虎ノ門にある第17森ビルという中にあるオフイスで働いていたが、その時住んでいたのが横浜市港北区大豆戸町にあった独身寮「菊名寮」である。後にも先にもここは一番狭い住まいであった。トイレ、洗面、風呂、洗濯機などはすべて共用で一人一部屋の独身寮とは言え、部屋の広さは僅か3畳、ベッドと机が入った状態で縦3メートル、横1.5メートル程度の牢屋のごとき部屋。したがって、ベッドと机が部屋の片方大部分を占有し、反対側は通路(廊下)と戸棚しかないようなところでした。帰っても詰まらないので、会社やお得意先さまで夜遅く仕事をしていたのを思い出す。また休みの日は東急線で少し乗ると桜木町や青江美奈の伊勢崎町があるので足を延ばした。夜は野毛の労務者が溜まる屋台風のいっぱい飲み屋に小銭を持って飲みにも行った。菊名駅の近くの「養老乃瀧」は一杯飲んだり、一皿ツマミを取るたびにお金を都度取られてびっくりして以来、その頃は必ず小銭を気にしながら飲んでいたように思う。現代でも都度現金払いは立ち食い蕎麦屋以外でもあるのだろうか?
 ここは3年ほどして結婚してしまったので、あれ以来数えるほどしか横浜地区へは行ってない。みなとみらい博覧会もランドマークタワーもしらない。今年5月に中華街の近くのマッスルミュージカル公演を観に行って以来となる。明日午前中雨が降ってなければ野毛山動物園に顔を出してみよう。野毛にも菊が満開の場所が確かあったと思う。独身寮はもうなくなっているかもしれない。

2006年11月10日金曜日  PM10時00分投稿 

べら

べらを今すぐ食べたい 夕食は鯵の南蛮漬けを食べた。鯵は安いが揚げて酢でシメテ食べると結構旨いおかずや肴になる。食べていて思い出した大衆魚がある。こちらの魚屋で見ないのだが関西では「べら」という魚を良く食べた。昔、我が家から500メートルも南に向かうと、海岸になり、そこは瀬戸内海の一部であり、明石海峡である。小さい頃、船で海(この地域ではマエノウミと言う)釣りに連れて行って貰うことがあるがよく釣れるものは「きす」「べら」「てんこち」「あぶらめ」の類であり、たまに蛸もかかってくれた。関東では「きす」は見ることあるがその他の魚は魚屋で見かけたこともない。特に写真の「べら」は白身の魚で煮付けが旨かったと記憶しているが、東京近辺で食べさせてくれるところはないだろうか。庶民の大衆魚だが、思いだすと、むしょうに食べたくなってくる。煮付けは関西では新鮮なマエノウミで獲れたての「めばる眼悪」、「鰈・平目」、「鯛」がとても美味しかった。
 そうそう、明日は神奈川県三浦半島でウォーキングだが、お昼ごはんは新鮮な魚介類を寿司で食べてきたいと思う。会社に行く時間に近い午前7時前出発予定。

2006年6月3日土曜日  PM10時17分投稿 

貸本

 梅雨にはまだあると言うのに、朝から終日天気が悪く今にも雨が降りそう。お昼間も20℃を切っており、ワイシャツ・Tシャツ1枚で外出するととても肌寒い。梅雨と言えば、1週間ほど前から紫陽花の花が咲いているのを良く見るようになった。
貸本マンガの表紙 図書館で貸本マンガ史研究会編著「貸本マンガRETURNS」ポプラ社刊 というのを借りてきた。Dachs飼主の小中学校時代(1955年から10年間ほど)の僅かな期間に栄枯盛衰を迎えた貸本屋だが、団塊族にとっては、必ず訪れたことのある筈だ。懐かしい漫画家がこの本の中に活き活きと描かれていた。貸本専門誌では「影」「窓」「街」などがよく読まれ、題名は忘れたが、つげ義春、棚下照生、辰巳ヨシヒロ、永島慎ニ、わちさんぺい、楳図一雄、佐藤まさあき、さいとう・たかを、小島剛夕、長谷邦夫、貝塚ひろし、水木しげる、平田弘史、K・元美津、小島功、つのだじろう、影丸譲也、園山俊二などの絵は覚えている。
 少年漫画ではイガグリ君(福井英一)、鉄腕アトム(手塚治虫)、赤銅鈴之助(竹内つなよし)、まぼろし探偵・月光仮面・8マン(桑田次郎)、天馬天平・矢車剣之助(堀江卓)、ロボット三等兵(前谷惟光)、ちかいの魔球・紫電改のタカ・ハリスの旋風(ちばてつや)、鉄人28号・伊賀の影丸(横山光輝)、サスケ・ワタリ・カムイ外伝(白土三平)、おそ松くん(赤塚不二夫)、サイボーグ009(石森章太郎)、忍者ハットリ君(藤子不二雄)、スーパージェッター(久松文雄)、巨人の星(川崎のぼる)がこの期間の代表作(つまりDachs飼主の読んだ漫画)。
 高校に入ってからは学生時代も含め漫画とは縁が切れていたが、会社の独身寮で「さ武と市捕り物帖」や「ゴルゴ13」、ビッグコミックを読んだ覚えがあるが、30代はちばてつやの単行本「俺はてっぺい」「あしたのジョー」ぐらいしか読んだ覚えがない。会社に入ってからは喫茶店・床屋や大衆食堂で漫画雑誌が置いてあったが、なぜか小中学時代のように読みに行こうとはしなかった。これを読むと次に読みたくなるという麻薬のような臭いがあるので、辞めたのかもしれない。確か、「HOTEL」という漫画が始まった頃にはコミックは卒業したと思うが、あれは何時頃のことか。
 ブログの右側カレンダーの変更とちょっと一休みに時計を追加してみた。

2006年3月23日木曜日  PM10時51分投稿 

キックベース

 先日まで約2,3週にわたり、楽しませてくれたWBC(野球世界選手権)で王監督率いる日本が世界一の座に立つことができた。最初は韓国やアメリカに負け、マイナー審判の誤審、観客によるライトフライ捕球妨害などが重なり、ぎりぎりの場に立たされたが、19,21日の韓国・キューバ戦では溌剌・活き活きとした奮戦で日本国民を沸き立たせてくれた。昨日夜のニュースでも、トップでとりあげられ、監督や幾人もの選手がインタビューを受けていた。トリノオリンピックで金1個だけ(パラリンピックで日本は金2など合計9個の快挙)だったのもメディアのとりあげ方破格扱いの原因か。今週は春のセンバツ・大相撲、週末からプロ野球開幕など話題は盛りだくさん。WBC主役は王監督・イチロー、松坂上原投手に取られたが、今年のプロ野球は若干興味を持つ人が増えるのではないかと思う。
 Dachs飼主は普段アマプロとも野球観戦はしない。父がヘビースモーカーでテレビは野球がずっとかかっていたので何となく、煙草も野球も嫌いになったのかもしれない。しかし、1昨日だけはWBC決勝戦を放映しているテレビを点けていた。視聴率は最高56%までいったらしい。ライバルの生放送でも「これが終わると野球を見なくては」と言ってるタレントもいた。
 昔は野球は軟式・硬式のしっかりとした野球ではなく、空き地や野原で立木やペンキ缶などをベース代わりにして(塁は2塁までの3角形グラウンド)低学年はテニスボールや軟球で遊んだ。高学年になってグラブを使いだしたので球はソフトボールに替わった。ひところ、トップというボールを使ったが怪我が多いので我々遊び仲間では止めてしまった。「トップボール」というのは1,2バウンドまでは自然だが、3バウンド目でぐっと球が低く伸びるので小怪我が続出。この頃、近所のおにいちゃんが知ったかぶりで「カーブ」「ドロップ」などの投げ方をコーチしてくれたが、掌が小さいので、ボールを握り切れなかった。
 グラブ(関西方面ではグローブと言う)も低学年の頃は母が作ってくれた布製、高学年になっても豚革の安物だったが中学に入ってからは牛革のものを買ってくれた。グリース(と言ったか?)をグラブに擦りこみ、革を十分になめした。小学時代校庭でグラブのない時はドッジボールやゴム製ボールを道具部屋から取り出して、キックベース(ボール)を楽しんだ。これは女子も参加して大いに沸いた覚えがかすかにある。

ビールといかなご釘煮 帰宅してみると、関西でたいへんお世話になってる人から嬉しい贈り物を戴いていた。春の到来を告げる『いかなご釘煮』である。まだ時期的に早いのか稚魚を戴いて早速食したが、これはまたこれでたいへん美味い。あとでビールのつまみで今夜ゆっくりいただくつもりだが、旨いとあまり度を過ごすと、塩分過多になる。歳を考えて、程ほどにせねば。でも、やはりいかなごは旨い。関東で売ってないのはたいへん寂しい。

2006年3月7日火曜日  PM11時06分投稿 

宗教番組

 深夜、というより朝方になると思うが、TBSでは確か聖教新聞系の番組をやってるようだ。夢見心地で聞くともなしに聞いてることがある。
 テニスを終わって、帰る車の中で、ふとラジオ番組でルーテルアワーという番組を思い出した。別にキリスト教もその他宗教も信仰しているわけではないが、昭和30年代にこの番組は毎週聴いてた感じがする。昭和30年代、朝日放送か毎日放送ラジオと思うが、毎週日曜日の朝30分番組でやっていた。決めのフレーズは「この人を見よ」、「こころに愛がなければ、相手の胸に響かない」。内容は「困っている人を助けましょう」、「右の頬を打たれたら左の頬を出しなさい」、「一日一膳」的なドラマだったが、朗読(大平透?)も役者の演技もそこそこ上手だったので、子供の頃良く聴いた。ルーテルというのが宗教改革のマルチンルターのことだと社会の時間に見つけたときはなんとはなく感心感動したようだ。Dachs飼主たちの小学生時代は楽しみはラジオ番組であり、「お父さんはおひとよし」「夫婦善哉」「3つの歌」などを思い出す。もう50年近くも前の話になってしまう旧いはなし。

2006年2月27日月曜日  PM8時22分投稿 

週刊新潮創刊50年

週刊新潮の創刊号 今日、昼食後なにげなく本屋に寄ったら、雑誌コーナーに別冊週刊新潮 創刊50周年記念と題して50年前に発行した復刻版が出ていた。珍しいので早速入手。今から50年前というと、飼主が小学校低学年で昭和31年で、今年平成18年は昭和81年にあたることになる。昭和31年はマリリンモンローがアーサーミラーと結婚、石原慎太郎が太陽の季節で芥川賞を受賞、岸信介は未だ首相の座に座っていなかった。この頃、新幹線岐阜羽島駅設立の祖大野伴睦氏が活躍。「週刊新潮は本日発売です」というフレーズが我々には特に懐かしいが、連載小説についても当時は、表紙にあるように谷崎潤一郎のほか、五味康祐、大佛次郎、石原慎太郎、室生犀星、柴田錬三郎、井上靖などが筆をとっていた。金銭感覚では、国家公務員の初任給が8700円、珈琲50円、かけそば、国鉄初乗り運賃、週刊新潮がいずれも30円。新聞代月極330円、10本入りピース40円、ビール大ビン125円、トリスウィスキーポケット瓶125円、赤玉ポートワイン210円、14型テレビ9万円、冷蔵庫7万円。大衆車日産ダットサンが1台80万円もしたそうである。50年は本当に長い。

2006年1月31日火曜日  PM10時27分投稿 

化粧品

 健康食品や化粧品の媒体広告がいやに増えている気がする。先日書いた前立腺肥大症状を軽くするノコギリヤシは毎日一粒飲んでいるがこれは医薬品ではなくサプリメント(総合栄養健康食品)らしく、薬のように食後30分白湯または水にて服用とは書いていない。化粧品も薬ではないが日本メーカーの販売主力はスキンケア製品でありサプリメントと目的は大差ない。化粧品広告で以前知らなかったがSK-Ⅱというのがガンガン広告を飛ばし海外でも大評判だが調べてみるとマクスファクター(製造P&G)であり、サプリメントのメーカーでDHCというのをよく目にしたりするがこれはもともとドコサヘキサ***の略ではなく会社の名称が大日本翻訳センターであり、それの略称で今も翻訳の仕事をしているとのこと。カネボウ化粧品の没落からはじまり、ドラッグストアやコンビニ取扱化粧品サプリメント業界はまさに群雄割拠時代に突入している。
 昔から薬や化粧品は利益率が他製品と比較して異常に高いので営業戦略さえ良ければ並みの製品でも相当儲かると関係先に勤めている友人から聞いたことがある。そう言えば化粧品のメーカーだけでも昔から資生堂、カネボウ、ポーラ以外に、思いつくだけでもマダムジュジュ、明色化粧品、柳屋、キスミー、丹頂、桃谷順天館、近江兄弟社、クラブ、ピアス・・・などいろいろあった。現在でも店頭販売から訪問販売さらに通信販売と業態は増え、コーセー、花王(ソフィーナ)、ロレアル、ファンケル、ノエビア、ナリス、エイボン、オッペン、ヴァーナル、メナード、マンダム、レブロン、ポンズ・・・とカタカナ文字で素敵な化粧品メーカーが並んでいる。Dachs飼主の若い頃は資生堂MG5,カネボウVitalisなどのヘアケア製品から育ってきた。化粧についてはあまり興味は湧かず、寝癖を抑えるためヘアートニックとヘアーリキッドだけを使い、顔につけるスキンケアクリームは全く使わなかった。東京での独身寮時代、毎晩のように飲み屋や雀荘でアルコールや煙草臭に汚染されていた生活だったので、スキンケア製品は使っておけば良かったカナと後悔している。独身寮に入居した日、関西にいる親爺が化粧品を送ってきた。資生堂やカネボウなど一流品ではない柳屋製のヘヤートニック2本セットだったが、彼にとって精一杯のプレゼントだと言う気持がたいへん嬉しかった。

2006年1月30日月曜日  PM10時45分投稿 

鯨竜田揚げ

美味しく戴きました 竜田揚げ 先週のニュースによると、鯨の販売量が増えているようだ。1986年から商業捕鯨は禁止されているが、ノルウェィと日本が調査捕鯨と称して当初500頭前後を獲っている。最近は徐々に捕獲量が増えてきたにも関わらず、消費量が増えていないので在庫過剰になったとのこと。20年近く捕鯨が禁止になっているので捕鯨非対象の鯨も増えて捕獲量が増えたのが主因だろうと思う。昨日安くなってスーパー店頭に並んでいた鯨を竜田揚げにしていただいたが本当に久しぶりの鯨に舌鼓を打つことができた。赤身のポピュラーな鯨ではあったが懐かしかった。捕獲禁止の鯨を食べるのは少し気がひけるが、鯨の増えすぎで彼らの餌が減って、今まで安かった鰯がここ10数年で相当に値上げしているコトを考えればまぁいいかとも思う。小学生の頃は八百屋の店頭で鯨の南蛮漬けを買って良く食べた思い出がある。アノ頃のおかずではコロッケよりも安価であったように思う。とても美味しくて朝飯のおかずとしてもボリュームがあって、いっぱい食べた。ほかには関東煮(おでん)の具として鯨皮脂(ころ)や冷凍刺身(尾の身)も食べたし、天麩羅や煮物(鯨鍋)にしても美味しかった。昔安かった鯨のベーコンも値段が50倍以上上がっているので20年以上Dachs飼主は食べていない。

2006年1月20日金曜日  PM10時10分投稿 

男性下着

 朝から予報どおり冷え込んでいた。予報によれば明日は雪が積もるかもと言う。そう言えば今日1/20は大寒。これから立春までが真冬の正念場。もし明朝降雪あれば3年連続で大学入試センター試験日が雪になるということになるらしい。受験生もたいへんだ。
中学高校時代のみ履いていたパッチです 数年前から冬の女性下着に「ババシャツ」や「毛糸のパンツ」が若い女性達に愛用されていると聞いていたが、ニュースによると、この冬の寒さで男性にも「ももひき」の低年齢化が進んでいるらしい。流行のウォームビズには最適かもしれない。
 子供の頃は「子供は風の子(、大人は火の子)」と呼ばれ、小学生の頃は1年中男の子は半ズボンで過ごしていた。父は昔、冬はらくだ色のメリヤス(木綿)のパッチ(股引)とトランクス(申股)、夏は化繊のステテコと褌を締めていたと記憶している。母親は着物をずっと着ており、下着がどんなものか殆ど覚えが無い。私の下着遍歴は小学生時代からブリーフ、中学時代以降は長ズボンなのでブリーフに加え、冬場は白い股引、夏も白いステテコを履いていた。おまけに母親が心配性で冬場や就寝中は高校時代まで腹巻まで付けさせられた。サラリーマンになってすぐ東京・横浜に独身寮住まいになったので、夏冬とも、ブリーフだけになってしまった。履きたくなかったわけではなかったが、寮での洗濯機の手間を単に減らしたかっただけのこと。しかし、結婚後も今更股引(関西ではパッチと言う)を履こうと思わなかったので、未だに冬場も履いてない。ただ、ブリーフは30代になってトランクスに趣味を変え、今もBVDのトランクスばかりを愛用している。ちなみにブリーフは福助かクラレ(倉敷レーヨン、クラボウ)を愛用。

2006年1月5日木曜日  PM7時38分投稿 

カラーテレビ

 ブラウン管式カラーテレビが出始めた昭和37年前後は貧乏長屋の我が家でもとても欲しくてたまらなかった。Dachs飼主は当時、小学校高学年~中学時代であり、プロレスやドタバタ喜劇の話題が学校で常に話題になって羨ましくもあったが、初期のカラーテレビは30万円以上するものであり、サラリーマンの平均月収の3~8倍もしていたと思う。白黒テレビでカラーの話題についていくのは相当嫌だったことを思い出す。
この頃のテレビ会社のキャッチフレーズと機種を思いつく限りあげてみる。
松下  パナカラー      嵯峨
ソニー トリニトロンカラー
日立  キドカラー      ポンパ
三洋  サンカラー      薔薇
東芝  ユニカラー      名門
三菱  ネオカラー      高雄
エヌイーシー         太陽
ゼネラル           王朝
コロンビア          世界
 (コロンビアは白が綺麗なホワイトカラーだと思うが自信無し)

 Dachs飼主として昨日はプリンタに食指と書いたが、それ以外に今家族で話題になっている(食指の動いている)機器がもう1つある。それは地上波デジタル対応の液晶テレビである。数年前から話だけはあったが我関せずとあまり注意も払わなかったのだが、あと5年程でアナログ放送が終了してしまうので、従来テレビではデジタル波変換チューナー無しでは見ることができなくなってしまう。録画機を考えるとHDD内蔵DVD&ビデオレコーダでデジタル対応だとかなりの出費となる。年末からいろいろ家族で話し合った結果、とりあえず、リビング用として32型で160GBHDDレコーダのみ付いた製品が20万円前後で出ているので、近々に購入する予定。

2005年10月5日水曜日  PM9時47分投稿 

紅茶きのこ

 昨日確保した新サーバーにテストページを挿入した。単に『Dachs飼主HPはここにありますよ』というご案内板を入れただけ。
紅茶きのこ イメージ図 右の絵を見て連想できた人はそこそこご年配の方である。いったい何でしょう。
 今週は秋雨前線の影響で雨が多い。月曜日朝会社に持って行った長い傘を毎日カバンと一緒に往復している。予報によると来週にかけて長雨が続きそうだという。あまり長いと黴が生えそうだが、昨日テニス仲間と右絵の話になった。紅茶きのこの話題は昔盛り上がっていたのは知っていたがDachs飼主の若い頃の話で医者や薬要らずの生活をしていた身ではそう気にはならなかった。聞けば昭和50年代の流行食品で紅茶を酢で薄めたものを2週間程度冷暗所で保存しておくと黴が生えてきのこ状になる。これを適量飲めば万病に効くという情報が席巻したが、あとで考えてみると気持の悪い話。このあと、尿飲療法などもまことしやかに喧伝されていたが、もちろん実行したことはない。最近サプリメントブームだが、リバイバルするかもしれない。

2005年7月29日金曜日  PM7時59分投稿 

丘八郎さん

 今日も外は良く照ってるし、蒸し暑く不快指数は高いようだ。この頃不快指数という言葉はあまり聞かなくなったが、ひところは梅雨頃から毎日のように天気予報で「不快指数」という言葉がでていた。確か80以上だとタイヘンだったような・・・・

最近の話題で少し。
pepl356.gif 吉本新喜劇の岡八朗さんが亡くなった。若い頃は関西のテレビで視聴率の高かったのはお笑い。その中で喜劇は年配の人が好む松竹新喜劇(渋谷天外・藤山寛美・曾我廻家明蝶・鶴蝶)と若者が好む吉本新喜劇が両巨頭。吉本新喜劇は女性では西川ヘレン(潔の奥さん)、山田タカ子などが頑張り男性では岡八郎、原哲男、花紀京・・・などそうそうたる芸達者たちがいた。特に土曜日の正午に始まるサモン(大正製薬)お笑い(?)劇場は昼間にもかかわらず、視聴率が高かった。Dachs飼主も子供の頃から良く見ていた。彼は酒の飲みすぎがたたったそうだが飼主も肝臓が悪くならないように普段から注意をしたい。肝臓が悪くなると夜「こむらがえり」が出やすくなるらしいので、こちらにも気をつけたい。

2005年7月9日土曜日  PM5時54分投稿 

番傘

昔愛用していた番傘  また、雨が降って来た。会社に置き傘が0本になったり、2本になったり頻繁に変わるので、朝から雨が降った場合に傘の居場所にどぎまぎすることがある。折り畳みの傘はビジネスバッグに何時も入ってはいるが全く使わないと言っても良い。傘の範囲が狭いだけでなく、電車やお店に寄った折に傘の畳み方や置き場に困り、どうも精神的にも不健康で嫌である。
 昔は蛇の目傘や番傘と言われる油引きの紙の傘が壱軒に2、3本はあり、子供の頃、よく近くに差して出た。大きい傘で紙の割に比較的重く子供にはキツイのだが、雨の傘に当たる音がものすごく男性的で気持ちよく感じられた。傘骨が竹材なのも気に入っている。
 今浅草寺近辺の老舗で蛇の目の傘を購入すると壱萬円以上もするらしいが、一つくらいは家に常備しておいて雨の音を楽しみたいと思っている。

2005年5月23日月曜日  PM2時57分投稿 

おざなり

懐かしいなでしこの花を見つけた 昨日、テレビで見ていて気になったことがある。若手の女優が「おざなり」という言葉を使っていることにふと疑問を感じ、Dachs飼主妻に聞いたのだが別におかしいことは無いという。Dachs飼主の子供の頃は「ほったらかしにする いい加減にする」意味では『なおざり』という言葉しかなく、言葉が変化して行ったせいではないかと思ったのだが妻はそうではなく普通にあったことばらしい。妻には「新しい」という言葉は昔「あらたしい」と言ってたが言いにくいので「あたらしい」となったということまで主張したのだが「辞書で調べてみたら」という言葉で話は終わってしまった。確かに辞書をひくと2つの言葉はあり、間違いでないということはわかったがなぜか釈然としない。
 近所でなつかしいなでしこの花を発見。

2005年5月13日金曜日  PM6時24分投稿 

遊び

 Dachs飼主の幼少の砌の我が家は、母の妹家族と一緒に戦後以降ずっと、県営住宅という平屋で四部屋程度の棟続きの所謂長屋に住んでいた。妹の家族は4名、Dachs飼主の家族は当時3人であり、30坪程度の家に7人もが生活していたことになる。小学校4年生の頃にそこから10分程度の海岸沿いにDachs飼主家族は引っ越したので、県営住宅の記憶はそれほど無いが、遊び友達はたくさん居り、小学低学年の遊び(めんこ(ベッタン)、ビーダマ(ラムネ)、ベーゴマ(ばい)、胴馬(どんま)、四角い枠内で手でバレーボールを付きあう遊び(天下町人武士大名、いんさ)、缶蹴り・・・・)は殆どこの県営住宅に居るときに覚えた。カッコ内は関西弁というよりむしろ明石弁かもしれない。
 小学校や公園にも近く、校庭でドッジボール、公園ではとんぼや蛙・めだか採り、昆虫採集、池では蓮の実獲り、深夜恐怖散策や覗きなども夏によく遊びまた挑んだ覚えがある。めだかなどは住宅前にある庭の池に入れて、生き物の面倒をみることができたが、水草のほていあおいが繁り過ぎてあまり池のソコが見えなかった。蓮の実やグミ、へびいちごなどはとっても美味だった。たまに公園の奥に入り込みすぎて漆にかぶれて(関西ではマケテという)顔や手を腫れ上がらせたり、池や沼に足を取られてズボンやシャツを汚したこともある。夏場は小学校から午後5時に、冬場は午後4時に「蛍の光」が流れてきたが、悪大将の指示でいつも動いてたので警告通りに我が家に戻ることはむしろ珍しかった。また、小遣いなどもあまり貰っていなかったので、紙芝居屋からはいつもタダ見をするなと白い目で見られていた。紙芝居を見るためには何かお菓子か玩具を買わないと見ることができないということだったが、芝居が始まってからこっそり後ろのほうで見たり聞いたりしていた。演題は、赤の裏地で黒いコートを着た黄金バットや恐ろしげな蛇娘、猫娘、海外ものなどが多かった気がする。只見でいけないのだが黄金バットの痩せ顔は今でもはっきり覚えており、似たような人にあうと黄金バットが出てきたと思ってしまう。
 小学校高学年になってからは、2階建て木造家屋に引越した。こちらに遷ってからは、近所に同年代の子供が少なかったことと、中途の引越しだったので小学校は最寄の小学校ではなく今まで通っていた小学校にそのまま通い続けた。いわゆる越境入学であったが、その当時はそれほど厳しくも無かったので、少し遠くなったが今まで通り同じクラスで勉強を続けた。そのため新居では近所の友達はできず、こども同士での遊んだ記憶は殆ど無い。新居は2階建てで庭も充分に広かったので、3人家族にとっては広すぎる感じがした。シバの雑種でエスという名前の犬も飼った。そのころは満足できる犬餌も無く、おかずやごはんの残りを朝晩、Dachs飼主の日課として与えた。冬場も寒かったが「子供は風の子」とオダテラレ、鼻水を垂らしながら半ズボン姿で庭に出て「エス、お手、ヨシ」などと頑張った。小学校時代は冬場はしもやけがひどく餌の入っているアルマイト皿さえ、とっても冷たく朝の食餌を与えるのはとっても苦痛だった。中学後半に入ってからは寒くては勉強できないと親からチヤホヤされて、メリヤスのパッチや長袖シャツを着せて貰った。
 夏は蚊帳と蚊取線香、ハエ採り紙を先ず一番に思い出す。蚊帳は知らないが、蚊取線香とハエ採り紙は岡山産である。蚊取線香は大日本女中菊株式会社から出されているが今の金鳥である。少し高かったがポトポトと蚊が面白いほど落ちた。蚊帳を張って寝る前に金鳥蚊取りを5分程焚くと蚊帳の中は一匹も居なくなるのであとは蚊帳の裾を注意しながら上げて自分が入ればあとは朝までグッスリ眠れるというわけである。これより安い蚊取線香で西郷隆盛の絵が入っている「南州香」も我が家では良く使った。これは人畜無害の「南州香」がキャッチコピーで線香独特の強い匂いが少ないので年寄り子供には好評だった。ハエ採り紙はカモイの「リボンハイトリ紙」を使っていた。粘着質の物質をリボン状の紙につけて、天井に吊るしておくとこれも面白いようにハエがくっつく。いわゆるゴキブリホイホイの蝿版である。ハエ採り紙は後日カモイからもっと安いアース製薬に取ってかわられるが、アースも岡山県か兵庫県に大きな工場があった。黄色い紙に大きく赤字で「アース」と書いたハエ採り紙はたいへんインパクトがあった。飲食店では薬が使えないや強い匂いはご法度なので、無味無臭のハエ採り紙は最適。しかし、あまり死んだ蝿がべたべたついている紙を店先に吊るしておくのは美観を損ねるので毎日のように新しいリボンに替えていた筈。カモイもアースも大儲けをしたと思う。
 我が家のトイレは昔の和風トイレで、トイレには朝顔や手水鉢(吊るすタイプ)があり、日本手ぬぐいも吊ってあった。今は2階建ての家は両階ともトイレがあるがあのころ、男女別々に用が足せるのは誠に贅沢なこと。洋式便器の便座カバーや便座をいちいち上下させたりする手間もなく、男女ともに即できるのもとっても良い。
 そのころ、家にあったもので懐かしく思い出されるものは「卓袱台(チャブダイと読む)」、「風鈴、金魚鉢、うちわ」、「おくどさん(かまど)」、「木製冷蔵庫(氷屋から氷を買ってきて冷やす)」、「寝台(麻製のリラックスチェアでネダイと読む)・床机」、「そろばん、計算尺」、「凧、グライダ、ブリキのおもちゃ」、「縁側」、「肥後の守、ボンナイフ」、「鉱石ラジオ」、「ゆかた、チジミのステテコ、銘仙、割烹着、針山、チャコ、指ぬき、湯のし」、「丸髷、鳥撃ち帽、懐中時計」、「座敷箒、熊手、亀の子たわし」、「床の間、押し入れ、神棚、仏壇」・・・・・。
 いろいろ思いでは尽きないが別の機会に続きを書いてみたい。

2005年3月26日土曜日  PM7時59分投稿 

クイズの司会者

下山中 晴天の土曜日午前中、ご無沙汰しているラミエルウリエルを連れて散歩に出かけた。ゆっくりと歩いたり水を飲ませたり、近所の犬友達と話し込んだり遊んだり、また休憩したりで長時間外に出たためか、帰った途端、即バタンキュー。でもいい天気だったので日ごろ世話してないのを一挙解消できたかもしれない。空も綺麗で地元の自然の豊かさを再確認できた。
 昔テレビでクイズ番組が沢山あったのを「僕なつ」投稿に向け現在、原稿執筆中だが、不思議な共通点を感じた。以下は主な番組だが、司会者の名前が一字の人が圧倒的に多い
 アップダウンクイズ            小池清
 ダイビングクイズ             若井はんじ・けんじ
 がっちり買いましょう           夢路いとし・喜味こいし
 ズバリあてましょう            泉大介
 クイズダービー              大橋巨泉
 ぴったしカンカン             久米宏
 クイズ100人に聞きました       関口宏
 クイズヒントでピント           (顔は覚えているが・・故人?)
 タイムショック              田宮二郎
 クイズグランプリ             小泉博
 パネルクイズアタック25         児玉清
 100万円クイズハンター         柳生博
 ベルトクイズQ&Q            押坂忍 

2004年12月11日土曜日  PM9時23分投稿 

要らんことしいの、知らんこと言い

 ときどき、朝のNHK連続ドラマを見るが、(毎日見ると、見ないとあせるので)先日の放送で『要らんことしいの、知らんこと言い』 という言葉が出ていた。神戸をメインにしたドラマなので当然関西弁だが、関東の人にもわかる言い回しで言い得て妙である。軽はずみな言動を批難する軽口だが、他の土地でも似たような言葉があるのだろうか?関西独特の言い回しと思う。
 午後は印西文化センターで向かいの奥さんが入っている印西女声合唱団のコーラス発表会があるので誘われて同行した。2時間弱の演奏・歌唱だったが久しぶりに静かに合唱団の歌声を落ち着いて聴くことができた。その後別の演奏会にもハシゴして行きたかったが、時間的に中途半端になるので途中入場を憚られ、断念することにした。
 月の1/3が過ぎあと3週間で来年になるが恒例の愛犬カレンダー12月分を今日作成した。マシンのダウン被害を蒙りパスしようと思っていたが、義母愛子さんが12/22に訪問する予定なので急遽作成。何も考えずにありきたりで作ったのでできばえは不満だが・・・

2004年11月11日木曜日  PM4時22分投稿 

好きな歌手

フレンドCDカバーナチュラルCDカバー 先週日曜日にたまたま見た”ミュージックフェア”での綾戸智絵、すごい巧かった。ピアノはもちろんだが、弾き語りの歌も素晴らしかった。あまり音楽は聴かないほうだが、(昔から音痴なので艶歌しか覚えられない)彼女の歌唱力と音楽には感動した。CDかDVDでも街にでたときに買おうと思っていたが、その前に図書館で借りて少し聞いてみようと左右の2枚を借りてきた1999年と2000年に出た旧い楽曲だが情緒あふれ、ぜひベスト盤CDを購入したいの意を強くした。ジャズはスタンダードナンバーを入社したての若い頃に、好きな人(ジャズがです、もちろん男性です・・・)がいて自由が丘のジャズ喫茶「ティクファイブ」へよくききに行った。
 関西弁の歌のうまいおばはんはこの綾戸智絵以外には、昔「坂本すみ子」という歌手がいた。そう言えば「朱里エイコ」さんも先頃亡くなったそうだ。 Dachs飼主の好きな歌手と言って直ぐに思い出す人はほかに、本田路津子、桂銀淑、坂本冬実、渡辺真知子、こまどり姉妹・・・。

2004年11月3日水曜日  AM9時26分投稿 

経木

関東では食べ物包装の定番経木
 今朝 はすぴー倶楽部の懐古掲示板でなつかしい話を読んでたら、『経木』という言葉を見つけた。関西では食べ物を包むものとしては、「若干防水性のある濃緑のザラ紙+新聞紙」か「たけのかわ(筍の皮)」が定番であり、Dachs飼主が子供の頃は経木による包装はポピュラーでなかったような気がする。小学生の頃はお好み焼き(摂津ことばで”にくてん”と呼ぶ)を新聞紙やたけのかわで包んで貰い、自宅や友人の家で美味しく食べた。筍の皮のつるつるした裏側は防水性が非常に高いのでお店では重宝された。
 調査の結果経木とは、『杉・檜の木目の細い素性のよいものを柾目に割り削った板。その板は、紙の代わりにお経を書いたり、記録などを書いたので経木(きょうぎ)といわれました。』そういえば駅弁の折り箱も最近は化学素材で軽く強く防水性の高い物がおおいが、つい20年ぐらい前までは、この素材が主流でした。卒塔婆も多分経木で作ったものでしょう。

 去年に引き続き、今年もテレビ朝日のIQテスト(テストザネィション)に挑戦。今年フジテレビは平成教育委員会をぶつけてきていたが、Dachs飼主はIQを選択。
 結果は言語(8/10)・記憶(7/15)・論理(9/15) ・数(9/10)・知覚(14/20)で合計47/70問の成績。IQの結果は137と出た。昨年は2003/11/3の徒然日記のとおりだが、傾向としては殆ど替わってなく、記憶や間違い探しに難があることを再確認。今日はこのテストやった人多いと思う。

2004年10月22日金曜日  PM5時08分投稿 

薬灌

 前回10月9日台風22号の時、停電になったことは書いてはいなかった。お付き合いしている友人からeメールを頂戴した。「湘南近辺では午後6時頃から深夜2時頃まで停電になり、全部電気でやっている家はシステムキッチンでお湯を沸かすこともお風呂に入ることも出来ませんでした。お湯は幸いポットにあったので助かりましたが、お風呂は設定が電気なので使えません。」
我が家もガス炊飯器とガス風呂ですが、いずれも停電になると多分役立たないと思う。すべて電気でコントロールされるのは、停電の際など往生することになると思う。

薬缶 ポットは今や電動などかなり便利になっていますが、昔はやかんでした。関西ではやかんといわず、チャビン(茶瓶)と謂い、色も真鍮の黄やアルミの白が殆どで、暑い時子供の頃には黄色い大きなチャビンに直接口をつけてグビグビと飲んでいた記憶もあります。小学校の給食に使ってたちゃびんはボコボコにされてました。
ちゃびんと謂えば禿頭も「やかんあたま」とはいわずに「はげちゃびん」と呼んでいました。

2003年4月から12月の過去綴った日記の文章部分だけを現行BLOGに移行した。あと、今年の1月~9月分を今月中に移行してしまいたい。

2004年7月22日木曜日  PM1時51分投稿 

はすぴー倶楽部

 今日、ネットの紹介でハスピー倶楽部というページを見に行った。僕より若い人だが昭和30年、40年代中心の昔懐かしいものや話題に時を忘れた。昔懐かしいレトロが見ることの出来る博物館なども都内にたくさんあるようで、これからの見学が楽しみ。
 小学生の頃、親が一緒に遊んでくれたテーブルゲームに「ダイヤモンドゲーム」がある。欲流行ったし、製造メーカーは赤い富士山模様の「はなやま玩具」であったのもたいへん懐かしかった。はなやま玩具では確か「セブンブロック」(名前は違うがこんな感じ)と呼ばれる7つの形の違うプラスチックボードをあわせていろいろな形を作ったことを憶えてる。中学時代もこれでよく一人で遊んだ。このゲームの本もシリーズ物で10冊ばかり持ってたように思う。 ラッキーゲームと言ったかもしれない。

2004年6月30日水曜日  PM1時27分投稿 

乗り物

 乳母車に乗っていた思いではないが、太い藤でできたバスケットに綿入れの布団を敷いた乳母車に乗っていた赤ちゃんは子供の頃、よく見た。車は子供用三輪車を少し頑丈にしたような車輪。現代のベビーバギー・ベビーカーと呼ばれる折畳式のものはDachs飼主に赤ちゃんが出来た頃には全盛で、我が家では確か『アップリカ???』とかいうメーカだったと思う。
 街には今では殆ど見かけられなくなった人力車が走っていた。裕福な人が乗るタクシーのようなもので、我が家で家族全員が乗った記憶はない。今観光地で走っているものと殆どいっしょだが、幌はすべて黒で、ひざ掛けの裏が赤で
あった印象が強い。
 市民が乗るのは自転車か乗合バス。自転車は冷蔵庫に毎日入れる氷柱を積んだりする必要もあり、荷台が広く、安定感のある黒い大型自転車が各戸に必ず1台はあった。バスはもちろんワンマンではなく、バスガールが乗っており、バスの切符に鋏をいれたり、「次は市役所前 市役所前 **家具は真向かいでーす」などとマイクでアナウンスする。バスガールと言えるほどのものでもなく、小太りの中年女性が多かったかもしれない。車の前部は大きなボンネットがあり、エンジン音高らかに後方からは排気ガスを撒き散らしてさらに道路は舗装してないので土ぼこりがむんむん。
 お出かけは観光バスか、電車。電車は私鉄と国鉄。国鉄は当時「ショーセン」と呼ばれていた。運輸省の路線なので、省線だったのだろう。国鉄には石炭で走る汽車と電車があった。汽車は左右4人掛けの座席、電車は今の電車と同じ6,7人掛け座席。汽車はデッキ(車両の連結部)に乗ると、冬は冷たい風が厳しく、トンネルに入るとこれは季節に関係なく石炭のすすをかぶる。ドアが無い為だが、滑落事故が殆ど無かったのが不思議なほどである。バスは記憶にないが、汽車電車とも、小学校の床と同じで茶色のニス塗りの床で防災上の問題あったのに、平気で大人は社内でタバコをぷかぷか吸っていた。汽車の窓下にについている灰皿が非常に機能的でかつほかでは見る機会が殆ど無かったので電車に乗るたびに灰皿をがたがたいわせて取り外したり、食べ終わったみかんの皮を灰皿に入れては親に叱られていた。灰皿はなぜか色が灰色だった。汽車は鳥栖や下関、宇野など長距離が殆どだったが、吊り下げられている行き先表示板を見て、いつかは九州に行ってみたい、などと夢見てたように思う。省線の切符は硬券で、自販機も無かったので、窓口で神戸まで子供1枚などと言うと赤字で小の入った切符を機械にスライドすると自動的に切符の片側に日付が印刷され、とっても「かっこよかった」。
 自家用車については、ある親戚がラムネ製造をやってたので、オート三輪を数台所有していた。オート三輪はハンドルが自転車やバイクと同じで操舵については力がいるが俊敏確実なもの。メーカーはダイハツ(大阪発動機)だが、車名は「くろがね***」と言った筈。子供たちはこの深い緑色をした自動車
をいつも「バタコ」と呼んでいた。ダイハツで思い出したが、小学校高学年の頃テレビジョンで流行った番組に大村昆主演「番頭ハンと丁稚ドン」があるがそこで広告していた「ミゼット」というオート三輪は爆発的に売れまくり、駅の近くの商店街に寄るとミゼットがいっぱい。
 近日中に「ぼくなつ」に出稿を予定

2004年6月29日火曜日  PM1時26分投稿 

秋葉原

 秋葉原もこの20年近くで相当かわった。
 昔は、と言うほどの昔でもないが、昭和の秋葉原は殆ど白物(冷蔵庫洗濯機など家庭電気製品)で、当時OA用に限られていた電子機器販売は細々と営業していたように記憶している。コピー・ファックス・プリンターが平成になって一般家庭にこれほど普及するとは誰が想像してただろう。
 あのころ、ロケット・第一家庭電器・なかうら・広瀬無線・オノデンなど家庭電器に注力していた頑張っていた電器屋さんは最近は見かけなくなったり、元気がなくなっている。昔はメーカー代理店が電器屋さんに大量の自社製品を予算達成のために月末に大量導入してもらっていたという。業界用語で「押し込む」と言い、メーカー側は販売店幹部に連日接待攻勢をかけるため、秋葉原ならびにその近辺(銀座・上野湯島など)の高級割烹は流行っていた。交際費も相当なものだったそうだが、いまやその面影も無く、秋葉原にあった割烹屋は今や殆ど廃業しているそうだ。
 今比較的元気なお店は石丸電機くらいで、情報機器で隆盛した有名なソフマップ・ラオックスでさえ、少し伸びが停滞しているのではないかと思う。地方ディスカウント店郊外進出や大手カメラ量販店の都心進出で秋葉原も相当顧客獲得競争がシビアになってきた。昨今のデフレ基調で顧客の眼も肥えてきており、ネットで価格比較する人も増えている。具体的には秋葉で商品を触り、価格サイトや掲示板などで製品長短関連の噂や経験談を充分聞いてから、あらためて、通販や高額ポイント制の郊外安売店で買うのが情報コンシューマの一般的傾向。これでは秋葉原はたまったものでない。
 いま、秋葉のパソコンショップはノーブランド周辺機器やDVD・デジカメ・ポータブルオーディオプレヤーなどを買う人であふれているらしい。AVに強い関心のある若い人が、それらを観たり聴いたりするために自作パソコンを作り、音響周辺機器を上手につなぐ人が増えているせいだ。Dachs飼主も昔は音響マニアの一員で、アカイの巨大4chオープンリールテープデッキやサンスイのスピーカーを大阪日本橋電機街に買いに行ったものだが、ネットから音楽をダウンロードしさえすればいまや、100gを切る超小型プレヤーで電車の中でもどこでも、ヘッドフォン(イヤフォンとは言わないそうです)で好きな音楽が気軽に観賞できる。
 一時流行った家庭用ゲーム機器やソフトも最近は一段落しているようで、郊外のパソコンショップやレンタル店で中古販売が隆盛とのこと。今の秋葉客層は、パソコン系のほかは模型玩具を初めとする趣味性の強いマニア店が増加し、所謂普通の電機屋さんのスペースは徐々に減ってきている。違法ソフトや怪しい中古販売も含め、パソコン系にも周辺機器部品バラ売りの店面積が増えてきている。
 資金さえあれば秋葉原で『儲かる』とDachs飼主が思っている商売が二つある。
ひとつめは食べ物店。
 秋葉営業時間も時間が長くなっており、朝は10:00頃から夜は11:00過ぎまでお店は営業している。従業員だけでも数千人はいると思われ、社員食堂スペースもお店側では用意できないため、また食事時間もお店により交代制をとっているので、美味しい料理を安く出せば必ず儲かる筈。今秋葉で行列の出来るお店は博多らーめんの店1軒のみと思うので、インターネットの使えるなど一味違う食べる空間を作れば「きっと儲かる」
ふたつめは古本屋。
 簡単で梱包箱から出せば直ぐ使えるようにパソコンはメーカ広告されているが、これが誇大広告でないという人は殆ど皆無でしょう。折角買ったパソコンだから有効に使おう、人気高いのでこの際もう一度、埃をかぶっているパソコンを出して勉強しなおそう等と考えている人が大半ではないかと思う。パソコンで判らないときや判ろうとするときにまず頭に浮かぶのは市販のパソコン解説書。雑誌も含めると1ヶ月にざっと1000冊レベルの発刊が繰り返されているという。しかしながら、1冊の本を2000円前後もだして買っても自分が本当に知りたいと思うことは立ち読みの時に買おうと思った数行だけだったことがありませんか? 解説書はパソコンを使うときに本来何度も繰り返して読み・学習するものだが、帯短襷長の書籍が多く、手元に自然に解説書が増えてゆく。例えばソフトの購入代金よりソフト解説書の購入金額のほうが多くなることもしばしばで、ソフトはなるべく安く買おうとするが、解説書が何度も買うとソフト価格より高くなることにはあまり神経を尖らせていない人も多い。あっても読みたくない本は山のように各家庭に眠っている一方、一昔前のバージョンが買えない、プログラミング言語の解説書は古いものでもサンプルのついた判りやすいものが欲しい、とにかく初心者なのでいろいろな解説本を安く読みたい・・・というような方も多いはず。こういう人たちをターゲットに高く買います安く売りますの古本屋商法で秋葉原にショップを開いたら「きっと儲かる」
近日中に『ぼくなつ』に出稿予定

2004年2月25日水曜日  AM9時21分投稿 

ぶたまん

 勤務している会社の3ヶ月の試用期間が終わり、今日頂いた1月分給与からは2万円あっぷし、晴れて正社員になりました。もちろん、小遣いは1銭も増えませんが。
4月HPリニューアルに向け、なけなしの時間を有効に使いながら、いろいろと試行錯誤を繰り返している。いろいろ海外のデザインサイトを見ながら構想を練ってよいところまでは行くのだが、何せカテゴリーの量と種類が半端では無いので、統一したデザインコンセプトを貫くのが難しい。友人が大阪に行ってぶた饅を土産に買ってきたという話を聞いて、ブタマンが無性に欲しくなってきた。ブタマンたべればいいアイデアが湧いてくるかも・・・?
 ブタマンは東京のにくまんなど比較にならないくらい、ジューシーで旨い。阪急沿線で買う蓬莱551、御堂筋線新大阪改札でた所にある皇蘭のぶたマンが特にいけます。

2004年2月5日木曜日  PM9時53分投稿 

ホカロンとミカロン

 今朝はなんとかマシになったが、大事をとって、再度パブロン飲んでも食事を取らず会社へ。今日はさすがの僕も5:30早々に会社をださせてもらう。
 昨日ロッテのホカロンを買ったが、日本人が発明した偉大な品だと先日プロジェクトエックスで放映していた。ガムのメーカーが防湿材の研究をしていた時に鉄が酸化(サビル)時に出す熱を製品化したものだそうです。流石勤勉研究熱心日本人。
 興和新薬にふけ治療薬「ミカロン」がある。と先日までそう思っていたが、いつのころからか、製造中止になってるとのこと。少し硫黄臭のする薬で、疲れが続きフケが溜まると少々のシャンプーでは綺麗にならず、若いときはシャンプーするとフケが逆に浮き出す状態に使った覚えがある。なつかしい薬。ミカロンとともに思い出すのが、母が使っていたロゼッタ洗顔パスタハンドクリーム「桃のはな」。あれも無くなってしまったのだろうか?昔の化粧品会社も「明色化粧品」「ウテナ」「桃谷順天館」など思い出せばいくつもある。

2003年11月25日火曜日  PM4時02分投稿 

豆腐

 昨日は何年ぶりかでちゃんこ鍋を囲んだ。我が家では結婚後、Dachs飼主妻の方針で科学調味料(あ#の素)などは一切使わず、出汁も全部自製ですが、ちゃんこのスープだけは別です。関西にはちゃんこ鍋はあまり見かけず、スーパーでパック入りのちゃんこ汁の素をそのまま鍋に開けて使いますがこれがまた、旨い。豆腐、白菜、あげ、白滝、チキン、海老、ねぎ、最後にうどん(お薦めはもちもちうどんと呼ばれる粘りのあるもの)をいれると最高。出汁はそっぷ味と書いてありましたが、関西でそっぷと言えば「豆乳」を指します。また、関西では私達の住んでいた付近だけかもしれませんが、「いっちゃ」と呼ばれる凍み豆腐があります。これは寒い冬の夜、固く絞った木綿豆腐を軒先に吊るし、朝凍った状態のものを夕方まで自然解凍したものを鍋や煮物・味噌汁に入れて食べます。凍らせると「生地はガスガス」になりますが、これが「高野豆腐」に似た味でとっても美味しかった。今は冷蔵庫が普及しているので「冷凍庫に入れればすぐにできます」が、昔は豆腐も保存食だったのでしょう。

2003年9月22日月曜日  AM9時45分投稿 

アンコール

 1昨日からの雨が午前中にやっとあがったが、まだ肌寒く、昨夜は夜中に布団を1枚増やしたほど。余談だが昨夜、遅くまで織田裕二主演、平成元年放映の「19歳」というドラマを見た。テレビ50年とのことで、NHKも「アーカイブ特選」と称してたまに旧いが、よい作品にめぐり合えることがあるので楽しみ。昨年暮れも石坂浩二ナレーションの「シルクロード敦煌」を毎晩遅くまで見ていた。加賀美アナも素敵な人だ。
昨日ヒントを得たのでプルダウンメニューを大雑把に作り、新サイトトップページに転送しておいた。まだまだサンプルレベルで本格的なものにするにはもっともっと手をいれる必要がある。
 友達と電話で長話している時にふと思い出したことがある。小学生のとき、両親の神社仏閣詣でで大阪神戸の近場に行く時は観光バスを使って行った。バスと言っても市営バス(我々はシバスと言ってた)でボンネットタイプの旧型だったが、飲み物や食べ物を貰えるのはいいが、神社での「お百度まいり」(百度石と神社賽銭箱あたりを紙こよりを手に持って数えながら往復する)と帰りの爺婆のアカペラ歌や民謡には閉口だった。それでも殆ど毎月のように言ってるので、バスガイドの説明もだいぶ覚えてしまった。以下はそのひとつ。
『神戸から汽車で大阪へ向かう途中、何か飲みたいというと「もっと待ち(元町)」、次の駅で「酒飲めや(三宮)」と声がかかる。へえ。こらありがたい。どこの酒でっかときくと「灘・・灘・・」。けっこうやな。どなたのおごりで?と聞くと、「わしや(芦屋)」・・さよだっか、おおきに。で、どのくらい飲めまんの?と聞くと「二升飲めや(西宮)」。わぁ、どっさりでんな。冷やでっか、燗でっか?というと「かん酒(神崎)」。けっこう、いただきましょ。-何や、これえらい薄いがな、というと「うめた(梅田)」。ちなみに神崎は今の尼崎で大阪との境には神崎川が流れています。