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禅で心を磨く

東祥寺 今日は朝から穏やかな冬日和。いよいよ今年もあと1週間で終わる。午前中に年賀はがきの印刷をして、駅前まで散歩。午後は今年最後の坐禅会で東祥寺へ行った。昨年の11月から参加している坐禅も1年を越えた。2回ほど都合悪く行けなかったが、まじめに行けたと思う。坐禅の勉強としては、1年の間にDachs飼主も鈴木大拙さん、山田無文師、大森曹玄さん平田晴耕さん、佐藤耕次さんの書物や講話を読んだり聞いたりしたが、毎月の参禅で一番心がけることは「考えることを考えない」または「考えないことを考える」ことである。1年間の経験だけで言えば、「いろいろ思い出したり妄想したりしていると姿勢、特に肩が落ち、背中が曲がりはじめる ひどいときにはウトウトしはじめるのだ」。なかなか心と体を真っ白にするのは難しい。禅では「身心息」といわれるので息遣いを上手にすれば頭を真っ白にしてしっかりとした姿勢を保ったままでいられるかもしれないと思う。
 13世紀初めに、曹洞宗の開祖道元が宋の高僧如浄の下で学んでいたとき、「坐禅とは、身心を脱落する(身と心がすべての束縛を離れる)ためのものである」と教えられた。道元はそれを聞いて、大いに目覚めるところがあったとのこと。道元は帰国後、曹洞宗を広め、その信条に「只管打坐(しかんたざ)」ーただひたすらに坐禅を実践することーという思想がある。『正法眼蔵』も彼の著になる大作だが、我々凡夫が読めるものではない。。
 お寺でなくても、普段、坐禅は出来ると言われるが、なかなかその環境に入らないと難しい。先日読んだ「管理職のためのなまけ禅」という本に永平寺に入門するには相当の覚悟がいると書いてあった。道元の純粋禅に哲学的なコメントを加えた書物である。毎年1月2月に修行中の僧侶(タブン雲水と言う言うのだろうか?)が永平寺に修行をしたいと来ても、山門内になかなか入れてもらえず、寒い中徹夜で朝まで待つとのこと。翌朝になってもいろいろ難問難行の繰り返しで、それをクリアできたもののみが入門できるらしい。今のサラリーマンはそんなことはやらないが、Dachs飼主たちの若い頃は新入社員の体験授業として「地獄の特訓」なる1週間にわたる試練があった。あの戸塚ヨットスクールより恐かった覚えがあるが、卒業するときの嬉しさは感激と感動ものであり、気付かなかった自分を発見できた覚えがある。 次回は1月28日(日)。

コメント/トラックバック (2件)

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  1. 私の入社教育の時は、『水行』(春先の冷たいプールに入って経を唱える)、自衛隊への体験入隊等がありましたが、最近は行っていないようです。
    効果が認められないのか、あんなことをさせると会社に来なくなると危惧しているのか。
    今時の若い子は、あの程度のことに驚かず、楽しんでやってくれそうですが。

  2.  戸塚の事件以来、外部社員教育は「過酷な試練」から「褒めて動かす」所謂コーチングの手法を取り入れて工夫を重ねているようです。Dachs飼主の場合で思い出すのは田舎の民家に行って、「トイレ掃除をさせてもらう」ことで、見知らぬ人へのコンタクトやボランティア精神を僅かながら勉強させてもらいました。