心の迷いの解消
昨日のK氏急逝でいろいろ考えた。「死は前よりもきたらず かねてうしろに迫れり」と言われる。つまり、死は予想できるものではなく、不意に訪れるものである。リタイヤ5年ほど前から仕事に対する意欲は薄れ、定年を心待ちにして、以後20年間、仕事のない生活で心身とも自由かと思ったが、「身」は働かないのでやりたいことを好きにできるので自由にはなったが、「心」はなかなか自由になれない。つきあいや社会のルールがあって、世間から解放されて、自分に正直に、肩の力を抜いて、しがらみから離れて生きていくことが我々高齢者の特権であるはずだが、なかなかそうはなれない。しがらみのはざまでストレスになることもしばしばである。
例えば今日の宴会の、予約や変更、参加メンバーへの気遣いなどで、いろいろと考えてしまう。そんなことを悩んでどうするという自分もいて、そんな小さな葛藤を何度か繰り返しながら毎日を過ごしている。
月一度の坐禅でも基本は「調身」「調息」「調心」であるが、坐禅中に前の2個は努力すればなるが、最後の「調心」に至る道は、10年以上坐禅をやっていても、到達もしないし、近づきさえもしていないように思う。何も考えないという心境はなかなかできない。
[help]人生4期インド哲学
古代インドでは、人生を4つの時期に区切るという。 「学生期」 (がくしょうき0~20歳 勉学に励む) 「家住期」(かじゅうき21~40歳 家族のために活きる) 「林住期」(りんじゅうき41~60歳 自己の確立) 「遊行期」(ゆぎょうき61歳以降 煩悩を捨て自由に生きる)の4期で、私たちは遊行期にあたる。[/help]
このところ私の周りで不幸な知らせが数件来てます。今日はカミサンの親戚が69歳で膵臓癌で昨日亡くなった訃報が来たりしてます。自分自身の体が元気だとなかなか死ぬことの予感とか不安を感じることがないが「遊行期」の心境になるのは程遠く、軽佻浮薄人生を送ってきた自分は煩悩なんか感じるときはありませんでした。Dさんはいい意味でマイペース度が高い方だと思っていましたがストレスを感じやすいところもあるんだ・・・。
今の時期にしがらみとか人間関係に煩わされたくはない。しかし人は何らかのつながりを必要とするだけに必然伴うものも避けられないときがあるとは思っている。2年前「地元の歴史を知る会」に籍を置いたことがあるが2年目にして役員(世話役)をせざるを得なくなったがその際極めて不愉快な目に遭った。私が副会長で会長がはっきりと物を言う人で「何でこんな趣味の会のことで・・・」ということがあり数か月後理由をつけて脱会した。今更他人との間にモヤモヤしたものを感じたくはない。死はうしろより迫る」とはよく言い当てたものです。段々と他人ごとではなくなりつつありです。
南風さん
人にやさしくしようと思って頑張りすぎ、成果が期待したほどでないときなど、残念を通り越して「ストレス」を感じることがあります。わたしって、煩悩にさいなまれる弱い人間なんですね。
くんちゃんへ
吉田兼好は言ったそうです。死は、前方から徐々に近づいてくるのではなく、背後からぽんと肩をたたかれ、不意に訪れるものだ。我々の理想とする「PPK」ですね。
70を過ぎたら背後からポンと叩かれたら振り返るのを諦めましょうか・・・?
ポンと叩かれたら、コロリが一番楽かもしれません。dachs飼主は今年70歳の誕生日を迎えますので、肺炎球菌のワクチン接種を受けるはずです。これを受ければ肺炎の予防になると思います。昔は結核肺炎を恐れていましたが過去のことと安心していました。しかし、現在も死因の第3位が肺炎とのことで、安心はできません。