プライドを考える
本日、詳しくは内容を話すと差しさわりがあるので説明しきれないが、町内のある人と議論になった。
誇りについて考えてみた。昔は、と言っても現役時代だが、周りは優秀なメンバーや仲間ばかりで、いつも深層には劣等感があり、よほどの主張がない限りは、「まぁ、それでなんとかなるか」というやり方を仕事でも私生活でもとっていた、ように思う。
55歳でリタイヤしたその後は、周りに遠慮することがないので、自分の持っているプライドは棄てず、遠慮せずに自分の信じる方向に向かって過ごすようにしている。(But ツレアイにはメシを作ってもらう必要があるのである程度は自分を曲げて付き合って貰っている・・・)
英語で「プライド」は自慢、自尊心、うぬぼれ、尊大、高慢、横柄と言ったグレーな役がされており、良い意味でも悪い意味でも使われるようだ。「Pride and Prejudice」とは「高慢と偏見」と訳されている。TPOに応じてプライドの意味は善悪取り混ぜて難しいがdachs飼主はプライドが高いと自身で思っている。できないことやわからないことが悔しいので、調べたり練習したりする。苦手な分野では得意な人に聞いて教えてもらい、少しでもわかりたいと思う。そのかわり、自分が認めて欲しいから、人のよいところも認めて、取り入れたいと思いたい。自分のプライドを守るためにはそのくらいの配慮は必要だ。
「プライド」をぴったり言い換えることのできる日本語は存在せず、「誇り」「矜持」などの良い意味と「うぬぼれ」「高慢」「横柄」などのネガティブな意味、そして「自信」「自尊心」など両義的にとれる意味の言葉多くを包括するものであり、それを個人が自身の経験や価値観に照らし合わせてどっちよりに捉えるか、だと思うので、良い意味か、悪い意味か、ということについては正解は存在しないのではないか。なんといってもぶれない心、「自分を信じる心」が大事だなと本日しみじみと思った。
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