卒業後半世紀経って
今日も暑い。8月後半~10月は暑さもおさまり人懐かしさが湧いてくるころだろうか、同窓会シーズンに入る。2年前に高校卒業50周年で関西同窓会に参加したが、同じ場所で今年は古希同窓会と銘打ってまたオリエンタルホテルで懇親をし、その後神戸の街並みや明石海峡大橋をクルージングしながら二次会を楽しむ夕べが9月に提案されている。また、その1週間後には我が高校同窓会「東京明石会」主催で原宿で懇親会が予定されている。東京明石会は中学高校の明石出身で関東地区に住んでいる昭和22,23年産まれの同窓生の集いである。これは毎年集まるのだが、dachs飼主は約5年おきに参加させて貰っている。会に参加し毎回思うのは、中学の時あれほどヤンチャであったアイツや怖かった彼がびっくりするほど穏やかな人間にかわっている。いわゆる「マルクなっている」のだ。思春期に自分なりの価値観を構築した直後は、その価値観が絶対無二のものであると思い込み、それを主張することにエネルギーを使い我々を困らせていた。この頃は言葉であれ行動であれ、それを外に向けて発信することに必死で、他に気が回ることもなかっただろうが、若い頃を過ぎて自分に余裕が出てくると、ようやく他人が持つ価値観や感情に目が向くようになり、次第にそれを尊重したり自分の中に受け入れたり出来るようになる。すなわちこれが「大人になる」「まるくなる」ということだと思う。更に、川を流れる石があちこちぶつかって丸くなるのと同様に、人間も他人と関われば関わるほど無用ないさかいの元になる要素を極力排するスキルを身に付けてくる。相手と争って自分にとって得になることが一つもないことを、長い経験を通して人間は学んでくるのだろう。丸くなることは決して悪いことではないし、年配者が様々な組織の長になるのは多分にこの要素が絡んでいると思う。しかし、人間いくつになっても貪欲に生きていく前向きな若さはどこかに持ち続けたいと思う。


先日の古稀同窓会で同じような思いをしました。あの頃ギラギラとして体も大きく見えた人がこじんまりとした好々爺だったり逆の場合もあり。長い期間に経験したものが出てくるのであろう。私は仲のよかったというかつるんでいた同級生に「あなたは税理士かなんかに見えた」と言われたのにはビックリ。親父の仕事がそうだっただけに・・・私はアバウトなところありとても簿記なんてダメというかまるで関心なかった。