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両国散策

 前期は11泊だった。後期は24泊だが昨夜で8泊完了したので、後期の3分の1は完了したことになる。トータルすると19泊で全体の半分をこなしたことになる。こんなことばかり考えている女々しいdachs飼主であります。
 今日午後は久しぶりに院外散策。昨夜は雨が降っていたようだが、10時過ぎから良いお天気がブラインドの裏側まで輝かせている。
 午後2時から着替えをはじめ、畜尿をし、枕カバー、シーツ、掛け布団カバーを外し午後2時半に病院を13人プラス看護師複数名で出発。

1時間半、秋の東京をたっぷり歩いて満足できた

 安田庭園は残念ながら3月まで休園中。しかし、大正12年関東大震災、昭和19,20年の東京大空襲で被害に遭われた方々の東京慰霊堂、両国駅に先月25日に新しくオープンした「両国江戸 NOREN」をチェック。確か、以前居酒屋「花の舞?」内にあった「土俵」をメインにして両側に粋なお店が並んでいた。「利き酒できます」にも魅かれたが、もちろん看護師の目が光っていた。
 国技館や江戸東京博物館も横目に見ながら江戸情緒をそこそこ楽しんで横網公園では銀杏の黄葉や紅葉を見ながら6000歩強を歩いてきた。コンビニで買い物をどうぞ、と言われたが、特に買うものもなく、dachs飼主はコンビニ内をウロウロしただけ・・・。
 散歩1時間半の間に、シーツ類は新しいものに変わり、浴室でシャワーを浴びてからベッドに戻るととても気持ち良かった。

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  1. 私は昭和23年から29年頃まで両国の一つ先の森下町に住んでいました。従って両国は子供の頃の遊び場範囲でした。東京慰霊堂は戦前は陸軍被服生廠で子供の頃の私たちは「ヒフクショ」と訳も分からず言っていました。看護師の目を盗んで悪さしないでね!
    鹿児島のパンの盗み食い思い出しました。

  2.  慰霊堂と近くの復興記念館には当時の写真や関連資料がたくさんありました。戦争は全く知りませんがあらためて「戦争の悲惨さ」をみて「平和が最高」だということを再認識いたしました。

  3. 世間の風に当たるのもいいですね。本当の入院者の気持ちがよく分かります。当地も近くの公園の木々が暖冬のため綺麗な赤に紅葉しきれません。当地の治験ナースの話として「以前は散歩ありだったらしいが, ある時喫煙常習者?か が散歩中監視員の目を盗み自販機でタバコを買おうとしてみつかった」ことから院長が怒り, 以降取りやめになったと聞きました。Dさん, 残り1週間頃が苦しいです。その頃になったら「やっと半分過ぎた」と自分に言い聞かせて下さい。

  4.  ありがとうございます。お酒とコーヒー、黒豚、和牛、餃子、ラーメンの類は、2週間もすれば、オールフリーとなるという楽しみ(希望)を持って、頑張っています。治験業界でブラックユーザーにならぬよう、盗み食いはしないという自信はあります。(甘い誘惑もそれほどないし・・・)

  5. 鹿児島と違って不良老人がいないということですね。挑発しているわけではありません。我慢を強いられての解放はそれはそれは普通人には味あえない喜びです!羨ましい!

  6.  鹿児島は食べる量・メニュー・品数も少なくて、食欲がずっとありました。それに比べ、こちらは、ご飯の量も200gとたっぷりあり、メニューも弁当に入っているおかずの種類も多く、食べることについては、それほど不満はありません。なんとかこのまま終わってくれることを望みます。

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