2015年3月27日金曜日
PM6時40分投稿 ポイ捨て
戦後から東京オリンピック、大阪万国博開催時期までは、公衆道徳はまったくヒドイものであった。公共マナーは悪く、今の我々からすれば、マナー違反ではなく、ルール違反や軽犯罪に該当している。
例えば駅ではホームだけでなく、階段や線路上にもタバコの吸い殻やゴミが平気でポイ捨てされ、いつ行っても山積散乱していた。ホームにはゴミ箱はもちろん、今は病院でも見かけない痰壺がたくさん置いてあった。駅員が何度も掃除しているのを目にし、子供心に学校で教わる道徳教育との差に大きな矛盾を感じていた。
路上喫煙は許されていたが公園でも、道端にポイっと捨てて足でもみ消したり、池に放り込んでいた。吸い殻のほかにも空き缶やガムの噛みカスも路上に落ちていた。
電車のなかでも状況は変わらず座席下には、駅弁の空き箱や土瓶のお茶入れが捨てられている。土瓶急須の底には『御願い 危ないですから窓から空瓶を投げないで腰掛けの下にお置きください』と注意書きがあったほどで、捨て場所として半ば認められている風潮があった。
「旅の恥はかき捨て」を拡大解釈していたあの時代、ほとんどの人が『赤信号皆で渡れば・・・』精神に甘えていたのではないだろうか。
話は本題と外れるが、駅弁のお供としては汽車土瓶以外にもポリエチレン製の茶瓶や魚の形をした醤油さしが懐かしい。現在でもポリ製茶瓶はJR伊東駅で「ぐり茶」を入れて販売されている。
公共マナーの欠如は、ポイ捨てだけでなく、「行列割り込み」「立ち小便」なども昭和の悪い風潮で、道端で子供に大小便をさせてる親を見ることなども日常だった。
こんな昭和コラム第20号がふれあい毎日来月号に掲載される。