2006年 3月 23日(木)

キックベース

 先日まで約2,3週にわたり、楽しませてくれたWBC(野球世界選手権)で王監督率いる日本が世界一の座に立つことができた。最初は韓国やアメリカに負け、マイナー審判の誤審、観客によるライトフライ捕球妨害などが重なり、ぎりぎりの場に立たされたが、19,21日の韓国・キューバ戦では溌剌・活き活きとした奮戦で日本国民を沸き立たせてくれた。昨日夜のニュースでも、トップでとりあげられ、監督や幾人もの選手がインタビューを受けていた。トリノオリンピックで金1個だけ(パラリンピックで日本は金2など合計9個の快挙)だったのもメディアのとりあげ方破格扱いの原因か。今週は春のセンバツ・大相撲、週末からプロ野球開幕など話題は盛りだくさん。WBC主役は王監督・イチロー、松坂上原投手に取られたが、今年のプロ野球は若干興味を持つ人が増えるのではないかと思う。
 Dachs飼主は普段アマプロとも野球観戦はしない。父がヘビースモーカーでテレビは野球がずっとかかっていたので何となく、煙草も野球も嫌いになったのかもしれない。しかし、1昨日だけはWBC決勝戦を放映しているテレビを点けていた。視聴率は最高56%までいったらしい。ライバルの生放送でも「これが終わると野球を見なくては」と言ってるタレントもいた。
 昔は野球は軟式・硬式のしっかりとした野球ではなく、空き地や野原で立木やペンキ缶などをベース代わりにして(塁は2塁までの3角形グラウンド)低学年はテニスボールや軟球で遊んだ。高学年になってグラブを使いだしたので球はソフトボールに替わった。ひところ、トップというボールを使ったが怪我が多いので我々遊び仲間では止めてしまった。「トップボール」というのは1,2バウンドまでは自然だが、3バウンド目でぐっと球が低く伸びるので小怪我が続出。この頃、近所のおにいちゃんが知ったかぶりで「カーブ」「ドロップ」などの投げ方をコーチしてくれたが、掌が小さいので、ボールを握り切れなかった。
 グラブ(関西方面ではグローブと言う)も低学年の頃は母が作ってくれた布製、高学年になっても豚革の安物だったが中学に入ってからは牛革のものを買ってくれた。グリース(と言ったか?)をグラブに擦りこみ、革を十分になめした。小学時代校庭でグラブのない時はドッジボールやゴム製ボールを道具部屋から取り出して、キックベース(ボール)を楽しんだ。これは女子も参加して大いに沸いた覚えがかすかにある。

ビールといかなご釘煮 帰宅してみると、関西でたいへんお世話になってる人から嬉しい贈り物を戴いていた。春の到来を告げる『いかなご釘煮』である。まだ時期的に早いのか稚魚を戴いて早速食したが、これはまたこれでたいへん美味い。あとでビールのつまみで今夜ゆっくりいただくつもりだが、旨いとあまり度を過ごすと、塩分過多になる。歳を考えて、程ほどにせねば。でも、やはりいかなごは旨い。関東で売ってないのはたいへん寂しい。

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2006年 3月 7日(火)

宗教番組

 深夜、というより朝方になると思うが、TBSでは確か聖教新聞系の番組をやってるようだ。夢見心地で聞くともなしに聞いてることがある。
 テニスを終わって、帰る車の中で、ふとラジオ番組でルーテルアワーという番組を思い出した。別にキリスト教もその他宗教も信仰しているわけではないが、昭和30年代にこの番組は毎週聴いてた感じがする。昭和30年代、朝日放送か毎日放送ラジオと思うが、毎週日曜日の朝30分番組でやっていた。決めのフレーズは「この人を見よ」、「こころに愛がなければ、相手の胸に響かない」。内容は「困っている人を助けましょう」、「右の頬を打たれたら左の頬を出しなさい」、「一日一膳」的なドラマだったが、朗読(大平透?)も役者の演技もそこそこ上手だったので、子供の頃良く聴いた。ルーテルというのが宗教改革のマルチンルターのことだと社会の時間に見つけたときはなんとはなく感心感動したようだ。Dachs飼主たちの小学生時代は楽しみはラジオ番組であり、「お父さんはおひとよし」「夫婦善哉」「3つの歌」などを思い出す。もう50年近くも前の話になってしまう旧いはなし。

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2006年 2月 27日(月)

週刊新潮創刊50年

週刊新潮の創刊号 今日、昼食後なにげなく本屋に寄ったら、雑誌コーナーに別冊週刊新潮 創刊50周年記念と題して50年前に発行した復刻版が出ていた。珍しいので早速入手。今から50年前というと、飼主が小学校低学年で昭和31年で、今年平成18年は昭和81年にあたることになる。昭和31年はマリリンモンローがアーサーミラーと結婚、石原慎太郎が太陽の季節で芥川賞を受賞、岸信介は未だ首相の座に座っていなかった。この頃、新幹線岐阜羽島駅設立の祖大野伴睦氏が活躍。「週刊新潮は本日発売です」というフレーズが我々には特に懐かしいが、連載小説についても当時は、表紙にあるように谷崎潤一郎のほか、五味康祐、大佛次郎、石原慎太郎、室生犀星、柴田錬三郎、井上靖などが筆をとっていた。金銭感覚では、国家公務員の初任給が8700円、珈琲50円、かけそば、国鉄初乗り運賃、週刊新潮がいずれも30円。新聞代月極330円、10本入りピース40円、ビール大ビン125円、トリスウィスキーポケット瓶125円、赤玉ポートワイン210円、14型テレビ9万円、冷蔵庫7万円。大衆車日産ダットサンが1台80万円もしたそうである。50年は本当に長い。

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2006年 1月 31日(火)

化粧品

 健康食品や化粧品の媒体広告がいやに増えている気がする。先日書いた前立腺肥大症状を軽くするノコギリヤシは毎日一粒飲んでいるがこれは医薬品ではなくサプリメント(総合栄養健康食品)らしく、薬のように食後30分白湯または水にて服用とは書いていない。化粧品も薬ではないが日本メーカーの販売主力はスキンケア製品でありサプリメントと目的は大差ない。化粧品広告で以前知らなかったがSK-Ⅱというのがガンガン広告を飛ばし海外でも大評判だが調べてみるとマクスファクター(製造P&G)であり、サプリメントのメーカーでDHCというのをよく目にしたりするがこれはもともとドコサヘキサ***の略ではなく会社の名称が大日本翻訳センターであり、それの略称で今も翻訳の仕事をしているとのこと。カネボウ化粧品の没落からはじまり、ドラッグストアやコンビニ取扱化粧品サプリメント業界はまさに群雄割拠時代に突入している。
 昔から薬や化粧品は利益率が他製品と比較して異常に高いので営業戦略さえ良ければ並みの製品でも相当儲かると関係先に勤めている友人から聞いたことがある。そう言えば化粧品のメーカーだけでも昔から資生堂、カネボウ、ポーラ以外に、思いつくだけでもマダムジュジュ、明色化粧品、柳屋、キスミー、丹頂、桃谷順天館、近江兄弟社、クラブ、ピアス・・・などいろいろあった。現在でも店頭販売から訪問販売さらに通信販売と業態は増え、コーセー、花王(ソフィーナ)、ロレアル、ファンケル、ノエビア、ナリス、エイボン、オッペン、ヴァーナル、メナード、マンダム、レブロン、ポンズ・・・とカタカナ文字で素敵な化粧品メーカーが並んでいる。Dachs飼主の若い頃は資生堂MG5,カネボウVitalisなどのヘアケア製品から育ってきた。化粧についてはあまり興味は湧かず、寝癖を抑えるためヘアートニックとヘアーリキッドだけを使い、顔につけるスキンケアクリームは全く使わなかった。東京での独身寮時代、毎晩のように飲み屋や雀荘でアルコールや煙草臭に汚染されていた生活だったので、スキンケア製品は使っておけば良かったカナと後悔している。独身寮に入居した日、関西にいる親爺が化粧品を送ってきた。資生堂やカネボウなど一流品ではない柳屋製のヘヤートニック2本セットだったが、彼にとって精一杯のプレゼントだと言う気持がたいへん嬉しかった。

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2006年 1月 30日(月)

鯨竜田揚げ

美味しく戴きました 竜田揚げ 先週のニュースによると、鯨の販売量が増えているようだ。1986年から商業捕鯨は禁止されているが、ノルウェィと日本が調査捕鯨と称して当初500頭前後を獲っている。最近は徐々に捕獲量が増えてきたにも関わらず、消費量が増えていないので在庫過剰になったとのこと。20年近く捕鯨が禁止になっているので捕鯨非対象の鯨も増えて捕獲量が増えたのが主因だろうと思う。昨日安くなってスーパー店頭に並んでいた鯨を竜田揚げにしていただいたが本当に久しぶりの鯨に舌鼓を打つことができた。赤身のポピュラーな鯨ではあったが懐かしかった。捕獲禁止の鯨を食べるのは少し気がひけるが、鯨の増えすぎで彼らの餌が減って、今まで安かった鰯がここ10数年で相当に値上げしているコトを考えればまぁいいかとも思う。小学生の頃は八百屋の店頭で鯨の南蛮漬けを買って良く食べた思い出がある。アノ頃のおかずではコロッケよりも安価であったように思う。とても美味しくて朝飯のおかずとしてもボリュームがあって、いっぱい食べた。ほかには関東煮(おでん)の具として鯨皮脂(ころ)や冷凍刺身(尾の身)も食べたし、天麩羅や煮物(鯨鍋)にしても美味しかった。昔安かった鯨のベーコンも値段が50倍以上上がっているので20年以上Dachs飼主は食べていない。

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2006年 1月 20日(金)

男性下着

 朝から予報どおり冷え込んでいた。予報によれば明日は雪が積もるかもと言う。そう言えば今日1/20は大寒。これから立春までが真冬の正念場。もし明朝降雪あれば3年連続で大学入試センター試験日が雪になるということになるらしい。受験生もたいへんだ。
中学高校時代のみ履いていたパッチです 数年前から冬の女性下着に「ババシャツ」や「毛糸のパンツ」が若い女性達に愛用されていると聞いていたが、ニュースによると、この冬の寒さで男性にも「ももひき」の低年齢化が進んでいるらしい。流行のウォームビズには最適かもしれない。
 子供の頃は「子供は風の子(、大人は火の子)」と呼ばれ、小学生の頃は1年中男の子は半ズボンで過ごしていた。父は昔、冬はらくだ色のメリヤス(木綿)のパッチ(股引)とトランクス(申股)、夏は化繊のステテコと褌を締めていたと記憶している。母親は着物をずっと着ており、下着がどんなものか殆ど覚えが無い。私の下着遍歴は小学生時代からブリーフ、中学時代以降は長ズボンなのでブリーフに加え、冬場は白い股引、夏も白いステテコを履いていた。おまけに母親が心配性で冬場や就寝中は高校時代まで腹巻まで付けさせられた。サラリーマンになってすぐ東京・横浜に独身寮住まいになったので、夏冬とも、ブリーフだけになってしまった。履きたくなかったわけではなかったが、寮での洗濯機の手間を単に減らしたかっただけのこと。しかし、結婚後も今更股引(関西ではパッチと言う)を履こうと思わなかったので、未だに冬場も履いてない。ただ、ブリーフは30代になってトランクスに趣味を変え、今もBVDのトランクスばかりを愛用している。ちなみにブリーフは福助かクラレ(倉敷レーヨン、クラボウ)を愛用。

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2006年 1月 9日(月)成人の日

3丁目の夕日

映画館のパンフレット 昨年8月に堂々オープンして以来、往きたいと思いながらも何となく行けなかったシネマコンプレックス『シネリーブル』へ今朝はじめて家族連れで出かけた。祝日の午前中ということで、30分前に到着したが、既に殆どの席は埋まってしまっており、漸く前列から2列目隅っこの席に座った。
 見たかった映画は「ALWAYS 3丁目の夕日」であり、昭和30年代前半の東京の下町が舞台。ドラマの筋書きより昔懐かしい風景を映画の中でみること。昔懐かしい商品や施設の看板や実物は精巧に再現されており、2時間があっという間もなく過ぎた。市電、省線、汽車、バス、自家用車、商用車、駄菓子、東京タワー、看板、台所、食卓、居間、学校、遊び、飲み屋、・・・など昔の景色が懐かしい。日本テレビが企画したとのことだが、筋書きもたいへん良く練れており、涙と笑いの感動を呼ぶ映画。茶川竜之介と古行淳之介のからみや、小雪の長い指が印象的で、コドモくじのはずれが「あぶり出し」で『かす』と出るのも懐かしかった。DVDがでたら、是非買って、もう一度みたい映画である。

夕日のポスター

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2006年 1月 5日(木)

カラーテレビ

 ブラウン管式カラーテレビが出始めた昭和37年前後は貧乏長屋の我が家でもとても欲しくてたまらなかった。Dachs飼主は当時、小学校高学年~中学時代であり、プロレスやドタバタ喜劇の話題が学校で常に話題になって羨ましくもあったが、初期のカラーテレビは30万円以上するものであり、サラリーマンの平均月収の3~8倍もしていたと思う。白黒テレビでカラーの話題についていくのは相当嫌だったことを思い出す。
この頃のテレビ会社のキャッチフレーズと機種を思いつく限りあげてみる。
松下  パナカラー      嵯峨
ソニー トリニトロンカラー
日立  キドカラー      ポンパ
三洋  サンカラー      薔薇
東芝  ユニカラー      名門
三菱  ネオカラー      高雄
エヌイーシー         太陽
ゼネラル           王朝
コロンビア          世界
 (コロンビアは白が綺麗なホワイトカラーだと思うが自信無し)

 Dachs飼主として昨日はプリンタに食指と書いたが、それ以外に今家族で話題になっている(食指の動いている)機器がもう1つある。それは地上波デジタル対応の液晶テレビである。数年前から話だけはあったが我関せずとあまり注意も払わなかったのだが、あと5年程でアナログ放送が終了してしまうので、従来テレビではデジタル波変換チューナー無しでは見ることができなくなってしまう。録画機を考えるとHDD内蔵DVD&ビデオレコーダでデジタル対応だとかなりの出費となる。年末からいろいろ家族で話し合った結果、とりあえず、リビング用として32型で160GBHDDレコーダのみ付いた製品が20万円前後で出ているので、近々に購入する予定。

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2006年 1月 3日(火)

手拭

恵比寿の縁起モノ手ぬぐい 昨年暮れ正月用に買った缶ビールにもご覧の「めでたい手ぬぐい」が付いていた。今は芝居など死でしかあんまり見ることが無くなったが、こどもの頃は手ぬぐいを遊びの道具に使ったり、鉢巻、帯、頭巾、風呂敷、応急包帯・・・の代わりにしてた。ナントいっても良く見かけたのは食事に埃がかからぬよう、食卓やちゃぶ台のごはんおかずの上にかけた手拭。それと小さい頃に内風呂がなくて銭湯に毎日行ってたが、そのときに金盥(カナダライ)の上や着替えの下着を覆うものとして手拭を使った。子供の頃はタオルが出始めで単に手拭とは呼ばずに日本手拭と言ってタオルとはっきり区別していたように思う。
 今年は戌年なので、犬の絵の染めこまれた手拭が寺社露店土産物屋などで良く売れているらしい。最近の手拭は実用としての使い途ではなく、小物を包んだり、包装などしたりする装飾用途に使われることが多いようだ。

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2005年 12月 11日(日)

チキンライス

 今日は朝から晴れ間も見えず、最高気温も7~8度くらいで低迷していたと思う。午前中図書館に脚を延ばしたくらいで、昨日と同じように家の中でゴロゴロしていた。先週はいつもの5日間より勤務が長かった気がし、とてもしんどかったので、昨日今日とゆっくり休めたと思う。朝もいつも見ている『所さんの目がテン』を寝坊して見られず、その後7:30からのTBS『がっちり儲かりマンデー』を見ている時間帯に起きた。今日の話題エレベータで興味深かったのは製造は「トップG三菱」「メーカーG日立・東芝」「専業Gfujitec・otis」の3グループがメイン、毎年8万5千台造られていること、成田の空港内で飛行機をつないでいるモノレールのような車は実は「横に動くエレベータ」だったことなどが新鮮な話題だった。業界誌は3ヶ月に1冊の発行部数3000部の「エレベータ界」だということ、分速1080メートルのエレベータが現在最高速のエレベータであること・・・・など30分間でたいへん薀蓄を貯めることが出来た。
chknrice.jpg
 お昼は懐かしいチキンライスを作る。昔はケチャップ系のチキンライスやイタリアンスパなどが食堂のお気に入りだったが、チキンライスはレストランでもメニューに見かけなくなった。ケチャップのかかったチキンとごはんの上に載ったグリンピースも美味かった。我が家で作るときはそのうえに生卵をかけてもらったり、オムライスにしてもらった。チキンライスは簡単に言えば鶏肉を入れたケチャップかけの炒飯であり、手軽に作れ、子供の喜ぶご馳走なのに、なぜ見かけなくなったのだろう。子供の頃好きだった じゃがいもたっぷりカレー、 お好み焼きなどもこれまでは食堂で何でも注文できたが、和食堂、お好み焼き屋、レストランなど店が細分化され、洋食の好きな人と和食の好きな人が同じ店で食事が出来にくくなったのも昔のほうがとても良かったと思う。百貨店の最上階のお好み食堂で親子3代が食事をして、帰りに屋上の遊園地やペットショップをのぞかせてもらえて頃が嬉しかった。 

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2005年 7月 29日(金)

岡八郎さん

 今日も外は良く照ってるし、蒸し暑く不快指数は高いようだ。この頃不快指数という言葉はあまり聞かなくなったが、ひところは梅雨頃から毎日のように天気予報で「不快指数」という言葉がでていた。確か80以上だとタイヘンだったような・・・・

最近の話題で少し。
pepl356.gif 吉本新喜劇の岡八朗さんが亡くなった。若い頃は関西のテレビで視聴率の高かったのはお笑い。その中で喜劇は年配の人が好む松竹新喜劇(渋谷天外・藤山寛美・曾我廻家明蝶・鶴蝶)と若者が好む吉本新喜劇が両巨頭。吉本新喜劇は女性では西川ヘレン(潔の奥さん)、山田タカ子などが頑張り男性では岡八郎、原哲男、花紀京・・・などそうそうたる芸達者たちがいた。特に土曜日の正午に始まるサモン(大正製薬)お笑い(?)劇場は昼間にもかかわらず、視聴率が高かった。Dachs飼主も子供の頃から良く見ていた。彼は酒の飲みすぎがたたったそうだが飼主も肝臓が悪くならないように普段から注意をしたい。肝臓が悪くなると夜「こむらがえり」が出やすくなるらしいので、こちらにも気をつけたい。

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2005年 7月 9日(土)

番傘

昔愛用していた番傘  また、雨が降って来た。会社に置き傘が0本になったり、2本になったり頻繁に変わるので、朝から雨が降った場合に傘の居場所にどぎまぎすることがある。折り畳みの傘はビジネスバッグに何時も入ってはいるが全く使わないと言っても良い。傘の範囲が狭いだけでなく、電車やお店に寄った折に傘の畳み方や置き場に困り、どうも精神的にも不健康で嫌である。
 昔は蛇の目傘や番傘と言われる油引きの紙の傘が壱軒に2、3本はあり、子供の頃、よく近くに差して出た。大きい傘で紙の割に比較的重く子供にはキツイのだが、雨の傘に当たる音がものすごく男性的で気持ちよく感じられた。傘骨が竹材なのも気に入っている。
 今浅草寺近辺の老舗で蛇の目の傘を購入すると壱萬円以上もするらしいが、一つくらいは家に常備しておいて雨の音を楽しみたいと思っている。

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2005年 5月 13日(金)

なつかしいこと、あれこれ

 Dachs飼主の幼少の砌の我が家は、母の妹家族と一緒に戦後以降ずっと、県営住宅という平屋で四部屋程度の棟続きの所謂長屋に住んでいた。妹の家族は4名、Dachs飼主の家族は当時3人であり、30坪程度の家に7人もが生活していたことになる。小学校4年生の頃にそこから10分程度の海岸沿いにDachs飼主家族は引っ越したので、県営住宅の記憶はそれほど無いが、遊び友達はたくさん居り、小学低学年の遊び(めんこ(ベッタン)、ビーダマ(ラムネ)、ベーゴマ(ばい)、胴馬(どんま)、四角い枠内で手でバレーボールを付きあう遊び(天下町人武士大名、いんさ)、缶蹴り・・・・)は殆どこの県営住宅に居るときに覚えた。カッコ内は関西弁というよりむしろ明石弁かもしれない。
 小学校や公園にも近く、校庭でドッジボール、公園ではとんぼや蛙・めだか採り、昆虫採集、池では蓮の実獲り、深夜恐怖散策や覗きなども夏によく遊びまた挑んだ覚えがある。めだかなどは住宅前にある庭の池に入れて、生き物の面倒をみることができたが、水草のほていあおいが繁り過ぎてあまり池のソコが見えなかった。蓮の実やグミ、へびいちごなどはとっても美味だった。たまに公園の奥に入り込みすぎて漆にかぶれて(関西ではマケテという)顔や手を腫れ上がらせたり、池や沼に足を取られてズボンやシャツを汚したこともある。夏場は小学校から午後5時に、冬場は午後4時に「蛍の光」が流れてきたが、悪大将の指示でいつも動いてたので警告通りに我が家に戻ることはむしろ珍しかった。また、小遣いなどもあまり貰っていなかったので、紙芝居屋からはいつもタダ見をするなと白い目で見られていた。紙芝居を見るためには何かお菓子か玩具を買わないと見ることができないということだったが、芝居が始まってからこっそり後ろのほうで見たり聞いたりしていた。演題は、赤の裏地で黒いコートを着た黄金バットや恐ろしげな蛇娘、猫娘、海外ものなどが多かった気がする。只見でいけないのだが黄金バットの痩せ顔は今でもはっきり覚えており、似たような人にあうと黄金バットが出てきたと思ってしまう。
 小学校高学年になってからは、2階建て木造家屋に引越した。こちらに遷ってからは、近所に同年代の子供が少なかったことと、中途の引越しだったので小学校は最寄の小学校ではなく今まで通っていた小学校にそのまま通い続けた。いわゆる越境入学であったが、その当時はそれほど厳しくも無かったので、少し遠くなったが今まで通り同じクラスで勉強を続けた。そのため新居では近所の友達はできず、こども同士での遊んだ記憶は殆ど無い。新居は2階建てで庭も充分に広かったので、3人家族にとっては広すぎる感じがした。シバの雑種でエスという名前の犬も飼った。そのころは満足できる犬餌も無く、おかずやごはんの残りを朝晩、Dachs飼主の日課として与えた。冬場も寒かったが「子供は風の子」とオダテラレ、鼻水を垂らしながら半ズボン姿で庭に出て「エス、お手、ヨシ」などと頑張った。小学校時代は冬場はしもやけがひどく餌の入っているアルマイト皿さえ、とっても冷たく朝の食餌を与えるのはとっても苦痛だった。中学後半に入ってからは寒くては勉強できないと親からチヤホヤされて、メリヤスのパッチや長袖シャツを着せて貰った。
 夏は蚊帳と蚊取線香、ハエ採り紙を先ず一番に思い出す。蚊帳は知らないが、蚊取線香とハエ採り紙は岡山産である。蚊取線香は大日本女中菊株式会社から出されているが今の金鳥である。少し高かったがポトポトと蚊が面白いほど落ちた。蚊帳を張って寝る前に金鳥蚊取りを5分程焚くと蚊帳の中は一匹も居なくなるのであとは蚊帳の裾を注意しながら上げて自分が入ればあとは朝までグッスリ眠れるというわけである。これより安い蚊取線香で西郷隆盛の絵が入っている「南州香」も我が家では良く使った。これは人畜無害の「南州香」がキャッチコピーで線香独特の強い匂いが少ないので年寄り子供には好評だった。ハエ採り紙はカモイの「リボンハイトリ紙」を使っていた。粘着質の物質をリボン状の紙につけて、天井に吊るしておくとこれも面白いようにハエがくっつく。いわゆるゴキブリホイホイの蝿版である。ハエ採り紙は後日カモイからもっと安いアース製薬に取ってかわられるが、アースも岡山県か兵庫県に大きな工場があった。黄色い紙に大きく赤字で「アース」と書いたハエ採り紙はたいへんインパクトがあった。飲食店では薬が使えないや強い匂いはご法度なので、無味無臭のハエ採り紙は最適。しかし、あまり死んだ蝿がべたべたついている紙を店先に吊るしておくのは美観を損ねるので毎日のように新しいリボンに替えていた筈。カモイもアースも大儲けをしたと思う。
 我が家のトイレは昔の和風トイレで、トイレには朝顔や手水鉢(吊るすタイプ)があり、日本手ぬぐいも吊ってあった。今は2階建ての家は両階ともトイレがあるがあのころ、男女別々に用が足せるのは誠に贅沢なこと。洋式便器の便座カバーや便座をいちいち上下させたりする手間もなく、男女ともに即できるのもとっても良い。
 そのころ、家にあったもので懐かしく思い出されるものは「卓袱台(チャブダイと読む)」、「風鈴、金魚鉢、うちわ」、「おくどさん(かまど)」、「木製冷蔵庫(氷屋から氷を買ってきて冷やす)」、「寝台(麻製のリラックスチェアでネダイと読む)・床机」、「そろばん、計算尺」、「凧、グライダ、ブリキのおもちゃ」、「縁側」、「肥後の守、ボンナイフ」、「鉱石ラジオ」、「ゆかた、チジミのステテコ、銘仙、割烹着、針山、チャコ、指ぬき、湯のし」、「丸髷、鳥撃ち帽、懐中時計」、「座敷箒、熊手、亀の子たわし」、「床の間、押し入れ、神棚、仏壇」・・・・・。
 いろいろ思いでは尽きないが別の機会に続きを書いてみたい。

投稿者 dachsjp : 18:24 | コメント (0) | トラックバック

2004年 11月 11日(木)

すきな歌手

フレンドCDカバーナチュラルCDカバー 先週日曜日にたまたま見た”ミュージックフェア”での綾戸智絵、すごい巧かった。ピアノはもちろんだが、弾き語りの歌も素晴らしかった。あまり音楽は聴かないほうだが、(昔から音痴なので艶歌しか覚えられない)彼女の歌唱力と音楽には感動した。CDかDVDでも街にでたときに買おうと思っていたが、その前に図書館で借りて少し聞いてみようと左右の2枚を借りてきた1999年と2000年に出た旧い楽曲だが情緒あふれ、ぜひベスト盤CDを購入したいの意を強くした。ジャズはスタンダードナンバーを入社したての若い頃に、好きな人(ジャズがです、もちろん男性です・・・)がいて自由が丘のジャズ喫茶「ティクファイブ」へよくききに行った。  関西弁の歌のうまいおばはんはこの綾戸智絵以外には、昔「坂本すみ子」という歌手がいた。そう言えば「朱里エイコ」さんも先頃亡くなったそうだ。 Dachs飼主の好きな歌手と言って直ぐに思い出す人はほかに、本田路津子、桂銀淑、坂本冬実、渡辺真知子、こまどり姉妹・・・。


投稿者 dachsjp : 16:22 | コメント (0) | トラックバック

2004年 11月 3日(水)文化の日

経木 テレビIQテスト

関東では食べ物包装の定番経木
 今朝 はすぴー倶楽部の懐古掲示板でなつかしい話を読んでたら、『経木』という言葉を見つけた。関西では食べ物を包むものとしては、「若干防水性のある濃緑のザラ紙+新聞紙」か「たけのかわ(筍の皮)」が定番であり、Dachs飼主が子供の頃は経木による包装はポピュラーでなかったような気がする。小学生の頃はお好み焼き(摂津ことばで”にくてん”と呼ぶ)を新聞紙やたけのかわで包んで貰い、自宅や友人の家で美味しく食べた。筍の皮のつるつるした裏側は防水性が非常に高いのでお店では重宝された。
 調査の結果経木とは、『杉・檜の木目の細い素性のよいものを柾目に割り削った板。その板は、紙の代わりにお経を書いたり、記録などを書いたので経木(きょうぎ)といわれました。』そういえば駅弁の折り箱も最近は化学素材で軽く強く防水性の高い物がおおいが、つい20年ぐらい前までは、この素材が主流でした。卒塔婆も多分経木で作ったものでしょう。

 去年に引き続き、今年もテレビ朝日のIQテスト(テストザネィション)に挑戦。今年フジテレビは平成教育委員会をぶつけてきていたが、Dachs飼主はIQを選択。
 結果は言語(8/10)・記憶(7/15)・論理(9/15) ・数(9/10)・知覚(14/20)で合計47/70問の成績。IQの結果は137と出た。昨年は2003/11/3の徒然日記のとおりだが、傾向としては殆ど替わってなく、記憶や間違い探しに難があることを再確認。今日はこのテストやった人多いと思う。

投稿者 dachsjp : 09:26 | コメント (0) | トラックバック

2004年 10月 27日(水)

防災用品 万年筆と携帯電話

土砂で埋もれた車の中から救出される皆川優太ちゃん 今日午後のテレビは中越地震で車と一緒に飲み込まれた母子3人の救出に時間を割いていた。(東京12チャンネルだけは平常通り)午後10:00現在後部座席に居た2歳長男は助かったがお母さんは病院で死亡、長女3歳も車内で土に埋もれ期待も虚しく脈は無いとのこと。午後1時頃には3人の心(臓)音が聴こえると言ってたのにほんとうに残念だった。長男が姉や母に貰った命と思い、大切に生きていって欲しい。

もう一つ、大型台風や地震が続いている所為か、防災緊急避難用品が飛ぶように売れているらしい。一部商品の品不足もあるとのこと。

 昨夜はテニス仲間と卒業祝いの話になった。Dachs飼主の子供の頃は中学卒業で万年筆、高校卒業で腕時計を親から貰い大切にしたものだ。親戚からのお祝いの現金もそれはそれで嬉しかったが、父親から貰った黒の国産万年筆にはたいそう嬉しく感激した想いがある。当時はスポイト式のインク壷から吸い出す方式が主流であったが、Dachs飼主の貰ったのはセーラー万年筆の創ったカートリッジ式のもの。ペン先にも14Kと書いてあり、タッチも柔らかだった。その話をすると『今の子供達は携帯電話を貰っている』らしい。塾や外出時の連絡には最適らしい。高校では生徒のうち、8割近くが携帯しており、先生も校内使用を黙認せざるを得ないらしい(但し、試験の時は電卓・英和辞書・メールなど悪用されるので、絶対使われないような対策を各校で立てられているとのこと)。確かに携帯は増えた。痴呆症も含め老人にも位置情報検索の出来る携帯電話を持たせるのが常識らしい。

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2004年 10月 22日(金)

停電 薬灌

 前回10月9日台風22号の時、停電になったことは書いてはいなかった。お付き合いしている友人からeメールを頂戴した。「湘南近辺では午後6時頃から深夜2時頃まで停電になり、全部電気でやっている家はシステムキッチンでお湯を沸かすこともお風呂に入ることも出来ませんでした。お湯は幸いポットにあったので助かりましたが、お風呂は設定が電気なので使えません。」
我が家もガス炊飯器とガス風呂ですが、いずれも停電になると多分役立たないと思う。すべて電気でコントロールされるのは、停電の際など往生することになると思う。

薬缶 ポットは今や電動などかなり便利になっていますが、昔はやかんでした。関西ではやかんといわず、チャビン(茶瓶)と謂い、色も真鍮の黄やアルミの白が殆どで、暑い時子供の頃には黄色い大きなチャビンに直接口をつけてグビグビと飲んでいた記憶もあります。小学校の給食に使ってたちゃびんはボコボコにされてました。
ちゃびんと謂えば禿頭も「やかんあたま」とはいわずに「はげちゃびん」と呼んでいました。

2003年4月から12月の過去綴った日記の文章部分だけを現行BLOGに移行した。あと、今年の1月~9月分を今月中に移行してしまいたい。

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2004年 7月 22日(木)

はすぴー倶楽部 セブンブロック

 今日、ネットの紹介でハスピー倶楽部というページを見に行った。僕より若い人だが昭和30年、40年代中心の昔懐かしいものや話題に時を忘れた。昔懐かしいレトロが見ることの出来る博物館なども都内にたくさんあるようで、これからの見学が楽しみ。
 小学生の頃、親が一緒に遊んでくれたテーブルゲームに「ダイヤモンドゲーム」がある。欲流行ったし、製造メーカーは赤い富士山模様の「はなやま玩具」であったのもたいへん懐かしかった。はなやま玩具では確か「セブンブロック」(名前は違うがこんな感じ)と呼ばれる7つの形の違うプラスチックボードをあわせていろいろな形を作ったことを憶えてる。中学時代もこれでよく一人で遊んだ。このゲームの本もシリーズ物で10冊ばかり持ってたように思う。 ラッキーゲームと言ったかもしれない。

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2004年 6月 30日(水)

のりもの

 乳母車に乗っていた思いではないが、太い藤でできたバスケットに綿入れの
布団を敷いた乳母車に乗っていた赤ちゃんは子供の頃、よく見た。車は子供用
三輪車を少し頑丈にしたような車輪。現代のベビーバギー・ベビーカーと呼ば
れる折畳式のものはDachs飼主に赤ちゃんが出来た頃には全盛で、我が家
では確か『アップリカ???』とかいうメーカだったと思う。
 街には今では殆ど見かけられなくなった人力車が走っていた。裕福な人が乗
るタクシーのようなもので、我が家で家族全員が乗った記憶はない。今観光地
で走っているものと殆どいっしょだが、幌はすべて黒で、ひざ掛けの裏が赤で
あった印象が強い。
 市民が乗るのは自転車か乗合バス。自転車は冷蔵庫に毎日入れる氷柱を積ん
だりする必要もあり、荷台が広く、安定感のある黒い大型自転車が各戸に必ず1
台はあった。バスはもちろんワンマンではなく、バスガールが乗っており、バ
スの切符に鋏をいれたり、「次は市役所前 市役所前 **家具は真向かいで
ーす」などとマイクでアナウンスする。バスガールと言えるほどのものでもな
く、小太りの中年女性が多かったかもしれない。車の前部は大きなボンネット
があり、エンジン音高らかに後方からは排気ガスを撒き散らしてさらに道路は
舗装してないので土ぼこりがむんむん。
 お出かけは観光バスか、電車。電車は私鉄と国鉄。国鉄は当時「ショーセン
」と呼ばれていた。運輸省の路線なので、省線だったのだろう。国鉄には石炭
で走る汽車と電車があった。汽車は左右4人掛けの座席、電車は今の電車と同じ6,7
人掛け座席。汽車はデッキ(車両の連結部)に乗ると、冬は冷たい風が厳しく
、トンネルに入るとこれは季節に関係なく石炭のすすをかぶる。ドアが無い為
だが、滑落事故が殆ど無かったのが不思議なほどである。バスは記憶にないが
、汽車電車とも、小学校の床と同じで茶色のニス塗りの床で防災上の問題あっ
たのに、平気で大人は社内でタバコをぷかぷか吸っていた。汽車の窓下ににつ
いている灰皿が非常に機能的でかつほかでは見る機会が殆ど無かったので電車
に乗るたびに灰皿をがたがたいわせて取り外したり、食べ終わったみかんの皮
を灰皿に入れては親に叱られていた。灰皿はなぜか色が灰色だった。汽車は鳥
栖や下関、宇野など長距離が殆どだったが、吊り下げられている行き先表示板
を見て、いつかは九州に行ってみたい、などと夢見てたように思う。省線の切
符は硬券で、自販機も無かったので、窓口で神戸まで子供1枚などと言うと赤字
で小の入った切符を機械にスライドすると自動的に切符の片側に日付が印刷さ
れ、とっても「かっこよかった」。
 自家用車については、ある親戚がラムネ製造をやってたので、オート三輪を
数台所有していた。オート三輪はハンドルが自転車やバイクと同じで操舵につ
いては力がいるが俊敏確実なもの。メーカーはダイハツ(大阪発動機)だが、
車名は「くろがね***」と言った筈。子供たちはこの深い緑色をした自動車
をいつも「バタコ」と呼んでいた。ダイハツで思い出したが、小学校高学年の
頃テレビジョンで流行った番組に大村昆主演「番頭ハンと丁稚ドン」があるが
そこで広告していた「ミゼット」というオート三輪は爆発的に売れまくり、駅
の近くの商店街に寄るとミゼットがいっぱい。

 近日中に「ぼくなつ」に出稿を予定

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2004年 6月 29日(火)

秋葉原 この20年

 秋葉原もこの20年近くで相当かわった。
 昔は、と言うほどの昔でもないが、昭和の秋葉原は殆ど白物(冷蔵庫洗濯機
など家庭電気製品)で、当時OA用に限られていた電子機器販売は細々と営業
していたように記憶している。コピー・ファックス・プリンターが平成になっ
て一般家庭にこれほど普及するとは誰が想像してただろう。
 あのころ、ロケット・第一家庭電器・なかうら・広瀬無線・オノデンなど家
庭電器に注力していた頑張っていた電器屋さんは最近は見かけなくなったり、
元気がなくなっている。昔はメーカー代理店が電器屋さんに大量の自社製品を
予算達成のために月末に大量導入してもらっていたという。業界用語で「押し
込む」と言い、メーカー側は販売店幹部に連日接待攻勢をかけるため、秋葉原
ならびにその近辺(銀座・上野湯島など)の高級割烹は流行っていた。交際費
も相当なものだったそうだが、いまやその面影も無く、秋葉原にあった割烹屋
は今や殆ど廃業しているそうだ。
 今比較的元気なお店は石丸電機くらいで、情報機器で隆盛した有名なソフマ
ップ・ラオックスでさえ、少し伸びが停滞しているのではないかと思う。地方
ディスカウント店郊外進出や大手カメラ量販店の都心進出で秋葉原も相当顧客
獲得競争がシビアになってきた。昨今のデフレ基調で顧客の眼も肥えてきてお
り、ネットで価格比較する人も増えている。具体的には秋葉で商品を触り、価
格サイトや掲示板などで製品長短関連の噂や経験談を充分聞いてから、あらた
めて、通販や高額ポイント制の郊外安売店で買うのが情報コンシューマの一般
的傾向。これでは秋葉原はたまったものでない。
 いま、秋葉のパソコンショップはノーブランド周辺機器やDVD・デジカメ
・ポータブルオーディオプレヤーなどを買う人であふれているらしい。AVに
強い関心のある若い人が、それらを観たり聴いたりするために自作パソコンを
作り、音響周辺機器を上手につなぐ人が増えているせいだ。Dachs飼主も
昔は音響マニアの一員で、アカイの巨大4chオープンリールテープデッキや
サンスイのスピーカーを大阪日本橋電機街に買いに行ったものだが、ネットか
ら音楽をダウンロードしさえすればいまや、100gを切る超小型プレヤーで
電車の中でもどこでも、ヘッドフォン(イヤフォンとは言わないそうです)で
好きな音楽が気軽に観賞できる。
 一時流行った家庭用ゲーム機器やソフトも最近は一段落しているようで、郊
外のパソコンショップやレンタル店で中古販売が隆盛とのこと。今の秋葉客層
は、パソコン系のほかは模型玩具を初めとする趣味性の強いマニア店が増加し
、所謂普通の電機屋さんのスペースは徐々に減ってきている。違法ソフトや怪
しい中古販売も含め、パソコン系にも周辺機器部品バラ売りの店面積が増えて
きている。

 資金さえあれば秋葉原で『儲かる』とDachs飼主が思っている商売が二
つある。
ひとつめは食べ物店。
 秋葉営業時間も時間が長くなっており、朝は10:00頃から夜は11:0
0過ぎまでお店は営業している。従業員だけでも数千人はいると思われ、社員
食堂スペースもお店側では用意できないため、また食事時間もお店により交代
制をとっているので、美味しい料理を安く出せば必ず儲かる筈。今秋葉で行列
の出来るお店は博多らーめんの店1軒のみと思うので、インターネットの使え
るなど一味違う食べる空間を作れば「きっと儲かる」

ふたつめは古本屋。
 簡単で梱包箱から出せば直ぐ使えるようにパソコンはメーカ広告されている
が、これが誇大広告でないという人は殆ど皆無でしょう。折角買ったパソコン
だから有効に使おう、人気高いのでこの際もう一度、埃をかぶっているパソコ
ンを出して勉強しなおそう等と考えている人が大半ではないかと思う。パソコ
ンで判らないときや判ろうとするときにまず頭に浮かぶのは市販のパソコン解
説書。雑誌も含めると1ヶ月にざっと1000冊レベルの発刊が繰り返されて
いるという。しかしながら、1冊の本を2000円前後もだして買っても自分
が本当に知りたいと思うことは立ち読みの時に買おうと思った数行だけだった
ことがありませんか? 解説書はパソコンを使うときに本来何度も繰り返して
読み・学習するものだが、帯短襷長の書籍が多く、手元に自然に解説書が増え
てゆく。例えばソフトの購入代金よりソフト解説書の購入金額のほうが多くな
ることもしばしばで、ソフトはなるべく安く買おうとするが、解説書が何度も
買うとソフト価格より高くなることにはあまり神経を尖らせていない人も多い
。あっても読みたくない本は山のように各家庭に眠っている一方、一昔前のバ
ージョンが買えない、プログラミング言語の解説書は古いものでもサンプルの
ついた判りやすいものが欲しい、とにかく初心者なのでいろいろな解説本を安
く読みたい・・・というような方も多いはず。こういう人たちをターゲットに
高く買います安く売りますの古本屋商法で秋葉原にショップを開いたら「きっ
と儲かる」
近日中に『ぼくなつ』に出稿予定

投稿者 dachsjp : 13:26 | コメント (0) | トラックバック

2004年 6月 23日(水)

弱冷房車 貸本屋の掲載依頼

 連日、書いているが、毎日が暑い。
背広は当然5月から夏物にしているが、毎日我慢できないほどの暑さ。電車の中くらいは涼しくと思っているが電車も冷房が効いてない。そのわけが今朝判った。昨年10月にサラリーマン生活に戻って以来、毎日同じ車両で、陽が直接あたらない北側の席に座っていた。車両は人形町で日比谷線に乗り換えるとき、階段に一番近いところ。
ところが、今日社内で次の主旨で車掌がアナウンス
『毎日暑い日が続いていますが、社内冷房が気になる方は3号車にお移りください。冷房を弱くしてあります』
私の座っている車両がその3号車。どうりで暑いわけだ。明日からは乗換えが不便になっても、少なくとも夏場だけでも別の車両に移ろう。案外気づかないものです。ドアのところに青い文字で《弱冷房車》とはっきり書いてあった・・・・ドジマヌケ

小生が徒然につづった懐かしい話のうち、『貸本屋』の話が北陸の図書館の方の眼にとまり、同人誌の中で掲載したいというお話を戴いた。こちらとしては、お役に立てればぜひお使いくださいと回答させていただいた。読んでいただける方が一人でも多いことは嬉しいおはなし。

投稿者 dachsjp : 13:21 | コメント (0) | トラックバック

2004年 4月 21日(水)

竹内均教授没 NIPPON

 ニュートンの編集長の竹内均さんが亡くなったことを今朝の新聞で知った。
この方は少年の科学や大学受験ラジオ講座などで、物理を面白く説いて聞かせ
てくれた。中学高校の地学や物理の教師には横山先生、平畑先生などいたが、
あまり興味を惹く話はしてくれず、通信簿(通知表)でよい成績を取るためだ
けの詰め込み教育だった。
 そのせいで未だに地学や物理(この教科が現在もあるのかどうかさえも興味
なし)は奥深くまでしらないが、実験や観察などを中心に竹内先生はラジオや
雑誌から我々に語りかけてくれた。相対性理論の「いろは」を聞いたときには
たいへん感動して、勉強嫌いのDachs飼主がその後半年以上図書館に通い
、独学で相対性理論の研究をした経験もある。めがねと大きな眼が印象的な学
者でした。合掌。

 関係ないことだが、昔はオリンピックのユニフォームにはNIPPONと書いていたが、何時のころやらか、「japan」に変わっている。頑張れNIPPONがとても懐かしい

投稿者 dachsjp : 10:38 | コメント (0) | トラックバック

2004年 2月 25日(水)

給料 HPとぶたまん

 勤務している会社の3ヶ月の試用期間が終わり、今日頂いた1月分給与からは2万円あっぷし、晴れて正社員になりました。もちろん、小遣いは1銭も増えませんが。
4月HPリニューアルに向け、なけなしの時間を有効に使いながら、いろいろと試行錯誤を繰り返している。いろいろ海外のデザインサイトを見ながら構想を練ってよいところまでは行くのだが、何せカテゴリーの量と種類が半端では無いので、統一したデザインコンセプトを貫くのが難しい。友人が大阪に行ってぶた饅を土産に買ってきたという話を聞いて、ブタマンが無性に欲しくなってきた。ブタマンたべればいいアイデアが湧いてくるかも・・・?
 ブタマンは東京のにくまんなど比較にならないくらい、ジューシーで旨い。阪急沿線で買う蓬莱551、御堂筋線新大阪改札でた所にある皇蘭のぶたマンが特にいけます。

投稿者 dachsjp : 09:21 | コメント (0) | トラックバック

2004年 2月 10日(火)

加齢の良い点 乾燥注意報 カブ元気

 お昼まで会社に居て、2時前に帰宅。午後7:00頃まで寝ようと布団に入ったが、徹夜した割りに疲れの所為か眼が冴えてナカナカ寝付けない。若い頃は徹夜をすると始業前の1時間程度とお昼頃には猛烈に眠くだるく、疲れが溜まってるのが実感できたが、歳を重ねると疲れの感じ方も遅くなってる。年配の方がジョギングや遠泳で即疲れが出にくいのも歳のせいかもしれない。反動は後になって何日も続くので、喜んでばかりもいられない。今夜9時からテニスに行くが今日は無理を控えよう。
 布団の中でラジオを聴いているとダイヤモンド富士の話をしていた。今の時期ダイヤモンド富士が見える絶好の場所と時間帯を教えてくれるサイトがあるそうで、先週は東京タワーに多くのヒトが集まったそう。ハナシはそれではなく、昭和40年代初めから約40年経つが東京(武蔵野)から富士山の見える日が昔は20日程度しかなかったが現在では80日近くも見えるとのこと。勿論季節は空気の澄んだ冬季ですが、原因は空中に漂う浮遊物質が少なくなったというよりは、空気があの頃より15%以上乾燥してきているからだそうです。そういえばあの頃は地肌の見える地面でスギ花粉なども土に触れると再度漂わなかったのが、舗装道路が増え花粉が飛びやすくなっています。また、静電気も子供の頃はそんなに感じなかったが、今は良く感じるようになってきたと思う。お肌とともに、乾燥は健康で快適な生活には大敵。

 セキネさんからもメールを戴いた。カブ君はトイレの成功率は70パーセントくらいになったし、夜は一人で寝ることができる。日増しに成長で心強い。

投稿者 dachsjp : 21:59 | コメント (0) | トラックバック

2004年 2月 5日(木)

ホカロンとミカロン

 今朝はなんとかマシになったが、大事をとって、再度パブロン飲んでも食事を取らず会社へ。今日はさすがの僕も5:30早々に会社をださせてもらう。

 昨日ロッテのホカロンを買ったが、日本人が発明した偉大な品だと先日プロジェクトエックスで放映していた。ガムのメーカーが防湿材の研究をしていた時に鉄が酸化(サビル)時に出す熱を製品化したものだそうです。流石勤勉研究熱心日本人。
 興和新薬にふけ治療薬「ミカロン」がある。と先日までそう思っていたが、いつのころからか、製造中止になってるとのこと。少し硫黄臭のする薬で、疲れが続きフケが溜まると少々のシャンプーでは綺麗にならず、若いときはシャンプーするとフケが逆に浮き出す状態に使った覚えがある。なつかしい薬。ミカロンとともに思い出すのが、母が使っていたロゼッタ洗顔パスタハンドクリーム「桃のはな」。あれも無くなってしまったのだろうか?昔の化粧品会社も「明色化粧品」「ウテナ」「桃谷順天館」など思い出せばいくつもある。

投稿者 dachsjp : 21:53 | コメント (0) | トラックバック

2003年 11月 25日(火)

豆腐2題

 昨日は何年ぶりかでちゃんこ鍋を囲んだ。我が家では結婚後、Dachs飼主妻の方針で科学調味料(あ#の素)などは一切使わず、出汁も全部自製ですが、ちゃんこのスープだけは別です。関西にはちゃんこ鍋はあまり見かけず、スーパーでパック入りのちゃんこ汁の素をそのまま鍋に開けて使いますがこれがまた、旨い。豆腐、白菜、あげ、白滝、チキン、海老、ねぎ、最後にうどん(お薦めはもちもちうどんと呼ばれる粘りのあるもの)をいれると最高。出汁はそっぷ味と書いてありましたが、関西でそっぷと言えば「豆乳」を指します。また、関西では私達の住んでいた付近だけかもしれませんが、「いっちゃ」と呼ばれる凍み豆腐があります。これは寒い冬の夜、固く絞った木綿豆腐を軒先に吊るし、朝凍った状態のものを夕方まで自然解凍したものを鍋や煮物・味噌汁に入れて食べます。凍らせると「生地はガスガス」になりますが、これが「高野豆腐」に似た味でとっても美味しかった。今は冷蔵庫が普及しているので「冷凍庫に入れればすぐにできます」が、昔は豆腐も保存食だったのでしょう。

投稿者 dachsjp : 16:02 | コメント (0) | トラックバック

2003年 10月 23日(木)

緑色日記(7) 全然

 今日は昨日の雨からうってかわった暑いくらいの快晴。Dachs飼主が会社に行こうとすると車に一緒に乗ろうと着いて来るし、返りも駅まで車に乗って迎えに来てくれる。今までは産箱から全く動かなかったのに、大分子育てに余裕がでてきたのか? 帝王切開後はクリニックへ全く行って無いが、10日後の月曜には手術の抜糸があるので、行かなければならない。いろいろ子育ての留意事項などを聴いてもらうことになる。

 今日、「どっちの料理ショー?」を見ていたが、全然美味しいとか
全然大きいと全然のあとの言葉を肯定文で言う人が大変多かった。関口宏のようないい年齢をした中年もこういう言い方をしていたが、本当にこういう言い方は正しいのでしょうか? とっても疑問に思う。 阪神勝利したらしいが「阪神は全然強い」と言ってるのだろうな?

投稿者 dachsjp : 10:45 | コメント (0) | トラックバック

2003年 9月 29日(月)

青色日記(2) 消えゆくことば追加

 体重が7月に測った時は4.2Kgだったが、昨日医院ではかったら4.95Kgまで増加していた。体重も18%も増えると、増加というより激増の部類に入る。これから夕食の前に体温をはかるように指示を受け、昨日から測りはじめた。しかし、普通の体温計で肛門挿入で馴れないのも一因か、何度測っても37.2度。犬の平熱は38度前後と聞いてるので、これでは役に立たない。今日ドラッグストアで1秒で検温できる耳体温計を購入し測ってみると37.8度とだいぶ犬温に近付いてきた。

 今日、関西の友人と電話で話していたら、こんな関西弁が久しぶりに聞けたので消えゆくことばに追加更新した。
 ○めんどい   ブスに似たことば、みっともない様子
 ○ずんべらぼん ノッペラボー
 ○へちゃむくれ おかめ顔、平板な顔の造作をいう へちゃとも言う

投稿者 dachsjp : 09:56 | コメント (0) | トラックバック

2003年 9月 22日(月)

NHKアーカイブ プルダウンメニュー 阪神沿線しゃれ噺

 1昨日からの雨が午前中にやっとあがったが、まだ肌寒く、昨夜は夜中に布団を1枚増やしたほど。
余談だが昨夜、遅くまで織田裕二主演、平成元年放映の「19歳」というドラマを見た。テレビ50年とのことで、NHKも「アーカイブ特選」と称してたまに旧いが、よい作品にめぐり合えることがあるので楽しみ。昨年暮れも石坂浩二ナレーションの「シルクロード敦煌」を毎晩遅くまで見ていた。加賀美アナも素敵な人だ。

 昨日ヒントを得たのでプルダウンメニューを大雑把に作り、新サイトのトップページに転送しておいた。まだまだサンプルレベルで本格的なものにするにはもっともっと手をいれる必要がある。

 友達と電話で長話している時にふと思い出したことがある。小学生のとき、両親の神社仏閣詣でで大阪神戸の近場に行く時は観光バスを使って行った。バスと言っても市営バス(我々はシバスと言ってた)でボンネットタイプの旧型だったが、飲み物や食べ物を貰えるのはいいが、神社での「お百度まいり」(百度石と神社賽銭箱あたりを紙こよりを手に持って数えながら往復する)と帰りの爺婆のアカペラ歌や民謡には閉口だった。それでも殆ど毎月のように言ってるので、バスガイドの説明もだいぶ覚えてしまった。以下はそのひとつ。
『神戸から汽車で大阪へ向かう途中、何か飲みたいというと「もっと待ち(元町)」、次の駅で「酒飲めや(三宮)」と声がかかる。へえ。こらありがたい。どこの酒でっかときくと「灘・・灘・・」。けっこうやな。どなたのおごりで?と聞くと、「わしや(芦屋)」・・さよだっか、おおきに。で、どのくらい飲めまんの?と聞くと「二升飲めや(西宮)」。わぁ、どっさりでんな。冷やでっか、燗でっか?というと「かん酒(神崎)」。けっこう、いただきましょ。-何や、これえらい薄いがな、というと「うめた(梅田)」。ちなみに神崎は今の尼崎で大阪との境には神崎川が流れています。

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2003年 9月 11日(木)

またも残暑 2年前の9.11

 すずしい日々が続いていたが、ここ4,5日は毎日暑い日がまだぶり返してきた。ひぐらし(ツクツクボウシ)が毎日「秋が来る」とせわしなく泣いているのにいつまでも暑い。今日は多分最高気温。今朝撮りたてのラミエル。最近は飼主として彼女に妊婦並みの注意を払っており、長い身体をダッコする際は手をお腹ではなく、尻尾にあてがって行ってる。50cm以上の体調を抱きかかえるのは苦労する。

 9/11今夜は十五夜だが、2年前の今日は忘れられない。2年前の今日は火曜日で夜9:00からのテニスレッスンも終わり、10:45分頃車で自宅に戻る途中、カーナビのTVから安藤優子がビルに飛行機が衝突したと何度もアナウンスし、何が起こった、何が起こるのかと大声で叫んでいた。帰ってTVを点けると殆どのチャンネルで「2台目がぶつかった」「ビルが崩れてゆく」と神戸淡路大震災の朝のようだった。翌日会社があったが、そのまま午前2時過ぎまで推移を見守り、寝たのは2:30。(翌日5:30に起きる事が出来た) あれから2年経った。たしか、この頃に重なると思うが、我が家の近所の白井牧場で狂牛病の鑑定があり大騒ぎになった。帰りの車から問題の牧場に一杯車が留めてあった。たぶんマスコミの車だったのでしょう。

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2003年 9月 5日(金)

親戚探し 和裁と毛糸編み

 今日新しいDachs友達のゾーイさんのHPで教えてもらった親戚探しを使いラミエルの登録をしたが、登録件数がまだ少ないようで3匹しか見つからなかった。前に探したdachsナビでは160匹以上の親戚が見つかったのに。それでも血統書の登録をしたので、我がホームページにも掲載した。

 ネット友人の仕事が和裁なので少し子供の頃を思い出してみました。昔、Dachs飼主がこどもの頃は、アイロンの代わりとして布の伸張に熱いこて、など使っていたような記憶があります。熱い日は母親は汗をたれたれ、やっていました。また、裏庭や玄関に濡れた布を串と糸とで軒先や竿から吊るして洗い張りというものもやり、布を板かなにかでパンパンしてました。これも布の伸張に役立つのでしょう。和裁は勿論経験無いですが、(小学校の職業家庭科でプラスチックの筆箱風の裁縫箱は使いましたが)母が着物をほどいて洗い張りしてたのはよく憶えています。
 裁縫箱にはマッチのような待ち針、掴む時にこわごわの針山や三角形の蝋石のような青いチョコ(と言ったかな?)などが入ってましたね。チョコではなく、おチャコと言うのが本当らしい(後日修正)。木綿のカタン糸とあの(糸)コマはミシン全盛の今でも、まだ売ってるのでしょうね。カタン糸の車は図画工作の時間にタンク(洗車)やロボットの部品として使いました。
また、和裁ではないですが、毛糸編みも冬は母がよく精を出して家族のセーターや手袋、マフラー(当時は首巻きと言ってた)を造ってくれた。毛糸のメーカーではスキー毛糸やクローバー毛糸というのがあったように思う。その毛糸を上手にほぐして、網目の付いた毛糸を、熱い湯の中をくぐらせて、再度編みなおしの出来る直の毛糸にしてゆきます。まっすぐになった毛糸をこぶしに巻いて球体に造っていくのは、たいへん面白かった。(途中で転がしてもう一度やり直したり) 小学校高学年の時は近所の姉ちゃんたちにリリアンという一本編みを教えて貰い、長い間かかって首巻を完成させたこともある。この糸は伸縮性のあるソフトでカラフルな糸だった(筈)。

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2003年 8月 28日(木)

皮膚科へ まきろん

火曜日に続き、今日2回目の来院。Drよりは「ずいぶん良くなって来てます」といわれた。副腎皮質ホルモンの飲用と塗用でかぶれが殆ど無くなった、サスガお医者さん。来週火曜日に再来院の予定をいただく。

 今日も帰りに看護婦さんが手際よく、消毒、薬塗り、ガーゼ、伸縮包帯と手際よくこなしてくれた。消毒についてはスプレィ式を使っており、さすが扱いやすそう。消毒薬は昔オキシドールやオキシフルと言われ、濃い口の茶色い瓶に脱脂綿をつけて、擦りむいた膝などに保健体育や受け持ちの先生が塗ってくれたものだが、いまはマキロンのスプレィタイプ。これなら傷口に直接触らずに消毒が出来る。そういえば最近はオキシフルや過酸化水素水(H2O2)と呼ばれるオキシドールは薬局でも殆ど見ることができず、山之内製薬のマキロンが幅を利かせている。下痢の正露丸と同じように消毒薬の代名詞的な存在。
 また、昔世話になった傷薬の代名詞あかちん、ヨーチンは今でもあるのだろうか?昔カッコいい言葉であかちんはマーキュロクロム、ヨーチンはヨードチンキと呼ばれていたのだと記憶してます。マキロンはマーキュロクロムと何かかんけいがあるのかもしれない。
それと全然関係ないが、昔小学生の時定期的に飲まされていた、「まくり」という虫くだしの薬はまだあるのかな?

投稿者 dachsjp : 18:38 | コメント (0) | トラックバック

2003年 8月 21日(木)

あっちっち ぼくなつ新規追加

今日は久しぶりに暑く、朝からすのこを窓に垂らして陽を避けた。昼からはさらに暑くなったので、首にタオルを巻き、汗を避けるほどでした。機能までは夏とは言え、スーパーの売れ筋商品に肉まんやおでんの種がトップ20入りしていたのに、雲泥の差。

今日はフラッシュの勉強に明け暮れたが、なかなか独学ではドツボにはまること多く、難儀している。簡単なフラッシュは作れるようになったが、HPに出せるレベルまではまだ時間がかかりそう。

息抜きに、故郷の海岸を思い出しながら「ぼくなつ」を久しぶりに新規追加した(全文は以下の通り)
*****************************
 田舎のうちでは、200mばかり南へ直進するとすぐ海なので、こどもの頃はよくお昼過ぎに示し合わせた友達を誘って「海パン」と「タオル」を持って白砂青松の海岸に行きました。
海岸は漁師舟と砂や松と近くには神社しかなく、たまに船の周りで漁師のおっちゃんやおばちゃんが網の繕いやタコ漁に使う壷やランプの調整をしてるぐらいで私たち小学生のガキドモにとって、誰にも邪魔されない最高の遊び場です。
夏休みの宿題の自由研究も我ら海の子は「海水温と地上気温との差」「海流実験」「海の生き物」など海に関する実験や
記録を海に遊びにいくたびにして、間に合わせたものです。海の生き物では「ふなむし」と呼ばれるゴキブリとしゃこを足して2で割ったような虫が船や岩場にたくさん居て、人に悪さはしないのですが、あまり気持ちが良いものではなかった。もうひとついやなものは「くらげ」で特に「電気くらげ」と呼ぶくらげは見映えも恐ろしいが、刺されると肌がみるみる腫れて最低。
正式名は「かつおのえぼし」と呼ばれる恐ろしいくらげで当時は海岸に相当数浮遊しており結構被害に逢いました。
中学に入ると「もり」と呼ぶ飛び道具を携えて岩場の下にもぐり、隠れているたこやきす・べらなどを捕りました。(学校や親からはこの行為は禁止されていた)
砂浜にあがって焼くと塩が良く利いて最高の味でした。

 漁師のおっちゃんは今は知らないが、昔は環境が悪かったのか潮風・日差し・海水などに眼をやられた人が多く、歳を重ねた人ほど、銀色に濁っていました。結構人懐っこい人も多く私たち子供に相手になったり、怖がらせて喜んでいました。息子に代を譲った老人の猟師のかたも、毎日のように砂浜に座って海を眺めていた。おやつに持ってきたりんごを剥いたりしてると、彼らが性教育をしてくれたこともあった。

 昔は環境汚染の問題も殆どなく、この時期は8月上旬たなばた飾り、下旬にはお盆の供物一式を海上に流してました。兵庫県(明石市)の海は向かいの淡路島(アカシコウベの人間は単にアワジとだけ呼ぶ)がキャンプシーズンなので「玉葱」など野菜がプカプカ流れてきて、浜辺で海水浴をしていた私たちは遊びの中で必ず、その玉葱(腐りかけたものも)を投げ合って、きゃーきゃー言って騒ぎます。泣かれたら嫌なので、飼主は女子には絶対投げつけなかった(筈)です。
 お盆にはナスで作った牛、きゅうりで作った馬、それにスイカ、とうもろこし、ぶどう、ほおずき、そうめんなどを供え、それをお盆の送りの日に海岸に持ってゆき、流しました。
 おさがりでもらえる供物の中に嫌いなものが一つだけありました。それはハクセンコウというもので、標準語では「落雁」と呼ばれるものらしい。京都では蓮や花の形をした「お干菓子」と呼ばれ、仏様のお供えや結婚式の引き出物の一つとしてお祝い品として配られるもの。もともと「白雪こう」と呼ぶお菓子が変化したそうですがとにかくパサパサして味もいやな甘さだけで子供の私にとっては食うのは地獄でした。

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2003年 8月 14日(木)

お盆の頃 赤色日記(9)

 いつも天候の話ばかり小学生の日記のようで恐縮だが、今日は明け方からの雨のせいもありメッチャ涼しい。上はTシャツで変わらないが下はいつもの半ではなく久しぶりに長ズボンにしている。
 200mばかり自宅から南へ直進するとすぐ海なので、こどもの頃はよくお昼過ぎに示し合わせた友達を誘って「海パン」と「タオル」を持って白砂青松の海岸に行きました。海岸は漁師舟と砂や松と近くには神社しかなく、たまに船の周りで漁師のおっちゃんやおばちゃんが網の繕いやタコ漁に使う壷やランプの調整をしてるぐらいで私たち小学生のガキドモにとって、誰にも邪魔されない最高の遊び場です。
 昔は環境汚染の問題も殆どなく、この時期は8月上旬たなばた飾り、下旬にはお盆の供物一式が海上に流してました。兵庫県(明石市)の海は向かいの淡路島(地元の人間はアワジとだけ呼ぶ)がキャンプシーズンなので「玉葱」など野菜がプカプカ流れてきて、浜辺で海水浴をしていた私たちは遊びの中で必ず、その玉葱(腐りかけたものも)を投げ合って、きゃーきゃー言って騒ぎます。泣かれたら嫌なので、飼主は女子には絶対投げつけなかった(筈)です。
お盆にはナスで作った牛、きゅうりで作った馬、それにスイカ、とうもろこし、ぶどう、ほおずき、そうめんなどを供え、それをお盆の送りの日に海岸に持ってゆき、流しました。

 ペットショップのご主人にいろいろ話を聞いて「ショップや獣医の世話で交配を行うと環境や相手もより安全安心で生まれる確率高い。交配料35,000円前後を支払えばいろいろ面倒見がよい。もし生まれなかった場合次の時期は無料。必要ない赤ちゃんはショップで販売してくれる。」だが、今回は「初めてのことでもあるし、いつも日中遊びなれている近所のくーちゃん(2001年1月生まれレッドロングで同い年2ヶ月早い)と交配してみる。但し人間と違い、童貞と処女の交配失敗率は90%以上。」
 パンダは昨日トレビアの泉を見ていると「性教育のビデオや本番行為をパンダに見せるらしい」72へぇ。

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2003年 8月 10日(日)

ラジオ体操 赤色日記(5) 就職活動も夏枯れ

 今日、台風一過で、メチャメチャ暑い。今NHK「あたらしい朝が来た」という戦後の親と子をテーマにしたどらまをやっていた。ラジオ体操第1か第2か忘れたが、両手両足を飛びながら広げる体操がとっても懐かしかった。いま、毎週火曜夜にテニスレッスンに行った時、3分程度準備体操をやっているが、大人中心なので柔軟体操中心で飛んで両手両足を上げるような派手な事はしていない。確か、中学の時代にはジャンプした時に両手を横に広げるだけでなく上で手の平をパチンと鳴らすタイプもあって、結構おもろかった(関西弁)
 
 このドラマでもう2件。一つは母親が子供の頭を平気で殴ることが全く問題なかったということ。子供がホタエタ(関西弁?)時などに、平手で頬、拳固でボウズ頭を叩いたり、もっと悪い事をしたときには手の甲に「やいと(お灸)」をすえたりが子供の時には日常であった。小学校の先生が児童を殴ると暴力などと言うが、我々はその行為を許してあげたい。
 もう一つは紙で包んだ四角いキャラメル。昔は一つ貰うと嬉しくて直ぐには口にせず、ポケットに入れて、大事に家に持って帰り食べた。しかし、人肌で飴がやわらかくなり、包紙に引っ付いてきれいに取るのに苦労した経験が何度もあった。

 相手の牡の飼主の人にラミエルの血統書を持って行き、よろしくと挨拶。
ものの本によると、アンネ初日以降11日目~14日目が最適とのことゆえ、17日から20日が宜しいかもと歓談。

 今日は日曜で、何時いつもなら、朝刊に求人広告のチラシが5,6枚入るのだが、お盆の週で全くなし。明日も休刊日で求人は無い。ハローワークだけが大忙し。

投稿者 dachsjp : 18:14 | コメント (0) | トラックバック

2003年 7月 26日(土)

やいと、すえたろか

表題の言葉を昨夜ふと思い出しました。ひさしぶりです。早速、ぼくなつの消えゆく言葉に追加しました。
 やいと(焼く処から転じたとのこと)とはお灸を指し、子供の頃悪い事をすると「巡査さんに言って、背中や悪い事をした、この手に、伊吹山のもぐさを置いて火を点ける」意味の小学校低学年の子供にはとっても怖ーい言葉で、神戸明石では広く使われていたと思います。今、子供に親からの体罰の是非が問われているが、むごい仕打ちでなければ子供の過ちを身を持って反省をさせるのは良いことだと思う。
「かくとだに えやは伊吹のさしもぐさ さしも知らじな 燃ゆる思ひを」と百人一首にうたわれている通り、伊吹山はもぐさの産地として関西では超有名。
 今日は久しぶりに小鳥がたくさん庭に飛んできてくれた。ラミエルとの合成で添付。

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2003年 6月 24日(火)

関西弁辞典

 今日もすこしばかり寒かった。印西の図書館が6月中休みなので隣の白井市の図書館へ行ってきた。再来年には合併し共通で使えるが現状では市外利用者の扱いとなり、5冊まで(3週間)しか借りられない(市民は10冊まで)。 最近は何処の図書館でもインターネットコーナーを設けており、10台くらいの端末で大盛況。今日は先日知り合えたネット友達に感化され、関西弁に関する読み物を2点借りてきた。懐かしい関西弁で消えゆく言葉の続編として書いてみたい。発行は明治書院。

投稿者 dachsjp : 11:40 | コメント (0) | トラックバック

2003年 6月 23日(月)

雨の特異日 大阪のしゃれことば

 6/26は雨の特異日と6/23朝のラジオ「ゆうゆうワイド」で聞きました。あたるかな・・・

 先日メールを頂いたhirokunに感化され、早速1昨日から関西弁の本を読み、私の知ってる大阪の関西弁を纏めてみた。このほかにもよく耳にした京都ことば、神戸明石の地元の言い回しなどは追補予定だが、懐かしい言葉を整理することはよい経験となった。昨夜のNHK「ためして合点」でも京都のおばんざい料理(普段の家庭料理)でも大根の切れ端や葉などを残しておき、後日の副菜のために加工することを『始末』するといいます。関西では「始末する」ことは意が転じて節約するを指しますが、何でも大事に利用応用する姿勢がみえて感動でした。大阪ことば辞典という本もあり、大阪の人しかわからないしゃれ言葉があるがこれも懐かしく読ませた貰った。拙HPでも紹介させて頂いた。

 雨の特異日にかかわらず、曇りは曇りだったが全然雨が降りませんでした。ところが、半時間ほど前からまさに篠つくような土砂降りになってきた(PM7:30)。玄関から道路を見るとまさに川のように水が流れ台風を思わせる感じ。やはり、特異日は嘘でなかった。

投稿者 dachsjp : 11:35 | コメント (0) | トラックバック

2003年 6月 19日(木)

関西弁

 昨日の続きだが、HPを覗かせて貰った。面白かった。載ってるわらべ歌も殆ど知っていたが、我が郷土にはこんな唄(応援歌)もありました。
 『あーかし神社の神主におみくじひいて貰ったら、いーつも◎◎かーつ勝つかッつ勝つ。
もしも◎◎負けたなら電信柱に花が咲き、あーしの無い達磨さんがひょーこひょこ歩き出す』
同じような歌がほかにもあると思います。
 小学校低学年時代、兄貴らの友達がやるドンパンは怖かったけど、「カツケ玉」は地面に投げつけてパンパン言わせて楽しく遊んだ覚えがあります。昔のことを思い出すのは生きてきた実感が溢れるようでとても気持ち的にはリフレッシュします。

投稿者 dachsjp : 11:30 | コメント (0) | トラックバック

2003年 4月 18日(金)

ジョギング開始 とんとんさん開通 結婚記念日 月

 今日は暖かい。<BR>少し風は吹いてるが杉花粉が殆ど終わり、ヒノキに変わっているらしいのでジョギングをまた今日から始めることにする。<BR> 夕方、とんとんさんからネットが&#32363;がったとの知らせを受けたことも影響しているが、初日は軽く北総花の丘公園まで往復6Km程度を軽く流してきた。汗をかいた後の夕方の風呂も久しぶりで気持ちよかった。<BR><BR> <BR> tontonさんは2月末にネットを切り、3月末に宮崎から千葉ニュータウンに引越しをされた筈だが全く音沙汰がないので気にはしていた。掲示板に前触れも無く入ってきた(普通はそういうものだが・・・)のでこの街のことやPCで困ったことあれば気軽にと声をかけておいた。まだまだ新居の整理などで忙しいのだろうがはやく一所に遊んで欲しい。<BR><BR><BR> 忘れていたが、今日は1977年4月17日に郷里の明石市明康殿(メイコウデン)で挙式してはや、満25年経ち、26年目を迎えることになる。長続きしているので、もう危機は迎えず、どちらかが灰になるまで別れることはあるまい、   と思う。 ネット仲間のはらしょさんが昨日今日と美しいお月様を送付してくれた。結婚記念日のプレゼントして受け取りたい。左が昨日で右が今日です。

投稿者 dachsjp : 13:32 | コメント (0) | トラックバック