木下街道旧跡を歩く
2003年10月26日(日)、秋深きわが町印西市旧跡を歩いてきました。
木下街道膝栗毛パートT
平成元年にスタートしたこの木下街道膝栗毛も回を重ねて今年で、15回目。「一時は1000名を越えていた参加者も今回は300名前後に落ち着いてきた」とは、関係者のお話。私は第5グループで役所職員を中心にボランティアの方々を含め30名以上の同行者と歩く道の安全を誘導していただく多くのみなさんのご協力で気持ちよくウォーキングができた。特に今年は印西市『よかっぺ夢まつり』と併催で市の職員は前日も含め総出で準備催行あとしまつをしたことだろうと思う。
受付が印西市中央公民館午前8:30〜9:00で、9:00から20分弱主催者関係者挨拶や説明があった。その後、第1〜第5班までが5分前後の間を置き、順次出発。今回はゴール地点も出発地点と同じなので、個人の安心して廻れた。また、結構年配のご夫婦連れも毎年楽しみに来ておられるらしく、和やかでゆっくりしたウォーキングで約8Km弱(#1〜#2)。ガイド役は3人の男女がメインで、主要8箇所の謂われやみどころ、歴史などをたいへん親切に紹介してもらい、有意義であった。山根山不動尊では、(私にとって)珍しい貝石(貝層)でできた灯篭や壁を見ることが出来た(#3〜#7)。木下河岸問屋跡を見てから、野球で有名な印旛高への道は緑竹紅葉の美しい道を歩けた(#8〜#10)。印旛高を降りて間もなく木下貝層。昔は(、と言っても15万年前)千葉も銚子と房総半島南端を除くと殆ど海に沈んでおり、それらが貝層となってこの地に残っているという(#11〜#13)。貝化石が深く堆積する地層が崖などで確認できるため、この辺は木下貝層として国の天然記念物になって保護されている(#14〜#15)。
上町観音堂では普段は見せていない銅造りの11面観音像を披露して見せていただき(#16〜#17)、また、印西七福神の第一番寿老人も見てきた(#18)。この地区は三叉道路の要衝で道案内やランドマークとして大きな桜や松が植えられていたが、今は枯れて幹しか残っていない(#19)。道すがら柿がいっぱい熟っていた。
個人のお宅で普段は見せて貰えないが上宿古墳を拝見してきた。木下貝層から切り出した貝化石を積み上げた埋葬のための石室とのことだが、私はこの石室だけでなく、周りの自然を活かした荘厳鬱蒼な雰囲気がとっても気に入った(#22〜#25)。この石室から次の目的地長楽寺に向うそこそこ長い小道は地元の人の間では『印西の軽井沢』と呼ばれ、木漏れ陽がとっても美しく涼しいとのことです(少し印西市民としては恥ずかしい?)。
天台宗の由緒あるお寺、長楽寺では天狗面のほか、普段出さない古い梵鐘が見られた。また、大イチョウも壮観(#29〜#40)。ここで小休止ということで、ペットボトルのお茶を馳走になる。芭蕉に珍しく花(蕾)がついていた。そこから、美しい秋の大空を見ながら(#41)散策し、鳥見神社へ向かう。鳥見神社奥のお堂には木彫の綺麗な源義経像や手作りのレンガを見てきた(#42〜#46)。
最終は成田線を越えて、厳島神社と水神社が合祀されている通称「六軒の弁天さま」に行く(#47〜#50)。いろいろガイド役の方から興味ある話をうかがうことができたので、ゴール地点では印西名所図会1000円也を購入。
来年も都合をつけて行きたい。
木下街道アルバム51枚
以下は撮ってきた写真です。スライドショーでも見られるミニアルバムを用意しています。