dachs飼主の福島団参研修2日目
2010年10月13日(水曜日)、福島団参研修も最終日となってしまいました。
ツアー記録
ホテル出発恵日寺研修
dachs飼主は旅館サービスについて若干、口煩い。このホテル「華の湯」は、温泉はとても素晴らしい。郡山の高温の湯量豊富な源泉から湧出するお湯を存分に楽しましてくれた。お客様が多いのはこの温泉施設のおかげだと思う。
しかしながら、接客サービスについては人・施設とも梅クラスに入る。お湯は松クラスなのに・・・である。細かなことを数え上げればキリがないが、朝食会場の混乱振りはホントウに目に余った。ヒトはお金を払って、きめ細かなサービスを受けに来ていることを経営者だけでなく、従業員全員が心して接客にあたって欲しいもの。今後の飛躍的なヒトの改善努力をお願いしたいものである。

08:30定刻にバスは出発して恵日寺に向かう。途中、会津村に慈母観音さまをバスの窓からみることができた。9時ちょっと過ぎに恵日寺に到着した。古い資料や貴重な諸仏などをご住職が私たちの見学時間を気にしながら、やさしく説明をしていただいた。 慧日寺の旧跡も金堂復元など、やまとの国を偲ばせる風情で印象深かった。1時間ほどの時間の中で仁王門なども見学してきた。
- 恵日寺ミニ知識
- 福島県磐梯村にある真言宗の総本山で、磐梯山恵日寺と称します。明治の廃仏毀釈以降も、再興し今日に至っている。本堂は元禄15年(1703年)に建立された。これとは別に国指定の史跡を慧日寺と書くことにしている。
- 慧日寺は徳一大師によって平安時代に建立された。平安時代の中ごろにはもっとも隆盛を極め、その勢力は寺僧300・僧兵数千・子院3800坊にものぼり、支配権は新潟県の一部にまで及んだ。しかし、伊達政宗の侵攻など度重なる戦禍に見舞われ、僅かの建物を残してすべて消失した。
鶴ケ城

恵日寺からバスに乗って、11時過ぎに鶴ケ城、正式名「若松城」を見学した。城内では会津の度重なる戦争、郷土の風習、風土などに関連する展示がされていた。残念ながら、現在外郭部分を全面工事中で、天守閣から飯盛山をはじめ四方からの素晴らしい景色を見ることが出来なかった。平成23年春に完成するそうで、瓦が真っ赤になって新装されるとのこと。
城外では「荒城の月碑」と茶室「麟閣」を見学してきた。土井晩翠の頭にあった荒城とは若松城であった というのはまったく知らなかった。
- 鶴ケ城ミニ知識
- 南北朝の頃、葦名氏によって黒川城が築かれたが、文禄元年(1592年)蒲生氏郷が七層の天守閣を建て、黒川の地を若松と改め城の名を鶴ケ城と命名した。
- 上杉から再び蒲生そして加藤となり、寛永16年(1639年)加藤明成が天守閣を五層にし北出丸、西出丸を増築して現在の城址を完成させている。戊辰の役(1868年)には1ヶ月の篭城に堪えた。
- 天守閣は明治政府によって取り壊されましたが、現在の本丸は1960年(昭和35年)までには現在の形状に復旧され天守も1965年(昭和40年)に鉄筋コンクリート造により外観復興再建されたもので、内部は若松城天守閣郷土博物館として公開されている。
いよいよ最終工程

1時間ほど鶴ケ城を見学したあと、12:00に会津酒造の蔵などを見学してきた。もちろん酒の試飲をするのも予定のうち。めったに買うことのない濁り酒も試飲してみると飲みやすくて美味しかった。ここでは、11月から2月頃にかけて、酒の醸造が本格化するのでその頃に来るともっと臨場感が味わえるのだが、ガイドのお嬢さんがいろいろと興味深い話をしてくれるので、楽しい見学会であった。小原庄助さんは毎日2升もの酒を飲んだなどの話はとても興味深かった。
1時を廻ったので近くの割烹・会津料理「田季野」さんで『わっぱめし』と『スーパードライ』。もう帰るだけなので、ビールも遠慮なくいただいた。また、メインのわっぱめしが格別で、脇についてきた大きな白ねぎつきのそばも旨かった。昨夜の夕食と今朝の朝飯より、昨日の昼ジンギスカン、今日のわっぱとビールがとってもデリシャスでした。
2時にバスに乗車し、5時間掛かって帰着。実り多いツアーでした。
初日のアルバム65枚
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