dachs飼主の北四国旅2日目
2015年2月25日(水)、道後温泉2日目、ホテルをビジネスホテルに移り、街を散策してきた。夜は外食を楽しむ。
ツアー記録
道後から松山市内
今日も良いお天気。起床後早めに朝食を取った。バラエティのあるビュッフェ形式だったが、とても旨かった。食後はホテルで用意してくれた湯駕籠にタオルを入れて、湯足袋を履いて旅館から直ぐ近くの共同浴場「道後温泉本館」に行ってきた。泉質は同じ道後なのだが、やはり著名な日帰り銭湯なので魅力がある。今回は「神の湯」と「霊の湯」への入浴と、皇室専用の浴殿「又新殿」及び漱石の愛した「坊ちゃんの間」の見学もできた。もう一つ近くに共同浴場「椿の湯」もあるのだが、道後の湯はすべて同じ泉質の単純泉なので今回も行かなかった。
お風呂上がりには紅梅・白梅が散り際の道後公園を歩いた。展望台からは遠く石鎚山らしき山々も見渡せた。
ホテルに戻ってわが手荷物を持って、市電で勝山町交差点近くの今夜宿泊の「東横イン松山一番町」に正午過ぎに入り、荷物を預け、松山城に向かった。松山城へはロープウェイで行ったのだが僅か2分の乗車で一度来た人は歩く人が多いという。午後になって曇りがちとなり、残念ながら、松山城に上がっても遠くは望めなかった。加藤ヨシアキ公で有名な松山城は工事中の城郭や門も多かったが、それなりに勇壮で立派だった。早生の河津さくらがきれいに咲いていた。
遅くなったが2時前に松山市駅そばの手打ちうどん店「やまとなでしこ」でじゃこ天うどんを食べた。朝のホテルバイキングの質が高かったので食べ過ぎてしまいお昼は遅くても良かった。やはり四国の饂飩はうまい。
午後3時を回ったので、一旦ホテルに戻ったが何かものたりない。四国八十八か所第51番札所「石手寺」と同50番札所の「繁多寺」にお詣りしてきた。御朱印をいただいてきたが、四国八十八カ所霊場では、日付けを入れないらしい。納経日付の無い寺社は今回が初めてだと思う。
今日は最後のお寺参りへの頑張りで、万歩計は25千歩、距離は15キロにならんとしていた。
夕食は大街道通り沿いの鯛そうめんで著名な居酒屋「五志喜(ごしき)」。鯛のあら煮、じゃこカツ、新鮮刺身、鯛めし、その他当地特産の料理をビールや麦焼酎お湯割りとともにおいしく堪能できた。とくに宇和島料理のこんにゃくを麺にアレンジした「ふくめん」が珍しかった。
旅情報ミニ
道後温泉本館
道後温泉本館(どうごおんせんほんかん)は、愛媛県松山市の道後温泉の中心にある温泉共同浴場。別名・愛称は坊っちゃん湯。共同浴場番付において、東の湯田中温泉大湯と並び西の横綱に番付けされている。1階に「神の湯」、2階に「霊の湯(たまのゆ)」がある。
又新殿(ゆうしんでん)は日本で唯一の皇室専用浴室。御影石の最高級品・庵治石を使った浴槽の他、控え室、トイレ等が見学可。
3階一番奥の個室に夏目漱石ゆかりの資料の置かれた部屋があり、開放されている。
松山城
松山城(まつやまじょう)は、愛媛県松山市にあった日本の城。別名金亀城(きんきじょう)、勝山城(かつやまじょう)。各地の松山城と区別するため、伊予松山城とも呼ばれる。城跡の主要部分が公園として整備され、大天守(現存12天守の1つ)を含む21棟の現存建造物が国の重要文化財に、城郭遺構が国の史跡に指定されている。築城主は伊予国正木城(松前)城主10万石の大名であった加藤嘉明。
石手寺
石手寺(いしてじ)は、愛媛県松山市石手にある真言宗豊山派の寺院。本尊は薬師如来。四国八十八箇所霊場の第五十一番札所。遍路の元祖とされる衛門三郎の再来伝説ゆかりの寺でもある。
繁多寺
繁多寺(はんたじ)は愛媛県松山市畑寺町32にある真言宗豊山派の寺院。本尊は薬師如来。四国八十八箇所霊場の第五十番札所。
初日アルバム 66枚
下の拡大写真やスライドショーが楽しめるミニアルバムに入っています。