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2015年7月1日水曜日 雨のち曇 PM5時57分投稿 

7月になった

メインはやはり愛子婆さんの逝去

 終日、雨が降っていた。愛子婆さんの葬儀は7月4日に済ませた後、関西の長男一家と電話でその後のことについて相談した。関西では3月またがりは良としないので、7月25日が四七日(28日目)にあたるので、この日に忌明け法要をすることにした。お骨は24日に関西に二人で持参し、関西の親しい親族一同も多数参加して営むことになる。納骨などは年が明けてからのほうが良いらしい。
 4日の葬儀は関西から代表者だけが来て、dachs飼主家族と老人ホームスタッフの方々のみお呼びしている所謂家族葬で1日ですべてをすますことにしている。費用も100万円以下で抑えられた。また、香典も個人の意思で硬く辞退することにしている。
 ここ4,5日バタバタして28日に返却して以降、本を借りていないことに気づき、何冊か借りようと図書館に行った。借りる6冊を選んで、窓口に持って行ったら、前回借りた本にしおりの忘れ物がありましたと、丁寧に返してくれた。借りた人を検索し、その人が来た際に返してくれる、さすが、図書館と感心した。
 6月の暦を作った。愛犬は映ってないが愛犬暦にアップしておいた。

2015年7月2日木曜日 曇り PM6時50分投稿 

ラヂオ

 昨夜、たまたま電話を戴いた方に喪中に騒いでも良いかと相談した。関東で小さい頃から住み育った彼が言うには「喪中で宴会に参加している人が居ても誰も気にしない」そうである。彼も15日の浅草飲み会に参加されるので心強くなり、忌明けてなくても宴席に顔を出すことにした。
 しかし、流石のdachs飼主も初七日が過ぎるまでは忌中であり、ジムもテニスも行ってない。週5日程度、ほぼ毎日2時間のテニスとジムに行ってたのが行かなくなると、生活のリズムが狂い、暇な時間が増える。かと言って、外に出て散歩する気にもなれないし、凝っと家に居て、パソコンをいじくっている。運動をしないので1Kgほど体重が微増している。来週からはテニスもジムにも行って通常生活に戻りたい。

僕たちの昭和物語もはや23回目の記事となった

 昭和コラム第23号ラジオが「ふれあい毎日」7月号に掲載されたのでホームページにアップした。
以下は記事の内容
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 テレビが本格的に普及し始めたのは昭和39年秋の東京オリンピック頃からだと思う。それまでは卓上ラジオが主流であった。家庭への情報伝達、娯楽の主役であったラジオも意外にその歴史は浅く昭和の初め頃からという。
  わが家の居間にも大型ラジオが子供の手が届かない箪笥の上に設置されていた。木製で上部にはベークライト製の半円形の窓がついていて選局は中央部の大きなダイヤルで針を微調整して聴く。
右側のスピーカー穴の奥にはぼんやりとした光が見えていた。左上銘板にはラジオではなく、真空管式の「ラヂオ」と書いてあった。4球スーパーとか言っていたが、その頃はジージー・ザーザーとした雑音が多く、本体裏側から出ているアンテナ線風の銅線を握ると幾分か聴きやすくなる。
  家族みんなで聞くのは茶の間のこの「ラヂオ」だったが、雑誌「子供の科学」で簡単に作れるラジオに興味を持った僕たちは「ラジオの制作」という月刊誌まで買って勉強した。
  イヤホンでしか聞けないが電気も電池も不要な鉱石ラジオ、いわゆるゲルマラジオを夏休みの工作で作った。電線をつなぐ際の工具としてラジオペンチも買って、真空管ラジオを組み立てた。電流が通り、真空管が鮮やかに光った時の感動は今でも覚えている。
 子どもにとって新聞は難しい字や難解な時事用語が多くてちょっとばかり取っ付きにくい存在だったが、そのかわりラジオを聞いて世の動きを自分なりにわかった気になっていた。
  ニュース以外にも聞く番組はある。歌謡曲や新喜劇、寄席、スポーツ中継などが多かったが、週に1度の連続ラジオドラマや外国語講座などもあって宿題をしながらイヤホンをしてさまざまなラジオ番組を楽しんだ。
 そんな懐かしいラジオも30年代以降はハンディなトランジスタラジオや高性能なステレオデッキにとって替わられてゆく。そのうちに家族で楽しむのはテレビ、個人で楽しむのはラジオという時代に入っていった。

2015年7月3日金曜日 雨 PM5時58分投稿 

スペッシャルオリンピック

代表に決まったので市長を表敬訪問した記事

 今日も終日あめ。明日は告別式なので準備状況を見てきた。祭壇もそれなりに飾られ、愛子婆さんも喜んでいることだろう。親戚代表は武蔵野市に嫁いでいる親戚の方にお運びいただくがそれ以外は家族葬として、ごく近しい世話になった人のみ式にはお出で戴くことになっている。
 前日に引き続き、「ふれあい毎日新聞」7月号に市内在住の女性が今月ロスアンゼルスで開催されるスペッシャルオリンピックに女子テニスの日本代表として参加が決まった件を取材したdachs飼主の記事が載ったのでホームページに載せた。
 以下は記事の内容
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 印西市在住の堀口明奈さん(31)がスペシャルオリンピックス夏季世界大会、テニス部門への出場が決まった。女子アスリート枠2名の内の一人だ。
 今年は7月25日から8月2日、ロサンゼルスで開催される。派遣される日本選手団は118名(アスリート77名、パートナー6名、役員・コーチ35 名)。
 スペシャルオリンピックス(略称SO)とは、知的発達障がい者のスポーツの祭典で、本年はSO発祥の地アメリカで177カ国の国と地域から1万名余の選手団が参加する。パラリンピックとは違いルールも健常者と変わらない。
 堀口さんは中学校で軟式テニスを覚え、19歳から硬式テニスを始めた。以後、SOのプログラムに参加し、06年(熊本)・10年(大阪)の国内大会で選手団に参加。11年ギリシャ・アテネSO夏季世界大会では初参加にもかかわらず、シングルスで米国、ダブルスでは豪州ペアを撃破し、女子テニス部門金メダルをダブル受賞した。
 さらに14 年第6回SO日本夏季ナショナルゲーム福岡大会でも成績優秀だったことから世界大会選手団に連続で選ばれた。現在は我孫子市の社会福祉法人で仕事をしながら月6回の練習に励む。
 去る5月21日、堀口さんは印西市役所を訪問し、代表選手に選ばれたことを板倉正直市長に報告。「金メダルを獲ってきたい」と連覇への決意を述べた。市長も「ぜひ頑張って連覇してきて」と彼女を激励した。ロサンゼルス大会での堀口明奈さんの健闘と活躍を祈りたい。

2015年7月4日土曜日 雨 PM8時46分投稿 

安らかに眠って下さい

安らかに眠ってください

 今日もあめ。家族4人揃って10時に印西斎場に向かった。告別式は11時30分から始まるが葬儀社スタッフや僧侶との事前打ち合わせもあり、1時間前に到着した。親族代表の方も遠路からにもかかわらず早めに到着して貰えた。今回は故人の意思により、グループホームでお世話になったスタッフの人たち数名以外、申し訳ないが告別の日程場所などはお知らせしなかった。いわゆる家族葬形式で行った。今日が丁度初7日にあたるので、僧侶に事前にお願いして初七日法要もしていただく。
 火葬、骨あげも滞りなく午後2時前には終了した。明日からは年金や保険関係へ死亡連絡などをしてゆく。死去して1週間、なんとか無事に礼式一切を終了できた。25日に関西在住の故人長男宅で四七日法要が行うので、それまでに手続き全般を終えたい。明日からはdachs飼主も普通の生活に戻る予定だ。

2015年7月5日日曜日 曇のち雨 PM6時03分投稿 

日常復帰

 今日もあめ。今年は5月の連続的な暑さが嘘・夢幻のごとく、6月半ばからほんとうに梅雨らしい天候が続いている。昨日、告別式を無事終り、dachs飼主は元通りの生活に戻ろうとしている。早速朝8時からのテニススクールに出席して、コートを前後左右駆け回ってきた。本日の技術ポイントは、リターンーアプローチーボレーの際に前進ダッシュするのだがヒットの前に必ず体を止めておけば、ボールの方向の制御ができることを実感した。
 テント内とは言え、外は強い雨が降っており、少し動くと汗が滲んでくる。雨にも、テント内にも関わらず、帽子をかぶって顔へ滴り落ちる汗を防ぐために帽子をかぶって居るのだが、汗だけでなく眼鏡が曇るほどの湿気。眼鏡が湿気で曇るとタオルで拭いてもそれほど効果が出ない。このような時はスプレー形式の曇り止めが有効だが今日は持ってこなかった。来週から準備万端整えて参加をしよう。
 汗をかいたのだが、今日は5のつく日なのでジムは休館。自宅に直帰してシャワーを浴びて蒸し暑さをさました。

2015年7月6日月曜日 雨 PM7時00分投稿 

黄色ブドウ球菌制覇

今日もあめ。7月最初の月曜テニスになったが残念ながら雨で中止となった。

これで、2週間にわたり毎晩体調をセンターに送信する

 朝9時16分の電車に乗って都営浅草線蔵前駅へ。川を渡った墨田区の病院で黄色ブドウ球菌ワクチンの有効性検査があり、同菌の新ワクチンを接種した(検査の平等性正確性をはかるためプラセボと呼ばれる偽薬が50%の確率で組み込まれているので、摂取したのが本物かどうかは定かでない)。ワクチンを接種後2週間は写真の電子日誌送信専用端末から当日の体調や体温などを毎晩報告することになっている。黄色ブドウ球菌は結構恐ろしい最近であり、誰でも、体に持っている可能性があるらしいので、dachs飼主たちの前向きな協力により、有効なワクチンの開発改善検証発売が待たれる。

黄色ブドウ球菌
 黄色ブドウ球菌(おうしょくブドウきゅうきん、Staphylococcus aureus)とは、ヒトや動物の皮膚、消化管(腸)常在菌(腸内細菌)であるブドウ球菌の一つ。
 ヒトの膿瘍等の様々な表皮感染症や食中毒、また肺炎、髄膜炎、敗血症等致死的となるような感染症の起因菌でもある。
 黄色ブドウ球菌は人体の皮膚表面、毛孔に存在する。特に鼻腔内に存在する常在菌であり、約30% – 100%のヒトが保有していると言われる(諸説あり)。ヒトの皮膚に常在するブドウ球菌の中では毒性が高く、他のブドウ球菌では健常者に対して病気を起こさないのに対し、黄色ブドウ球菌は健常者に対しても病気を起こしうる。

2015年7月7日火曜日 小暑雨 PM9時34分投稿 

役所で各種届出

花いっぱいの愛子婆さん

 2,3日肌寒い日が続いたが、今日も雨と曇りの梅雨空にもかかわらず、温度は昨日までより4,5℃あがって、長袖シャツを着ていると蒸し暑かった。
 今日は葬儀屋に費用をすべて払い終り、役所に行って愛子婆さんの死亡届出後の主要手続きをしてきた。印鑑登録証・介護保険者証の返却、後期高齢者医療保険からの葬祭費支援手続きを行ってきた。住民基本台帳はdachs飼主も含めて家族全員申請していないので返却の必要もない。残りは厚生年金・国民年金関係だが、これは我が市には無く、隣の船橋市にある返金事務所に今週中にでも行かなければならない。年金は偶数月の15日に定期的に支払われる。愛子婆さんは6月15日に年金を受け取っているが、これは4月と5月分なので、6月分を再申請をしに行く。
 午後は10日ぶりにジムに行って、軽く運動をしてからサウナに入り汗を流してきた。
愛子婆さんが我が家に帰ってきて4日目。花もたくさん戴いて、馥郁とした香りが愛子の部屋に満ちている。

2015年7月8日水曜日 雨 PM7時48分投稿 

平日テニスに参戦

 愛子婆さんの重篤時から3週間ぶりに初めて平日テニスに参加してきた。東京では7月に入ってから陽射しが出ていたのは僅か12分だけとのことで、天候の悪かったことも起因している。2面コートを借りて11名が時折休憩を挟みながらプレーできた。雨は降ってないが湿度が高かったので少し動くと汗をびっしょりとかく。眼鏡も凄い湿気で曇る。タオルやハンカチで拭いても眼鏡の曇り止めは綺麗にとれない。次回は眼鏡曇り止めスプレーを持参してこないといけない。3週間ぶりのゲームであったが、思いのほかミスは少なく、うまく敵を仕留める技も多く決まった。
 久しぶりに関西の友よりメールを戴いた。何年かぶりのメールだった。年賀状だけの時もあるが、中学校からの友なので55年以上のお付き合いをさせて貰っており、関西帰郷の折りには何度も再会し喫茶や飲み屋で談笑している。
 心身状況や最近のことなどについて返信をした。2003年から続けている当ブログも本日で4480回目の日記となる。管理ページを観るとコメントも返信を含め2446件となっていた。

2015年7月9日木曜日 雨のち曇 PM7時10分投稿 

上海株暴落

  一大事である。中国株暴落のニュースが世間を騒がせている。dachs飼主は香港株を2005年から始め23万株、また2015年からは上海株を15千株購入している。おかげさまで先月の段階では香港株は7倍、香港株は2倍に資産が増えてきていた。ところが上海株の価値が徐々に下がり影響で香港株も徐々に下がる傾向が見える。上海株は売ろうかと考えたが、ここ1週間ほどで1000社以上の株式が売買停止状態になっているので売ることもできない。
 上海株暴落の原因は「中国経済の低迷」と「個人投資家の比率が高い」ことがあげられると各新聞社の社説では語られているが、その通りだと思う。本屋や図書館で中国について書かれた書籍を見てみるとほとんどが崩壊寸前状態と書かれている。上海株の購入者はあわよくば夢を見たい一般庶民がリスクの高い株投資をしているとのこと。これらの人々は股民(グーミン)と呼ばれ、ほぼ1万人いるらしい。まだまだ利益はあるので、もう少し様子見をしてみる。

2015年7月10日金曜日 晴のち曇 PM8時52分投稿 

東京スカイツリー

とても634mもあるとは思えませーん

 7月に入って東京では昨日までに陽射しがあったのは僅か22分とニュース言ってたが、今日は若干湿っぽいが、眩しい陽射しが午前中から強烈に降り注ぎだした。
 朝8時過ぎの電車で墨田病院に出かけた。先月末から黄色ブドウ球菌ワクチンの効果について実際にワクチン接種してその後の経過を調べて貰っている。今日はその3回目。これ以降約1年間にわたり経過を観察する。
 病院を出て、久しぶりの陽射しが気持ち良かったのでスカイツリーまで歩いてみた。本所から吾妻橋を抜けるとそれほど時間もかからずにツリーに到着した。スカイツリーを見る時にいつも思うのだが、東京タワーのほうが高いのでは・・・と思うdachs飼主は異常なのかしら。

2015年7月11日土曜日 晴のち曇 PM7時59分投稿 

やや太ってきた

 昨日から良いお天気になって最高気温も午前中から30℃を超えて真夏の暑さ。今月中に振替を取らないと無駄になるレッスンがあるので9:20から受講してきた。天気は良かったが湿気が高く、いつも以上に汗がダラダラ。冷たい麦茶を持って行ったのだが、その後のジムで飲むためのお茶も1時間半にすべて飲み切ってしまった。いつも日曜日朝8:00から行ってるので見知った人は一人しかいなかったが、レベルの高い人も入っており、たいへん勉強になった。1時間半だけだが、他流試合のようにいろんな人たちとテニスができるのはなかなかに楽しい。明日も8時からモーニングテニスレッスンに出かける。
 5月頃から色んな行事イベント等があってジムやテニスに行く回数が減っていたので体重が1キロほど増えてきている。加えて、暑いので発泡酒やロックの焼酎を飲む回数や量が増えているのが理由かもしれない。今日から少しジムで筋トレを頑張ろう。
 しかし、今夜になっても暑いので、やっぱりお酒やおつまみが進みがち。

2015年7月12日日曜日 曇り PM9時31分投稿 

駐車券紛失

 昨日に続き、今朝もテニススクールでレッスンを受けてきた。今日も昨日以上に暑い気がするが、朝8時過ぎなので若干風がある。3年以上スクール仲間であったNさんが明日から南米パラグアイに1年半、現地農業の支援のために駐在される。今日は彼との最後のテニス。面白おかしくプレーできた。ストロークやサーブはそれなりにできるようになったのだが、今の悩みはボレー。努力しているが、低めのボレーがなかなか上手になれない。ラケットを立てた状態で体を低くするのは理解しているのだが、どうしても簡単にラケットを下のほうから掬い取ろうとするような所作をしてネットに引っかけるかコート外に出してしまう。
 その足でジムに向かう。昨日筋トレを行って、若干胸の筋肉が痛かったが軽くトレーニングをしてきた。ジムはイオンモールの1階にあり、入庫時にチケットを受け取り、ジムでパンチをして貰うと駐車時間は8時間まで無料となる。小さな規模の商店街や百貨店の駐車場ならわかるが、大型ショッピングモールやアウトレットでは、チケットを車外に持って出なくても制限時間内ならチケットは車内に置いておいても問題ない。ところが、イオンモールではチケットにパンチをして貰うために車から持ち出さねばならない。ほぼ毎日のごとくジムや本屋などでイオンに行ってるがごく偶にパーキングチケットが見つからない時がある。どうしてもなければ警備員に無理を言えばゲートを開けてくれるので問題は無いのだが、無ければとっても焦る。

2015年7月13日月曜日 晴のち曇 PM5時41分投稿 

芝刈り

 台風が週の後半に襲来する可能性があるが、そのさきがけになるのかどうか知らないが、梅雨のさなかにもかかわらず、今日も暑い。朝9時からのテニスにもかかわらず暑すぎる。午後暑いさなかではあるが、庭の芝刈りをした。長い梅雨が続いたせいか、芝が急ピッチで伸びていた。3筋か4筋を刈ると芝取り袋にすぐ溜まるのでやすゴミ袋に入れ替えるのだが、燃やすゴミ袋大サイズが4袋も溜まってしまった。野球帽をかぶって時々スポーツドリンクでのどを潤しながら作業したが熱中症になりそうな強い日差しで、終了まで1時間近くもかかった。当然、本日2度目のシャワーを浴びた後は発泡酒と江崎グリコ製のチーザ。旨い。
 今日、日立社製のふとん乾燥機の交換品が宅急便で届いた。過去、ケーブルからの火災が1軒発生したとのことで同種製品の交換依頼が販売量販店から交換依頼があり、新品交換となった。メーカーもPL法ができて以来、製造物の立証責任を負うようになったので、リスキーとなった。エアーバッグのタカタも保険には入っていたと思うが、かなりの出費となっていることだと思う。

2015年7月14日火曜日 晴れ PM6時12分投稿 

意図せずに架電してしまう

 今日は本年最高の暑さのようだった。午前中愛子婆さんの年金喪失を船橋市の年金事務センターに届け出てきた。これで一連の義母逝去に伴う行政機関及び金融機関への事務作業関連はすべて終わった。
 スマホで最近困っていることが本日も発生した。スマホを胸やズボンのポケットに入れていると何かの拍子に、電話アプリか電話帳アプリが勝手に起動し、電話をかけてしまうことが何か月に一度くらいのペースで発生する。いまいまでかかってしまった相手先は電話帖のあ行の方で宇治さん、蟹江さん、岡田さんなどだ。電話帳に登録されているのはほとんどがよく知っている人なので、気づいた時点で折り返し電話をかけなおしてきてくれる。発信ミスなので、電話関係のアプリアイコンを裏メニュー画面に移動したりしたが、完ぺきには防ぎきれない。発信規制をかけることもできるのだが、かけたい時にユーザーパスワードでログインするなど面倒だ。無償アプリで「発信確認 Call Confirm」があったので、これでしばらく実用に耐えるかどうかを試験運用してみる。このアプリでは電話をかける前に必ず「本当に発信しますか?」の確認メッセージを出してくれるので間違い電話をかけるミスが激減すると思う。
 先日読売新聞の朝刊で電子計算機の流れを特集していた。dachs飼主はパソコンの前の事務管理用情報機器として汎用コンピュータやオフイスコンピュータに興味を持っていたので1967年頃から夜間の電子計算機専門学校に通って勉強し始めていた。もともと算数や数学が好きだったこともあるが、dachs飼主の若かりし頃はコンピュータを扱える人が非常に少なくて就職の際にもそれらで得た知識やノウハウが就職やその後の仕事に役立った。その特集の一部を趣味―情報機器ー芽生えに綴った。

2015年7月15日水曜日 曇のち雨 PM2時57分投稿 

喪中に飲み会で浅草へ

花も少なくなってきたので替えの時期だ

 今朝も昨日以上に暑い。梅雨とは言え、真夏の日差しが照り付けている中で午前中2時間テニスで体を痛めつけた。今年はじめて、冷却材をタオルにくるんだものを首に巻いてプレーしたが、半時間もせぬうちに生温くなってくるので用意していた3セットは、全て使い切った。ほんとうに陽射しがキツイ。
 家の中でも同じである。3日前、たまらず、日曜日からリビングのエアコンに電気を投入した。それから今日までお昼間から点けっぱなし。温度は高めに設定し、扇風機を上部に向けて点けている。家族の避暑もあるが、愛犬2匹の健康維持のためでもある。愛犬散歩は5時半から40分ほど近所を廻っているが6時を過ぎると地面が徐々に熱を持ち、7時になると土が焼けてくるので散歩は朝早くで、夕方は犬を抱っこして、公園で愛犬仲間と四阿(あずまや)で愛犬談義。夕方の散歩はまず無理な日々が続いている。
 愛子婆さんの告別式以降、はや10日経つ。愛子婆さんのお骨を囲んで6個の花瓶と盛り花で飾ったが、この暑さで洋花は殆ど元気をなくし、今は菊のみが頑張っている。告別式の生花は、愛子婆さんのお棺に入れたが、喪主の生花だけは蕾に近い菊となっており、これが自宅のお骨のまわりにささげられている。ご近所から花束やお供えなども戴き、毎朝花瓶の水をかえたりはしているが、花はぼちぼち替えないといけない時期にきている。
 今夕は、喪中の飲み会に浅草まで出かける。久しぶりの再会なので、明日都内の病院で採血検査がありγ-GPTが気にはなるが、少し飲み過ぎになりそうだ。今日もこれからでかけ、押上スカイツリーから浅草雷門まで健康ウォークをする。4時半から神谷ばーで電気ブラン、5時から雷門前で全員集合になっているが、集合前の電気ブランは明日の採血に備えパスとする。

2015年7月16日木曜日 曇のち雨 PM9時40分投稿 

噴水と戯れる幼児たち

気持ちよさそうに遊んでいる

 雨の降る中、朝から都内に出たが、昨夕も飲み会で東京に出かけた。時間があったので、押上のスカイツリーから浅草通りをぶらぶらと雷門前まで出かけた。スカイツリーを出る時が4時過ぎだったのでショッピングタウン「そらまち」前の噴水広場前では幼児たちが気持ちよさそうに噴水の中を駆け回っていた。子供たちはみんなかわゆく見える。
 昨夜は浅草で飲み会であったが、うちおひとりが浅草生まれだったので浅草寺・浅草(浅間)神社(三社様)のご説明をいただいたり、その後旧地名の象潟(きさかた)や馬道付近を散歩しながら、三業会館(所謂、見番で芸妓の斡旋をしている)、古き良き贅沢割烹屋、下町伝統工芸館などを見廻って、写真も随分撮ってきた。裏浅草と呼ばれているところで旧い商家や民家のたたずまいが関西の昔とダブり懐かしかった。浅草六区まであるいて、公会堂で有名なスター手形をみてきた。今年は大沢 悠里や堺正章ら5名の手形が取られたとのこと。その後、飲み屋でホッピーとモツ煮込みで一軒目の乾杯。次に「ひものや」で飲み放題のコースで9時前まで愉しんできた。昨夕は1時間以上歩き回ったのだが万歩計をズボンにセットし忘れて記録されていない。いつも万歩計が付いてない時にたくさん歩くと何か損したような気分になる。
 今日は隅田の病院で検査があって万歩計をつけて颯爽と出かけたが、雨が降ったり止んだりで散歩には不向きだった。

2015年7月17日金曜日 曇り PM6時14分投稿 

テレビの思い出

 台風11号は昨夜から12時間もかけて四国中国を風と雨で直撃したが、その余波で関東地方も割合何度も強弱こもごもだが俄か雨が降った。朝9時からのテニスでも、前半に結構降られ、人が集まらず、2人ほど電話してうち一人が出てきてくれ2面取っていたがなんとか4人で愉しめた。後半は晴れて気持ち良くプレーできた。帰りにはウリエルもコートに迎えに来てくれた。

とっても高い家電新なので大事に扱った

 午後は、月刊コラム「僕たちの昭和物語」8月号掲載用の原稿を作成し、編集部にメール送付した。7月号はラジオを掲載ので、昭和30年代から40年代に家庭に長い時間かけて入っていったテレビを白黒からカラーに移る様子を我が家のテレビを中心に寄稿した。テレビの思い出は皇太子(現今上天王)ご成婚と東京オリンピックを一番に思い出す。昭和30年半ばからカラーテレビは既に放送を開始しテレビ自体も発売されてましたが、我が家では30年代から10年かけて40年代後半にやっとカラーテレビジョン様が導入された。その頃は大学時代に必死に観たあの映画でさえも総天然色では無くパートカラーだった。白黒テレビはその間2台を買い替えた。古い話を思い出しながら書いたので作成に約3時間を要した。

2015年7月18日土曜日 雨のち曇 PM8時21分投稿 

新店続々

 台風11号は既に日本海に入って熱帯性低気圧に変わっているのにもかかわらず、関西では大雨被害がまだ続いているとのこと。悪い置き土産を残してくれたものだと思う。
 7月29日夕刻から近所のへそ曲がり老人会の飲み会が駅前の焼肉屋で決定した。29日午前中は印旛沼へカミツキガメ生態を研究に行くので飲みに行くにはベストのタイミングと言える。もう一件は8月に県立公園でバーベキューパーティをしようと坐禅写経の皆さんにラインで提案した。ラインのグループトークで発言したのだが、誤って別のグループに発信し、4時間程度気づかなかった。ラインには自分のメッセージを削除する機能があったので、メッセージを即削除して勘違いした別グループには丁重にお詫びを申し上げた。メールなどで発信する際にはしっかり注意してから発信しないと多大な迷惑と自分に対する不信感と馬鹿さ加減が露見する。サラリーマン時代にも、添付ファイルを忘れたり古いファイルを送ったりするミスもした。油断大敵である。
 昨日から駅前のイオンモールにテナントの変更があった。国道筋にも新しいお店がどんどんできて収集がつかないほどだが、我が街のお店情報を一部更新した。今回の食品店は串揚げの串家物語、生麺の鎌倉パスタ、鶏白湯ラーメンのとりの助などなど。秋にも大規模な改装がされるとのこと。

2015年7月19日日曜日 晴のち雨 PM4時09分投稿 

独裁政治が国民を不安に陥れる

 朝、久しぶりにコーヒーを飲みながら「時事放談」を観た。最近の新聞論調や国会周辺での諸活動が気になっていたからである。やはり、原発再稼働・安保法制・沖縄基地移転などについては、強く批判していた。マスコミを抑えようとしたり、国民に理解を求めないような戦争法案をゴリ押しする与党(夜盗)とニセ平和遵守を掲げる公明党を強く非難していた。また、原発についても福島事故以来4年以上原発が無くても代替エネルギーでやってきたのだから何とかできるはずだ。発電後のプルトニウムが40トンもわが国には残っているという。それが戦争に使われると思うとソラ恐ろしい。
 日曜日は朝からいつもように8時スタートのテニススクール。陽射しはあるが風がテントの中に入ってくるので気持ち良い。しかし、15分もしないうちにコーチから特訓の強烈ボールが前後左右に飛んでくるので縦横無尽にコートの半分を走り回る それで汗がじわりじわりと肌から沁みだす。汗押さえにテントの中でも帽子はかぶっているが額からの汗は止めようがなく、タオルのハンカチで何度も目の周りを拭いてしかいをクリアーにしなければならない。10時からは走り込みと筋肉トレーニングとサウナで2時間弱のジムでさっぱりしてきた。
 どこの町でも同じ時期かもしれないが一年間有効の国民健康保険被保険者証が郵送されてきた。来年7月末日までが有効期限である。不慮の事故に遭うことを考え、裏面の臓器提供の意思欄には脳死に至った場合には移植のため臓器を提供する意思を書いた上、ツレアイにもその旨明言し伝えた。ツレアイも同内容で臓器提供の意思表示をしていた。

2015年7月20日月曜日 晴のち曇 PM4時36分投稿 

骨上げ 裁縫箱

 今週末25日は関西の義兄の家で愛子婆さんの四七日法要が行われるので前日に飛行機で現地入りする。ところが、遺骨がはいっている箱が重くて大きいので手荷物として乱暴には出来ないのでいろいろ考えて郵パックで送ることにした。遺骨は郵パック以外のサガワや黒猫など宅配業者では配送はして貰えないことを初めて知った。関西方面では咽喉仏や腰骨など僅かな量の遺骨しか骨上げはしませんが、関東では遺骨は原則すべて持って帰らないとならない。已む無く大きな骨壺(9寸)と分骨用として関西小さな骨壺(3寸)を用意して貰ったのだが、こちらに置いておくわけにはいかないので関西に持ってゆく。関西では、ちなみにお墓には小さな骨壺だけを納めることになる。大きなほうはお寺と相談することにする。話は関連するが今回の斎場お骨上げの際、係員がすべての遺骨を壺に納めるために、槌で頭部や腰骨を叩いたり折ったりシャベルで骨粉1gたりとも余さず救う姿に、関西人のDachs飼主として、とても衝撃を受けた。
 ツレアイが愛子母さんの荷物を整理している。その中に愛子さん専用の裁縫箱が見えた。dachs飼主が子供の頃、裁縫箱にはマッチのような待ち針、掴む時にこわごわの針山や三角形の蝋石のような青いチョコ(と言ったかな?)などが入っていた。木綿のカタン糸と巻き込み用の(糸)コマはミシン全盛の今でも、まだ売ってるのだろうか。カタン糸の車は図画工作の時間にタンク(戦車)やロボットの部品として使っていた記憶がある。
 裁縫箱には毛糸も入っている。毛糸編みも冬は母がよく精を出して家族のセーターや手袋、マフラー(当時は首巻きと言ってた)を造ってくれた。毛糸のマフラーは今の化繊製より暖かかった気がする。メーカーではスキー毛糸やクローバー毛糸というのがあったように思う。その毛糸を上手にほぐして、編み目の付いた毛糸を、熱い湯の中をくぐらせて、再度編みなおしの出来る直の毛糸にしてゆきます。まっすぐになった毛糸をこぶしに巻いて球体に造っていくのは、(途中で転がしてもう一度やり直したり)たいへん面白かった。
 小学校高学年の時は近所の姉ちゃんたちにリリアンという一本編みを教えて貰い、長い間かかって首巻を完成させたこともある。この糸は伸縮性のあるソフトでカラフルな糸だった(筈)。

2015年7月21日火曜日 晴れ PM9時29分投稿 

乱舞する金魚を鑑賞

眺めているだけで涼しくなる

 8時16分の電車に乗って、蔵前に出て墨田病院で1時間ほどで所定の検査を受けて10時過ぎに病院を出た。予報のとおり、陽射しが強く、道路は日陰側を選んで歩かないととても辛い。銀座線浅草駅から三越前に乗車。今日は、先日テレビで見た『アートアクアリウム2015 ~江戸・金魚の涼~』がコレド室町の5階で開催されているのを知った。7月10日から9月23日までの長丁場なのでかつ平日なので空いているのではないか、と期待して入ったのだが、結構、大勢の老若男女が入っていた。
 大量の金魚を光やプロジェクションや器で乱舞しているさまが綺麗にアートのように鑑賞できた。1時間弱で、写真を60枚前後撮ったので金魚水族館アルバムに納めた。

2015年7月22日水曜日 晴のち曇 PM5時58分投稿 

社長との思い出

先輩の知人に戴いた

 dachs飼主は昭和50年に本社勤務になって以来、数度の出向はあったが、約30年間に及ぶ大半のサラリーマン生活は本社に勤務していた。その東芝の歴代3社長ほか副社長全員を含む役員の半数8人が世を騒がせた不適切会計により昨日辞任会見をした。田中、佐々木社長は知らないが、西田社長はdachs飼主がリタイヤする前数年間、事業部長や本部長時代に出張に行ったり打ち合わせをの場などで、たいへんお世話になった方である。彼は数百人いる自分の部隊全員に、プロフィールや職位に応じた激励や期待をコンピュータ時代にもかかわらず、自分の筆で丁寧な年賀状を書いて出してくれていた。忙しい中で、やろうとしても、なかなかできないことである。その前の岡村社長や西室所長ともお話をさせて戴いたことがある(相手は覚えていないと思う)。
 昨日の金魚水族館に続き、次回墨田区の病院に検査に行く際、「クレオパトラとエジプトの王妃展」に8月3日に行こうと思っていた。友人から郵送で送って貰った観覧券をじっくり見ると上野の東京国立博物館の平成館で期間内だが、予定の8月3日は月曜の休館日。せっかくご厚意で郵送戴いたのに行けずに申し訳なかった。

2015年7月23日木曜日 大暑曇り PM7時52分投稿 

帰郷準備

 久しぶりに未明からの雨。先週も確か木曜日雨だったが、暑い日が連日続く中での雨降りは大歓迎である。明日から月曜日まで関西に法事で出かけるが、台風12号が月曜あたり関西地方に影響を与えないかが若干気がかりではある。月曜は午後4時過ぎ神戸空港から羽田空港に向けて帰る予定になっている。
 明日、義兄のお宅を訪問し、遺骨や位牌など関西での忌明け法要に必要なものを届ける。法要においでいただける親類縁者の人たちの為に、告別式で撮った写真をL版用紙にプリントして手荷物に入れるなど、関西に出かける準備に午前中いっぱいかかった。明日は愛犬2匹をペットホテルに午前7時に預けに行って、その足で朝8:16発の羽田空港行きの電車に乗る予定。
 昨年秋、認知症の貼り薬の検査に行った鹿児島の病院からこの秋も検査に来ませんか?との案内状が郵便できた。18泊19日の検査入院をできるかもしれない。

 テレビを観てて気が付いた面白いこと。数年前から「過払い金を返金する弁護士事務所」が盛んにテレビラジオでコマーシャルをしている。テレビで某広告に小さな字で「買い物飲食での過払いは対象としません」とする旨の注意書きがあった。普通の人になら当たり前のことだが「レンジ猫」同様、いろんなことでいちゃもんをつける常識のないヤカラがいるのだなと思った。

2015年7月24日金曜日 曇り PM9時18分投稿 

関西に着いた

久々のビアガーデンは良かった

発泡酒独特の炭酸感あり

 7時にペットホテルで二匹を預け、ツレアイと物を駅で降ろし、dachs飼主は自宅まで車と愛犬糞を持って帰り、徒歩で駅に戻った。07時43分羽田空港行普通に乗車し09時25分に空港に到着。羽田空港発11時ANAで12時05分に大阪伊丹空港に着いた。モノレールで一駅蛍池まで行って、海鮮丼とざるうどんで昼食。午後は義兄宅に伺い、遺骨遺品仏具やお供えを届け、家族や親戚と歓談。午後4時に近づいたので、宝塚の中山観音寺に向かう。此処には亡き愛子の弟の啓二さんが眠っている。ただ到着したのが午後4時30分になったいた。最終回向の読経が16時20分が最終だったので仕方なく納骨堂に案内を乞い、位牌だけを二人で拝ませて貰った。偶然とはいえ、啓二(愛称はなごじー(名古屋爺))さんの命日が6月27日で、愛子婆さんの命日翌日の6月28日であった。
 息抜きに、宝塚ホテルの夜景を観ながら、ツレアイが初体験となるビアガーデンに一緒に行った。関東にはビアガーデンはあまり見かけることはないが、関西では盛況のようだ。昔はビールジョッキ1杯毎に財布からお金を出していたが、今日のシステムはビールも食べ物もその他アルコール類もすべてビュッフェスタイルでいくら飲んでも食べても定額4000円なのは財布を気にすることもなく、飲食と風景に徹底できるのでうれしい。今まで知らなかったのだが、ドイツのビールが発泡酒スタイルでサントリーで売り出されていたのには驚嘆。

2015年7月25日土曜日 晴のち曇 PM10時32分投稿 

忌明け法要

 今日もホテルの窓越しに陽射しが眩しい。昨日の千葉は大雨が降っていたようだが、関西は連日暑い。関西2日目は川西の義兄宅での四七日法要で11時に僧侶を呼んで愛子義母さんの忌明け法要となる。法要後、晴れて白木の位牌から新しく作った35年以上前に亡くなった夫と連名で同じ位牌に納まることができた。納骨は1年をめどに夫の墓に入る予定だがまだ日程が決まっていない。
 皆でお昼の膳を戴きながら3時間ほど愛子婆さんの思い出話に話を咲かせた。
 4時前になったので、神戸市須磨区妙法寺の老人ホームに入っている愛子さんの姉夫婦を見舞いに行ってきた。ご夫婦とも思っていた以上にお元気で安心した。ご夫婦の息子さん夫婦に駅前の飲み屋で「はもの柳川風鍋」「まぐろのゆっけ」「お寿司など」をごちそうになった。
 今夜は神戸市湊川のビジネスホテル「LIVEMAX」に宿泊した。1か月以上前に予約したがほかのホテルや旅館も夏休み最初の土日のせいか、どこも予約が取れず、結果的に祝杯代も昨夜泊まった名門宝塚ホテルよりかなり高くなった。

2015年7月26日日曜日 晴れ PM10時29分投稿 

千葉に戻る

 1昨日泊まった宝塚ホテル、昨日から泊まっているリブマックス神戸も一般ビジネスホテルからワンランク上の感じがする。部屋のスペースも設備や消耗品が若干ほかのホテルより感じが良い。
 朝9時にホテルを出て近くの湊川公園を散歩してみた。50年前はこの地区は新開地・聚楽館・福原の起点であり、青春時代の裏表をいろいろと勉強していた。麻雀・ボーリング・映画・居酒屋・喫茶などなど大学時代の大半を此処で過ごした。しかし、今はグラウンドや緑の公園に変わっており、昔の面影はない。
 地下鉄で終点の西神中央駅まで行き、親戚のおばさん宅に行ってきた。お昼には天ぷらそばをごちそうになり、午後4時15分の飛行機で神戸空港から羽田に戻ってきた。愛犬ラミウリを連れて自宅でご飯を食べたのは8時を廻ってしまった。 

2015年7月27日月曜日 曇り PM10時48分投稿 

酷暑続く

 昨夜から激しく暑い。エアコンは点けなかったが、起きたら寝床で汗ダクになった。9時~のテニスでも4ゲーム終了毎に3分ミニ休憩を取らないと熱中症になりそうな酷暑となった。これからこの暑さは、残念ながらしばらく続くという。テニスとジムで500mlの魔法瓶(ステンレスポット)を使っていたが、今日から1400mlタイプに替えた。中身もミネラルウォーターでは糖分が多いので、麦茶に変更した。それでも2時間のテニスで1リットルは飲んでしまった気がする。これから先の気温がオソロシイ。
 坐禅写経の仲間と計画していた県立公園内でのバーベキュー大会の日程を8月6日に調整し、会場に予約をした。雨で無ければよいが、万一を考えて、食材を買うのは当日朝9時から開いてるスーパーで買いものをすることにした。駅前イオンは朝7時から食品の買い物ができる。

2015年7月28日火曜日 晴のち曇 PM9時02分投稿 

テレビの変遷

ラジオに比べると、テレビの普及には15年程度かかっている。価格が異常に高価であったのと、カラー番組放映が順調に進まなかったせいではないだろうか。
テレビは昭和30年の頃には既に放送を開始していた。しかし大半の家庭では、まだまだ高嶺の花で電気店のショーウィンドー、銭湯や街頭テレビで、大相撲やプロレス、ドタバタ新喜劇などを大勢の人たちが立ち見して愉しんでいた。呼び出し電話を使わせて貰っていたお向いさんでもテレビを見せて貰っていたことがある。カラーテレビは30年代半ばから放送を開始していたが、我が家では40年代後半まで白黒テレビが2代も続いた。映画でさえ総天然色ではなくパートカラーが多く、テレビ番組もモノクロ放送が中心だったので当時ほとんどの家庭にカラーのテレビは無かった。
角丸のブラウン管で下側に大きなつまみが付いているだけの白黒テレビでも高価な家電品で家族皆が大切に扱った。テレビの正しいみかたは、ブラウン管の直径の7倍の距離から部屋を暗くして観るとされていた。選局もリモコンではなく、ロータリー式のつまみで、「ガチャ、ガチャ」と乱暴に扱うとスポッと抜けてしまう。また、機嫌が悪いと画面がコマ送りみたいに上から下へ流れたり画像が歪んだりするするので、頻繁に前面の微調整つまみや裏側の結線状況で調整確認した。真空管式なので電源オンになってもすぐに映像は出ず、初期の蛍光灯のように画像を待っていた。
あの頃のテレビ番組は、家族全員で見るような西部劇やホームドラマがたくさんあって一家団欒を楽しめたような気がする。今と違って、ドラマも単発30分枠の番組が多く、長くても1時間くらいだったのではないだろうか。
我が家に待望のカラーテレビ様が入ってきたのは40年代も後半に入ってからだった。木目調で垂れ幕付きの観音開きの大型贅沢家電品で応接間に置かれていた。カラーについて各メーカーは松下ーパナカラーー嵯峨、ソニーートリニトロンカラーー?、日立ーキドカラーーポンパ、三洋ーサンカラーー薔薇、東芝ーユニカラーー名門、三菱ーネオカラーー高雄、日本電気ー?ー太陽、ゼネラルー?-王朝、コロンビアーホワイトカラーー世界だったと思う。
カラー番組はラテ欄でも、放映中のテレビ画面の右隅にも小さくカラーと表示されていた。テレビから見ている座卓まで長い接続コードが付いてはいたが、手元リモコンでチャンネルが変えられるのはとっても便利だった。

2015年7月29日水曜日 曇り PM9時44分投稿 

カミツキガメ取材

千葉県に全国の90%以上が居るらしい

 ふれあい毎日の取材で印旛沼のカミツキガメの生態と対策についてお話を聴きに行った。「印西自然探訪 夏休み自然教室」の3回目で「カミツキガメを見てみよう」と30名の親子連れが見学と勉強に来ていた。印西市の印旛支所で県の生物多様性センターの女性講師より概略説明を聞いた後、支所から1.2k離れた西印旛沼の縁まで歩く。そこには8か所、網でカミツキガメの仕掛けを張っていた。残念ながら8カ所とも網の中はミドリガメとすっぽんとザリガニだけだった。已む無く、印旛沼漁協のおじさんから昨日捕ったカミツキガメを出してくれた。流石にデカイ。これは5Kgほどだが寿命は60年ぐらいなので体重は35Kg位にはなるらしい。
 夕方からはテニス仲間の有志と鹿児島居酒屋山内農場で飲んだ。飲み放題付きで8品の突き出しが付いて3,980円と格安だった。

2015年7月30日木曜日 曇り PM7時48分投稿 

無線LAN親機買い替え

NEC製PA-WG1200HPを8000円で購入

 2009年2月にNTT東日本のフレッツ光が開通したのにともない、無線LANルーター親機Buffalo社製WHR-G300Nを購入し、以来携帯・プリンター・スマホ・デジカメなどをWifi化してきた。それが最近Wifiのアクセスが遅いと感じていたが、本日午前中にとうとうダウンしてしまった。ノートPCだけでなく、スマホも接続不可になってしまった。スマホはG4ネットワーク、パソコンは有線LANでとりあえず使っているが、これでは使い勝手が悪い。
 已む無く、NEC製PA-WG1200HPを8000円で購入してきた。明日にでも接続してみる。

2015年7月31日金曜日 晴のち曇 PM8時15分投稿 

印旛沼取材原稿

手を近づけると咬みつかれる畏れあり

 朝9時にコートに入ったが、9時30分の時点で、殺人的に暑かった。多分、今日は最高気温が35℃以上に達するだろうと皆で話をした。9時30分までの練習タイムで相当へとへとになった。幸いにも11人の参加があったので毎回3名は休める。dachs飼主は3回戦12ゲームまで休みなしだったが、4回目でやっと休憩を取れた。帰宅後、ジムに行くのも大儀だったので、我が家のシャワーで体を冷やして発泡酒を飲んで、疲れと眠気を両方満足させた。昨日購入した無線LAN機はスマホ、ノートPC,プリンターに問題なく接続ができた。
 午後は昨日の印旛沼取材の原稿を作っていた。本日書きかけの原稿素案は
『 親子を対象に、環境保全に対する意識の高揚を図り、自然環境への関心を高めるため、「いんざい自然探訪」が今年も夏休み自然教室として開催されている。7月29日、第3回「印旛沼でカミツキガメを見てみよう」では30名の親子が集まって体験学習した。印旛支所で特定外来生物「カミツキガメ」と「印旛沼の汚れと生きものたち」について説明を受け、その後西印旛沼一本松地区まで歩き、実際のカミツキガメ防除作業を見学し、このカメの生態と怖さについて印旛沼漁協の人たちからも生きた説明を受けた。また印旛沼の水質検査も児童が実際に行って、深刻な水質汚染の現状と沼の周辺で「きれいな沼に再生」するために地道な活動をしている人々のご苦労を知って貰う良い機会となった。
 カミツキガメはまさに咬みつくカメであり、不用意に手足を出すと咬みつかれて大怪我をする危険な生物である。
 印旛沼は印旛捷水路を介して北印旛沼と西印旛沼に分かれ、総面積は成田空港とほぼ同じで深さは1~2mほどである。沼の汚れに関しては全国ワースト5の常連であり、直近3年では当沼が汚染度1位になっている。ちなみに2位は手賀沼となっている。沼の汚染の原因はてんぷら油、米のとぎ汁、洗剤など家庭からの排水浄化も大事だが、ここ50年くらいの間に入ってきた外来動物が水の浄化を助ける生物を根絶やしにしたり、外来植物が水面を覆ってしまったりすることが。』
 中身は今後改善してゆく。

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