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2003年8月21日木曜日  PM6時30分投稿 

故郷の海

今日は久しぶりに暑く、朝からすのこを窓に垂らして陽を避けた。昼からはさらに暑くなったので、首にタオルを巻き、汗を避けるほどでした。機能までは夏とは言え、スーパーの売れ筋商品に肉まんやおでんの種がトップ20入りしていたのに、雲泥の差。
今日はフラッシュの勉強に明け暮れたが、なかなか独学ではドツボにはまること多く、難儀している。簡単なフラッシュは作れるようになったが、HPに出せるレベルまではまだ時間がかかりそう。
息抜きに、故郷の海岸を思い出しながら「ぼくなつ」を久しぶりに新規追加した(全文は以下の通り)
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 田舎のうちでは、200mばかり南へ直進するとすぐ海なので、こどもの頃はよくお昼過ぎに示し合わせた友達を誘って「海パン」と「タオル」を持って白砂青松の海岸に行きました。
海岸は漁師舟と砂や松と近くには神社しかなく、たまに船の周りで漁師のおっちゃんやおばちゃんが網の繕いやタコ漁に使う壷やランプの調整をしてるぐらいで私たち小学生のガキドモにとって、誰にも邪魔されない最高の遊び場です。
夏休みの宿題の自由研究も我ら海の子は「海水温と地上気温との差」「海流実験」「海の生き物」など海に関する実験や
記録を海に遊びにいくたびにして、間に合わせたものです。海の生き物では「ふなむし」と呼ばれるゴキブリとしゃこを足して2で割ったような虫が船や岩場にたくさん居て、人に悪さはしないのですが、あまり気持ちが良いものではなかった。もうひとついやなものは「くらげ」で特に「電気くらげ」と呼ぶくらげは見映えも恐ろしいが、刺されると肌がみるみる腫れて最低。
正式名は「かつおのえぼし」と呼ばれる恐ろしいくらげで当時は海岸に相当数浮遊しており結構被害に逢いました。
中学に入ると「もり」と呼ぶ飛び道具を携えて岩場の下にもぐり、隠れているたこやきす・べらなどを捕りました。(学校や親からはこの行為は禁止されていた)
砂浜にあがって焼くと塩が良く利いて最高の味でした。
 漁師のおっちゃんは今は知らないが、昔は環境が悪かったのか潮風・日差し・海水などに眼をやられた人が多く、歳を重ねた人ほど、銀色に濁っていました。結構人懐っこい人も多く私たち子供に相手になったり、怖がらせて喜んでいました。息子に代を譲った老人の猟師のかたも、毎日のように砂浜に座って海を眺めていた。おやつに持ってきたりんごを剥いたりしてると、彼らが性教育をしてくれたこともあった。
 昔は環境汚染の問題も殆どなく、この時期は8月上旬たなばた飾り、下旬にはお盆の供物一式を海上に流してました。兵庫県(明石市)の海は向かいの淡路島(アカシコウベの人間は単にアワジとだけ呼ぶ)がキャンプシーズンなので「玉葱」など野菜がプカプカ流れてきて、浜辺で海水浴をしていた私たちは遊びの中で必ず、その玉葱(腐りかけたものも)を投げ合って、きゃーきゃー言って騒ぎます。泣かれたら嫌なので、飼主は女子には絶対投げつけなかった(筈)です。
 お盆にはナスで作った牛、きゅうりで作った馬、それにスイカ、とうもろこし、ぶどう、ほおずき、そうめんなどを供え、それをお盆の送りの日に海岸に持ってゆき、流しました。
 おさがりでもらえる供物の中に嫌いなものが一つだけありました。それはハクセンコウというもので、標準語では「落雁」と呼ばれるものらしい。京都では蓮や花の形をした「お干菓子」と呼ばれ、仏様のお供えや結婚式の引き出物の一つとしてお祝い品として配られるもの。もともと「白雪こう」と呼ぶお菓子が変化したそうですがとにかくパサパサして味もいやな甘さだけで子供の私にとっては食うのは地獄でした。

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