dachsy[Wwgbvx dachsy[Wwx dachsy[Wwx dachsy[WwUx dachsy[Wwgbvx dachsy[WwvtB[x dachsy[Wwx dachsy[WwڋqΉx dachsy[WwdbΉx dachsy[Ww낢x

2017年4月18日火曜日 曇り PM5時12分投稿 

昭和40年代前後

 今日からジムもテニスも検査入院終了の日(5月7日)まで約3週間、休止と決めた。午前中は雨風が強くて外に出る気もなかったので、ノートパソコンでデータベースの整理などをしていた。午後は風が強かったが近所の図書館まで歩いて行き、先週土曜日に予約した奥田英明の「オリンピックの身代金」を借り受けに行った。まだ1割強しか呼んでいないが、出稼ぎ労働者の実態や昭和40年代前後の田舎とオリンピックに湧く東京が描かれており、読み続ける興味を惹いた。東京は昭和50年代以降しか知らないが、東北など田舎の暮らしは兵庫県明石市のそれと大きく変わらないので興味深く読んでいる。「草加次郎」という爆弾魔がいたこともこの本を読んで思いだした。

今は補欠のBIOSで起動している状況

 普段はノートPCを膝の上に載せてテレビなどを見ながらHP更新やブログ操作をしているのだが、複雑な画像操作や高性能な処理能力を要求される際には、自作デスクトップを使って行っている。ところが、先日写真のようなエラーが出て一次BIOSが壊れてしまったようだ。幸いDUALBIOSなので、一方が壊れてももう一方が代替業務を行い、Windowsを立ち上げて呉れるのだが、一つ困ることがある。2次BIOSが立ち上がるまで10秒近く時間がかかるので、電源ボタンを押してもしばらく待たないといけないし、待っても点くかどうかわからないのでちょっとイライラする。このマシンは2009年5月に部品を購入し、組み立てて、2012年暮れにCPU・GPUなども含め高速化してきた。まだ8年しか経ってないので、もう少し我慢しながら、ハードのご機嫌を伺いながら、使ってゆきたい。今度のリプレースは基盤・OSすべてリフレッシュし、空冷式から水冷式の冷却システムに変更したい。ノートPCは熱に強いが、デスクトップは意外に熱にもろい。

2016年5月7日土曜日 晴のち曇 PM9時31分投稿 

島影完成

小冊子だが、50年ぶりの復刊となる

 同人誌『島影』が我が家にも送られてきた。中学校以来の旧友4人で作った小冊子の第4号になる。第3号は大学時代に作っているのでほほ50年ぶりになるだろうか。懐かしかった。
 午後は、テニス用のパラソルをホームセンターに観に行った。直径2m、高さ2m程度がベストだが、価格は2000円前後。それにパラソルを立てかけるポールスタンドが1000円ほどで、予算は合計3000円とみている。ただ、風には弱いので、少し強めの風が吹くと危険なので使えない。ポールスタンドには水を入れたり、砂を入れたりして安定性を高める工夫をしているが、強風には抗えない。それにしても最近は風が強い日が強く、テニスも苦労するが、先日植えた夏野菜の苗も何度も倒れ掛けて、復帰するの繰り返し。

2015年8月6日木曜日 晴のち曇 PM9時18分投稿 

夏の涼

 都心では今日で連続6日間の猛暑日になり新記録だそうだ。熱帯夜も12日も続いているらしい。
 昨日の8月号に引き続き、9月号用に「夏の涼」と題した僕たちの昭和物語素案をつくってみた。これで2年半かけた昭和コラムも丁度25回目を迎えるので、一旦休止としたい。
*********************************************
 近頃は野外よりも屋内で熱中症になる人が多いと言う。僕たちの若い頃はそんな言葉もなくて、30℃にもなると「日射病になるから家に居なさい」とよく昼寝をさせられた。あの頃祖父母などが「今年は一番暑い」と言ってたのを今ではその通りだと共感する。
 よしずを張った縁側で昼寝の際は蚊帳と蚊取線香は欠かせない。家の周りに水たまりが多いのかすぐに蚊が手足顔にまとわりついてくる。蚊帳の中に蚊取り線香を5分も焚けばぽとぽとと面白いほど落ちてくるので、その後は中で煙臭さもなく1時間ほどぐっすりと眠れた。蚊取り線香の生産は岡山県がメジャーで我が家では、鶏の金鳥と西郷隆盛の南洲香を愛用していた。蝿の防除には「ハエ取り紙」が庭に面した部屋に数本ぶらさがっていた。粘着質の物質をリボン状の紙につけて、吊るしておくとこれも面白いようにハエがくっつく。いわゆるゴキブリホイホイの蝿版である。
 エアコンは無いので、扇風機、うちわで暑さをしのぎ、風鈴や麦茶で涼を感じた。お風呂上がりに汗取りの天花粉(シッカロール)をあごや首周りにつけて浴衣を羽織って外に出る。おもてに帆布製デッキチェアーや床机を出して、近所の人たちと将棋を指したり、夕涼みをしたり、線香花火を楽しんだ。
 その他、夏の涼で思い出すものとして「うちわ」「金魚鉢」「盥と行水」「アイスキャンデーやかき氷」「粉末ジュースやラムネと栓抜き」などなど尽きないが別の機会に続きを書いてみたい。

2015年8月5日水曜日 晴れ PM6時49分投稿 

白黒テレビ

白黒テレビをメインに書いた

 本日、ふれあい毎日8月号が発行された。dachs飼主の「僕たちの昭和ものがたり」第24回目が掲載されたので、メモしておく。
 我が家に待望のカラーテレビ様が入ってきたのは40年代も後半に入ってからだった。木目調で垂れ幕付きの観音開きの大型贅沢家電品で各メーカー「嵯峨」「名門」「王朝」「薔薇」などのネーミングがついて応接間に置かれていた。カラー番組はラテ欄でも、放映中のテレビ画面の右隅にも小さくカラーと表示されていた。テレビから見ている座卓まで長い接続コードが付いてはいたが、手元リモコンでチャンネルが変えられるのはとっても便利だった。字数の関係でカラーテレビの思い出は書ききれなかった。
******************************************
 テレビは昭和30年には放送を開始していたが、大半の家庭ではまだまだ高嶺の花で、電気屋の店先や銭湯、街頭テレビで大相撲やプロレス、ドタバタ新喜劇などを大勢の人たちが立ち見でたのしんでいた。
 自宅電話もなく、呼び出し電話を使わせて貰っていたお向いさんでテレビを見せて貰っていた。カラーテレビも30年代半ばから放送を開始していたが、わが家では40年代後半まで白黒テレビが2代も続いた。当時ほとんどの家庭にカラーのテレビは無かった。
 映画でさえ総天然色ではなくパートカラーが多く、テレビ番組もモノクロ放送が中心だった。角丸のブラウン管で下側に大きなつまみが付いているだけの白黒テレビでも高価な家電品で家族皆が大切に扱った。
 テレビの正しい見方は、ブラウン管の直径7倍の距離から部屋を暗くして見るとされていた。選局もリモコンではなく、ロータリー式のつまみで「ガチャ、ガチャ」と乱暴に扱うとスポッと抜けてしまう。
 機嫌が悪いと画面がコマ送りみたいに上から下へ流れたり画像が歪んだりするので、頻繁に裏側の結線を確認したり前面つまみで微調整した。真空管式なので電源オンになってもすぐに映像は出ないなど細かなことはあったが「面白い番組を見るために」と思うとそんなことはたいしたことでは無い。
 あの頃のテレビは家族全員で見るような西部劇やホームドラマがたくさんあった。今と違って、ドラマも30分枠の単発連続番組が多く、毎週一家団欒で楽しめたような気がする。

2015年8月4日火曜日 晴のち曇 PM6時03分投稿 

ハエとカ取り

7月は愛子婆さんの告別式がトップ記事

 今日で都心の最高気温35℃超が連続5日の都心歴代猛暑一位となった。2010年も暑かったが、今年はもっと熱くなるのではないかと思う。
 少し遅れたが愛犬暦に7月を加えた。なにやかやと愛子婆さん告別系が7月の思い出となる。

リボン型の粘着紙

 子供の頃の夏の風物は蚊帳と蚊取線香、ハエ採り紙を先ず一番に思い出す。蚊帳は知らないが、蚊取線香とハエ採り紙は岡山産である。蚊取線香は大日本女中菊株式会社から出されているが今の金鳥である。少し高かったがポトポトと蚊が面白いほど落ちた。蚊帳を張って寝る前に金鳥蚊取りを5分程焚くと蚊帳の中は一匹も居なくなるのであとは蚊帳の裾を注意しながら上げて自分が入ればあとは朝までグッスリ眠れるというわけである。これより安い蚊取線香で西郷隆盛の絵が入っている「南州香」も我が家では良く使った。これは人畜無害の「南州香」がキャッチコピーで線香独特の強い匂いが少ないので年寄り子供には好評だった。ハエ採り紙はカモイの「リボンハイトリ紙」を使っていた。粘着質の物質をリボン状の紙につけて、天井に吊るしておくとこれも面白いようにハエがくっつく。いわゆるゴキブリホイホイの蝿版である。ハエ採り紙は後日カモイからもっと安いアース製薬に取ってかわられるが、アースも岡山県か兵庫県に大きな工場があった。黄色い紙に大きく赤字で「アース」と書いたハエ採り紙はたいへんインパクトがあった。飲食店では薬が使えないや強い匂いはご法度なので、無味無臭のハエ採り紙は最適。しかし、あまり死んだ蝿がべたべたついている紙を店先に吊るしておくのは美観を損ねるので毎日のように新しいリボンに替えていた筈。カモイもアースも大儲けをしたと思う。

2015年7月28日火曜日 晴のち曇 PM9時02分投稿 

テレビの変遷

ラジオに比べると、テレビの普及には15年程度かかっている。価格が異常に高価であったのと、カラー番組放映が順調に進まなかったせいではないだろうか。
テレビは昭和30年の頃には既に放送を開始していた。しかし大半の家庭では、まだまだ高嶺の花で電気店のショーウィンドー、銭湯や街頭テレビで、大相撲やプロレス、ドタバタ新喜劇などを大勢の人たちが立ち見して愉しんでいた。呼び出し電話を使わせて貰っていたお向いさんでもテレビを見せて貰っていたことがある。カラーテレビは30年代半ばから放送を開始していたが、我が家では40年代後半まで白黒テレビが2代も続いた。映画でさえ総天然色ではなくパートカラーが多く、テレビ番組もモノクロ放送が中心だったので当時ほとんどの家庭にカラーのテレビは無かった。
角丸のブラウン管で下側に大きなつまみが付いているだけの白黒テレビでも高価な家電品で家族皆が大切に扱った。テレビの正しいみかたは、ブラウン管の直径の7倍の距離から部屋を暗くして観るとされていた。選局もリモコンではなく、ロータリー式のつまみで、「ガチャ、ガチャ」と乱暴に扱うとスポッと抜けてしまう。また、機嫌が悪いと画面がコマ送りみたいに上から下へ流れたり画像が歪んだりするするので、頻繁に前面の微調整つまみや裏側の結線状況で調整確認した。真空管式なので電源オンになってもすぐに映像は出ず、初期の蛍光灯のように画像を待っていた。
あの頃のテレビ番組は、家族全員で見るような西部劇やホームドラマがたくさんあって一家団欒を楽しめたような気がする。今と違って、ドラマも単発30分枠の番組が多く、長くても1時間くらいだったのではないだろうか。
我が家に待望のカラーテレビ様が入ってきたのは40年代も後半に入ってからだった。木目調で垂れ幕付きの観音開きの大型贅沢家電品で応接間に置かれていた。カラーについて各メーカーは松下ーパナカラーー嵯峨、ソニーートリニトロンカラーー?、日立ーキドカラーーポンパ、三洋ーサンカラーー薔薇、東芝ーユニカラーー名門、三菱ーネオカラーー高雄、日本電気ー?ー太陽、ゼネラルー?-王朝、コロンビアーホワイトカラーー世界だったと思う。
カラー番組はラテ欄でも、放映中のテレビ画面の右隅にも小さくカラーと表示されていた。テレビから見ている座卓まで長い接続コードが付いてはいたが、手元リモコンでチャンネルが変えられるのはとっても便利だった。

2015年7月20日月曜日 晴のち曇 PM4時36分投稿 

骨上げ 裁縫箱

 今週末25日は関西の義兄の家で愛子婆さんの四七日法要が行われるので前日に飛行機で現地入りする。ところが、遺骨がはいっている箱が重くて大きいので手荷物として乱暴には出来ないのでいろいろ考えて郵パックで送ることにした。遺骨は郵パック以外のサガワや黒猫など宅配業者では配送はして貰えないことを初めて知った。関西方面では咽喉仏や腰骨など僅かな量の遺骨しか骨上げはしませんが、関東では遺骨は原則すべて持って帰らないとならない。已む無く大きな骨壺(9寸)と分骨用として関西小さな骨壺(3寸)を用意して貰ったのだが、こちらに置いておくわけにはいかないので関西に持ってゆく。関西では、ちなみにお墓には小さな骨壺だけを納めることになる。大きなほうはお寺と相談することにする。話は関連するが今回の斎場お骨上げの際、係員がすべての遺骨を壺に納めるために、槌で頭部や腰骨を叩いたり折ったりシャベルで骨粉1gたりとも余さず救う姿に、関西人のDachs飼主として、とても衝撃を受けた。
 ツレアイが愛子母さんの荷物を整理している。その中に愛子さん専用の裁縫箱が見えた。dachs飼主が子供の頃、裁縫箱にはマッチのような待ち針、掴む時にこわごわの針山や三角形の蝋石のような青いチョコ(と言ったかな?)などが入っていた。木綿のカタン糸と巻き込み用の(糸)コマはミシン全盛の今でも、まだ売ってるのだろうか。カタン糸の車は図画工作の時間にタンク(戦車)やロボットの部品として使っていた記憶がある。
 裁縫箱には毛糸も入っている。毛糸編みも冬は母がよく精を出して家族のセーターや手袋、マフラー(当時は首巻きと言ってた)を造ってくれた。毛糸のマフラーは今の化繊製より暖かかった気がする。メーカーではスキー毛糸やクローバー毛糸というのがあったように思う。その毛糸を上手にほぐして、編み目の付いた毛糸を、熱い湯の中をくぐらせて、再度編みなおしの出来る直の毛糸にしてゆきます。まっすぐになった毛糸をこぶしに巻いて球体に造っていくのは、(途中で転がしてもう一度やり直したり)たいへん面白かった。
 小学校高学年の時は近所の姉ちゃんたちにリリアンという一本編みを教えて貰い、長い間かかって首巻を完成させたこともある。この糸は伸縮性のあるソフトでカラフルな糸だった(筈)。

2015年7月17日金曜日 曇り PM6時14分投稿 

テレビの思い出

 台風11号は昨夜から12時間もかけて四国中国を風と雨で直撃したが、その余波で関東地方も割合何度も強弱こもごもだが俄か雨が降った。朝9時からのテニスでも、前半に結構降られ、人が集まらず、2人ほど電話してうち一人が出てきてくれ2面取っていたがなんとか4人で愉しめた。後半は晴れて気持ち良くプレーできた。帰りにはウリエルもコートに迎えに来てくれた。

とっても高い家電新なので大事に扱った

 午後は、月刊コラム「僕たちの昭和物語」8月号掲載用の原稿を作成し、編集部にメール送付した。7月号はラジオを掲載ので、昭和30年代から40年代に家庭に長い時間かけて入っていったテレビを白黒からカラーに移る様子を我が家のテレビを中心に寄稿した。テレビの思い出は皇太子(現今上天王)ご成婚と東京オリンピックを一番に思い出す。昭和30年半ばからカラーテレビは既に放送を開始しテレビ自体も発売されてましたが、我が家では30年代から10年かけて40年代後半にやっとカラーテレビジョン様が導入された。その頃は大学時代に必死に観たあの映画でさえも総天然色では無くパートカラーだった。白黒テレビはその間2台を買い替えた。古い話を思い出しながら書いたので作成に約3時間を要した。

2015年6月6日土曜日 芒種曇時々晴 AM11時10分投稿 

雨靴と雨傘

今日は夕方テニススクール仲間の宴会。幹事になっているので少し準備をしてはやめに行かなければならない。1名の仲間が来月から1年半外国駐在するのでその記念品の準備もしておく。

昭和物語第22回目原稿

  水曜発行の「ふれあい毎日」15年6月号にdachs飼主のコラムが掲載された。ホームページ見習い文筆の昭和コラムにアップしておいた。以下はその全文。

 今年も鬱陶しい梅雨の季節がやってくる。食べ物が黴び、部屋が湿っぽいのは困りものだ。雨の日は外遊びができなかった幼い日を思い出す。
 少しの雨でも親は長靴(ゴム長)を履かせたがったものだ。運動靴は軽いが、ゴム長を履くと重いし、走れない。昭和30年代、街の幹線道路は僅かにアスファルト舗装をしていたが、ほとんどの道路は土の道で雨が降ると水たまりができ、ぬかるむ。
 洗濯する者の身になれば雨靴は必須だが子供たちはとても嫌がった。通学路で車が横を通ろうものなら、傘を素早く横にして泥はねを避けていた。「泥をかけられたら車のナンバーを覚えておいて警察に通報するのだよ」と親や先生からも言われたが一度も届けたことはない。
 もう一つは雨傘。あの頃、男の子は黒い木綿張りの小型のこうもり傘を差して通学した。当時、どの家にも番傘、またはから傘と言われる油引きの紙の傘が2、3 本はあり、近所にお使いに行く時はこの傘で表に出た。紙の割に比較的重く、子どもにはキツイのだが、雨が傘にすごく大きい音であたるのが痛快で気持ちよく感じられた。傘骨が竹材なのも気に入っていた。
 女性用に軽い蛇の目文様の傘もあった。蛇の目傘は浅草仲見世で購入できるらしいが、一本くらいは家に常備してあの懐かしい雨の音をもう一度聞きたいものだと思っている。しかし、番傘は傘の立て方が上下逆なので傘置き場では折り畳み傘と同様、困ってしまうのかも。

2015年5月3日日曜日 晴のち曇 PM5時32分投稿 

番傘とゴム長

誰か知りません。

 毎日、五月晴れが続いている。本来、五月晴れとは旧暦の5月、つまり梅雨の時期に晴れわたった際に使う言葉らしい。そういえば来月は、はや梅雨のシーズンに入る。沖縄では今週中にも梅雨にはいると、天気予報で言っていた。
 梅雨と言えば子供の頃無理やり履かされた「雨靴」とシッカリとした「番傘」を思い出す。
 通学時には少しの雨でも親は長靴(ゴム長)を履かせたがった。運動靴は軽いが、ゴム長を履くと、重いし、走れない。昭和30年代は、街の幹線道路は僅かにアスファルト舗装をしていたが、ほとんどの道路は土の道で雨が降ると大きな水たまりができたり、ぬかるむ。洗濯する者の身になれば雨靴は必須だが子供はとてもいやだった。通学路で車が横を通ろうものなら、傘を横にして泥はねを毎回避けるのにも苦労した。泥をかけられたら車のナンバーを覚えておいて警察に通報するのだよ、と親や先生からも言われたが一度も届けたことはない。
 もう一つは雨傘。現代でも折畳傘は外出時、バッグに何時も入れてはいるが殆ど使わないと言ってもよい。肝心の雨が降るとこれでは小さいし、電車やお店に寄った折に傘の畳み方や置き場所に困るなど中途半端で、精神的にもイライラし困りものである。あの頃、男の子は小型で黒いこうもり傘を差して通学したが、番傘、から傘と言われる油引きの紙の傘が一家に2、3本はあり、近くに出る時は子供も拝借して差して表に出た。紙の割に比較的重く子供にはキツイのだが、雨がものすごく傘に大きい音であたるのが痛快で力強く気持ちよく感じられた。傘骨が竹材なのも気に入っている。女性用に軽い蛇の目文様の傘もあった。浅草寺仲見世で蛇の目傘も購入できるらしいが、一本くらいは家に常備してあの懐かしい雨の音をもう一度楽しめれば、と思っている。しかし、番傘も傘の立て方が上下逆なので傘置き場では折畳と同様、困ってしまうのかも。

8 pages