dachsy[Wwgbvx dachsy[Wwx dachsy[Wwx dachsy[WwUx dachsy[Wwgbvx dachsy[WwvtB[x dachsy[Wwx dachsy[WwڋqΉx dachsy[WwdbΉx dachsy[Ww낢x

2018年10月31日水曜日 曇のち晴 PM9時07分投稿 

榛名神社と達磨寺

 草津リゾート3泊4日の最終日、いよいよ本日は帰ることになる。2日目の国道292号の通行止めショックで、行きたかった新潟県域や地獄谷野猿公苑、戸隠神社に行けなかったのは辛かったが昨日は訪ったことのない野反湖やチャツボミゴケ公園も感動的だった。夕食に飲み屋の2階で湯畑を眺めながら生搾りグレープフルーツハイなどを飲めたのも良かった。

双龍門など素晴らしいお社や建造物の美しさがあった

 今日は初日に行けなかった榛名神社、少林寺達磨寺、蒟蒻パークに寄りながら、午後5時過ぎには自宅に帰れた。高崎市の榛名神社に行ったことはなかったが今日のベスト訪問地であった。岩と紅葉と荘厳なお社と自然が大感動であった。榛名山には何度も来ているがこの神社詣ではなぜもっとはやく参拝できなかったのか?と吃驚であった。写真も沢山撮ってきた。

納めた達磨が社の裏まで

 次の安中市の少林寺達磨寺は名前だけに達磨のお寺さんであった。禅宗でも珍しい黄檗宗のお寺で、ご朱印も戴く前に「写経を強制された」。演説も長く、しかし相手はお寺さんなので反抗やイサカイはしなかったが、少し気持ち的には嫌な気持ちになった。
 最後の蒟蒻パークでは工場見学と蒟蒻料理を振舞われた。蒟蒻芋は5年に一度しか花が咲かないということも初めて学んだ。
 今朝の距離計は470㎞、帰宅時のそれは720㎞だったので、今回踏破距離は720㎞、本日走行は250㎞となった。富岡ICに入る前に念のため軽油20ℓを補給したが、だいたいこの車で満タンにすると、燃費19㎞/liter、700㎞は走れることが分かった。

2018年10月19日金曜日 曇り PM8時21分投稿 

滝と渓谷

 温泉は前日4時から翌朝9時30分まで入浴できるので朝早くから浸かってきた。前日の佐渡民宿は温度も高く音選でも無かったが、この宿の温泉は温くてユックリと暖まれる。最初は素泊まりでお願いしていたが昨夜朝食付きに変更してもらい、宿で和食膳を戴けた。

地震滝とも呼ばれている名瀑である 全員大感動

 朝から良い天気だ。8時過ぎには宿を出て、苗名の滝に向かう。ナビの操作ミスで若干ロスタイムが発生したものの、なんとか駐車場につけた。ここから500メートルほど橋や階段と徒歩で川沿いを進むと素晴らしい滝の音と美しい虹と勇壮な瀧姿が見に来た人を感動させていた。日本の瀧百選に選ばれているそうだが、瀧十選でも通用する立派な滝であった。天気も良かったので滝壺付近から虹を観れたのも嬉しかった。
 つぎに「いもり池」に行ったが、ここは紅葉にはまだ早く周囲500メートル程の散歩もしたくなくなるような物悲しさだった。さっさと次の目的地「妙高高原スカイケーブル」で往復チケットを購入し乗車。標高1300米までの11分の旅であったが高く登るにつれて下さい木々の緑が黄色や赤、紅色に変化してゆくのがみてとれた。上で紅葉や妙高の山並みなどを観ながら30分ばかり散策を愉しんだ。
 同行者お一人の希望もあり、妙高の紅葉温泉はこれで完結とし、最後に新潟県清津峡に脚を伸ばすことにした。途中、新潟県津南町の手打ち蕎麦屋『とみざわ』さんに寄ってへぎそばなどを食べた。やはり、本場の手打ちは旨い。ご飯も津南町の米らしく、とっても美味しかった。十日町の清津峡に着いた。トンネルを700メートルほど歩いてゆかなければならないが渓谷美と谷川の流れを4カ所開けたトンネルの向こう窓から眺められた。
 見学後は関越道塩尻石打インターから所沢インターに帰宅の途についた。途中埼玉県に入った頃から強い雨が降り出してきた。東所沢駅で降ろして貰った頃には殆ど空は小雨模様に変わっていた。運転手の友人Kさんにはいろいろ無理を言って4日間お世話になりました。
 午後7時前に自宅に無事着けた。

2018年7月19日木曜日 晴のち曇 PM8時03分投稿 

八坂神社

美味しい鰻を食べられました

 今週2度目の通院で早朝に行って10時半には検査診療は終了。この度の通院も来週木曜日が最後になる。dachs飼主のベッドでお隣のお二人に先日声をかけて、本日お茶を飲もうということになった。新宿曙橋駅近くでお茶を飲んだが、土曜の丑が明日なので、鰻を食べに行こうということになり、野田岩や宮川は敷居が高いので、神田の銘店「うな正」でうな丼ダブルを食べた。しつこくないたれで、焼きもソフトだったので、柔らかい鰻を味わうことができた。その後、近所のカラオケルームで2時間弱、歌ったり飲んだりしながら談笑した。今後もいろいろとメールなどで情報交換しようと約し、神田で別れた。

八坂神社ゆかりの新選組マーク

 治験友のおひとりが日野市在住の方で、dachs飼主の朱印集めを記憶されており、新選組ゆかりの八坂神社のお札やご朱印に加え、新選組の朱印帖も頂戴した。日野の新選組記念館は第一、三日曜日しか開館しないとのことでなかなか行けないと以前Dachs飼主が不満をこぼしていたことを覚えておいでであった。また武蔵五日市周辺の寺社や都内のお奨め寺社をメモしていただいたものも戴き、嬉しかった。大事にして、次回の寺社詣での参考にしたい。
 炎熱のアスファルトの道をdachs飼主だけは、京成上野駅まで歩いた。帰宅後はひとシャワーを浴びた後、午後3時からテニスにも参加した。先日ネット注文しておいたラケットが昨日到着したので、ガットの強さは弱めだったが、52の張りで2時間プレーしてみた。若干の違和感があったので明日にでも、57の張りを贔屓のスポーツ店で貼りなおしてもらう予定。今日も3万歩弱の運動ができた。

2018年6月11日月曜日 雨のち曇 PM8時05分投稿 

なぜ紫の夜明けに

長編小説だが、どんどん引き込まれ半日ほどで読了してしまった。

 終日あめ。当番にの月曜テニスに出たかったが、降雨キャンセルとなってしまった。お昼ジムに行ったくらいで、今日も自宅で相変わらず、パソコンやスマホに向っている。昨夜から吉村達也著「なぜ紫の夜明けに」を読み始めたが、面白かったのでお昼までに読み了えた。吉村氏は基本的に推理小説家だが、人間の心理を重視するストーリーを語るのが上手である。
 暇つぶしにゲームなどは基本的にはやらないが、先日知り合った友人(同じ会社だった先輩)から囲碁の初歩を教えて貰ってから、囲碁の上達ゲームを少しばかりやっている。難しい。
 暇なので少し瞑想しながら資金があったらやってみたい商売を考えてみた。先日高尾山薬王院で「賽銭の両替」で感動したこともある。
 会社に勤めていた時にあって欲しいと思った場所はレトルトカレー・インスタントラーメンの立喰い食事処、缶詰居酒屋。飲食ばかりにこだわるが、一膳めし屋もいい。おかんめし(おふくろの店)、郷土料理を手ごろな価格で出したいが、料理下手なので無理だった。

2017年12月31日日曜日 曇り PM12時27分投稿 

今年の愛犬暦

今年の一大事は「愛犬没っす」 でした

 今日ははや大晦日。振り返って昨夜遅くまで踏ん張って愛犬カレンダー2017年版をなんとか造り上げた。
 旅行は10回、運動もテニス192回、ジム通い256回をこなし、心身ともおかげさまで前年同様の成績で推移。
 しかし、1世代以上一緒に暮らしてきた母犬ラミエルと娘犬ウリエルが3月,11月と相次いで亡くしてしまいました。来年からは犬なしで戌年を迎えます。来年も愛犬のいない愛犬暦を造らねばなるまい。
 今日は、雨戸やガラスの清掃をツレアイから半ば強制的にお願いされているが、陽射しもなく寒いので今年は思い切ってパスとした。 そのかわり、家の中の掃除・磨き・移動・片付けなどやったが、寒くても動いていると小汗がでてくる。
 今夜も例年通り、近くの東祥寺さんで、ご祈祷を受け、晦日の鐘を撞いて新しい歳を迎える。

2017年12月24日日曜日 曇のち雨 PM7時13分投稿 

ぼちぼち年末

辺見庸の小説・評論など3冊を借りてきた

 朝一テニスで本年最後のテニスレッスンを受けた。半袖シャツでの出場も今日で終わりと決めた。体調はいつも通りで良かったが、1時間半のレッスンは結果的には自分のミスや相手の美技に阻まれて、本年最後のレッスン成果は、残念ながらあまり気持ち良いものとはならなかった。
 今日はクリスマスイブだが、10年以上、チキンもケーキも全く縁が無い。いよいよ2017年も終わりを迎える。
 先月のラミエルの死去に際し、可愛がっていただいたたくさんの人やお店・医院から花や心からのお見舞い激励メッセージを戴き、私たちは丁重なお礼をいうとともに、心ばかりのお返しを都度お渡ししていた。最後のお礼を本日果たさせて貰い、年内にウリラミの死に一通りの区切りをつけた。来年のお彼岸には二人をお墓に納骨する予定。
 愛犬を一年にあっという間もなく無くしてツレアイともどもショックだったが、来年からは老夫婦なりの新しい人生を始めることもできる筈。
 辺見庸の「1★9★3★7」を以前読んだことがある。南京大虐殺がメインの評論であるが、本日「こころの時代」で先日録画していた彼の話をじっくりと聴かせてもらうことが出来た。彼は戦時中のことは全く経験してないのだが、彼の父の話を聞いていろいろと調査し、彼なりの評価を纏めたものと思えるが、なかなかのものであった。こころの時代は毎日曜日朝5時からの1時間番組だが、そのあとの短歌俳句の時間と合わせて、いろいろ勉強にさせて貰っている

2017年12月3日日曜日 晴のち曇 PM4時24分投稿 

ラミのカレンダー作成

残念ながら、2か月続きのラミエル特集となってしまった

 風が強く、肌寒い感じがしたが朝8時からのテニスレッスンとスポーツジムを終え、遅れていた愛犬カレンダーの作成に取りかかった。10月の愛犬暦には16歳8か月になっても元気に活きているとラミエル特集をしたばかりなのに、11月にははや天国に逝ってしまった。元気に活きているとは言っても、3月下旬のウリエル没以前に、眼は白内障であまり見えず、後ろ脚もかなり弱っていた。それでも脚を引きずりながらでも、歩きたがり、散歩したり、公園に行きたそうにしていた。食欲もあり、頑張って生きていた。ところが、夏過ぎになると、大小が思うようにいかず、ペットシーツ上ではなく、ところかまわず、垂れ流し始めた。ファブリーズや絨毯洗剤も1日数回追い立てられるように使い、週に一回は絨毯をツレアイが洗ってた。
 11月半ばから食欲も失せ、過去好きだった食べ物も食べる気力も失せて、全く食べなくなって1週間、水も飲まなくなって3日でついに没した。
 お昼ご飯を食べて2001年から今日まで2000枚弱のラミウリ写真を一枚一枚観て、うち12枚をセレクトした。誕生して初めて家に来たときから、ウリエルをはじめ3匹を産んだ頃など12枚を2017年11月ラミエル没カレンダーとして2017愛犬暦にアップしておいた。
 ラミエルウリエルが今年2匹とも失い、我がペンネームは意味が無いが、2002年から使い続けているdachs飼主ゆえ、このまま使い続けることにする。

2017年11月30日木曜日 曇り PM10時36分投稿 

近隣から弔問

今年1年で2匹ともいなくなってしまった

 朝から曇天。午後からは雨が降り始め、寒くなってきた。午後のテニスも雨天中止になった。午後2時に近所の犬仲間数人がラミエルの弔問に来られた。たくさんの花が飾られ、ラミウリとも嬉しいだろうと思う。

 昨日は、モンゴル料理の店から「11月から1月がモンゴルは一番寒い -30℃くらいになる」「被害を受けたという某力士は性格や態度にすこしばかり難がある」「升席は時価で相撲関係者から買える」などなどいろいろな興味深い話が聴けた。
 宴会の前に飯田橋から市谷までにある東京大神宮と靖国神社ではご朱印を戴いたが、大神宮は東京の伊勢神宮と言われて参拝客が平日でも多い。靖国神社は軍神や戦死者を祀る神社であり、記憶に深く残る社であった。

2017年11月28日火曜日 曇り PM6時11分投稿 

年賀書かない

これからはペットなしでより穏やかな生活となる

 ラミエルの死が近所の人にだいぶ広まり、明後日、近隣の犬仲間が我が家に弔問に来てくれるとのこと。お世話になっていたペットドクターやドッグサロンから花束やメッセージが届いた。さっそくラミエルウリエルの遺骨の傍に飾らせて貰う。
 来年の年賀状は親戚以外こちらからは出さないことに決めた。もともと、dachs飼主も古希を迎えたので、それほど賀状付き合いも必要ないのではないかと思っていた、さらに今年は、ウリラミの死去があったので、友人たちには賀状に愛犬二匹の死を書かねばならぬ。しかし、受け取った人はどう思うだろうか、とおもうと書けない。ペットの死は本人にとっては凄く大きな出来事ですが、他人にとっては「そうなんだ。残念だったね」程度の話。 それでも知らされたら、何らかの気遣いを見せないとならないので多分困るのだろうな。しかし、年賀は頂戴した友人には必ず返信はしたいと思っている。むろん、ペットの死は礼儀として、正月早々書かない。

2017年11月25日土曜日 曇のち晴 PM7時02分投稿 

ペットよ、さらば

 昨日は午後3時から愛犬ラミエルの火葬に家族が立ち合い、読経の後、火葬約40分、その後お骨拾いをして小さな骨壺に全部の遺骨を納め、帰ってきた。

ラミちゃん、お疲れさまでした

 我が家に入居したのは1985年(昭和60年)。最初の愛犬シェトランド・シープドッグのチャッピーが入居してきたのは、1986年9月21日。亡くなったのは2001年1月3日。その後、2001年4月27日にラミエルが入居、ラミエルが自宅でウリエルを産んだのは2003年10月17日。ウリエルと一緒に産まれた兄弟は雄が東村山、雌は神戸でいまも元気に暮らしている。ウリエルが平成29年3月25日、ラミエルが昨日11月24日に続けて無くなり、同じ場所で火葬して貰った。埋葬はチャッピーだけだが、来春彼岸には埋葬してもらう予定にしてる。ラミエルとウリエルの遺骨は2年前に91歳で大往生した義母愛子さんの写真とともに我が家においてある。
 今日は死後2日目だが多分ペットロス症候群は顕われないと思う。これから、15年以上、可愛い愛犬から一生を共にする自信は我が夫婦ともに無い。散歩やその他もろもろの介護は80歳を過ぎてからやることではないので、これからは夫婦だけ友白髪で過ごしてゆきたい。
  グッバイ ペット各位 もう飼われない ゴメン

43 pages