泉岳寺と新百合ヶ丘を歩く
平成19年8月15日(土)、泉岳寺を訪れたあと、懐かしの地新百合ヶ丘を巡りました。
泉岳寺と新百合が丘
平成19年8月15日(土)。
8月に入って、義母愛子さんがもうすぐお盆なのでお父さんの墓参りがしたいと連日のように言うので、今朝羽田空港まで見送った。86歳なので登場ゲートまでは「保安検査場通過証」を発行してもらった。これがあると、搭乗券が無くても登場ゲートまで老人を見送りに付き添いができるのだ。元気な顔の愛子さんを見送れた。大阪伊丹空港では義姉ミヤコさんが迎えにきてくれる筈だ。
愛子さんと別れたあと、品川に戻りその後泉岳寺を参拝に行った。暑いのに四十七士に線香をあげに来ている人も結構多かった。境内はそこそこ広く威厳を感じさせたが、墓所は思いのほか窮屈で狭い感じを受けた。シーズン(?)の12月はこの墓所には墓参する人がぎっしり詰まるのだろう。
会社の友達に上げようと「大石蔵之助キューピー」を土産に買ってきた。80歳を越えているかと思われる店のおばぁさんが「大林素子さんのブログで有名になった」と言うのにチト感動して求めてきてしまった。バレーの大林素子さんというと、「いまがんばろう」という言葉でとても記憶に残っている。
せっかく都内に出てきたのでと、30年前に賃借していた文化住宅を見に行こうと連れ合いと新宿経由で新百合丘に向かった。
その前に小田急新百合ヶ丘駅前で昼食にお好み焼きを食べた。自分で鉄板で焼くのだが、ここのは大阪風と違い、ちょっと変わっている。具を混ぜ直径16センチに拡げた後、備え付けのガラス蓋をかぶせ、表4分、裏4分を焼くシステム。砂時計もついていた。
30年前に住んでいた地名は川崎市上麻生1984なのだったが、歩いて見ると上麻生*丁目#ー&などと地名表示がすっかり変わってしまっている。
区役所は今日は土曜日なので閉まっている。しかたなく、図書館まで行って、昭和52年頃の川崎生区の住宅地図を郷土資料室の倉庫から閲覧用に調べて貰い、出して貰った。ちょっとした私立探偵浅見光彦気分だった
30年経つと、駅までの道にあった「協和銀行のグラウンド」も「野球場」も「調整池」も今は全部無くなっている。最新版の住宅地図もお借りしたが、市の幹線道路も紆余曲折し、30年前の面影はまったく無い。図書館で両年代の地図を同一縮尺でコピーし、1時間あまりも探した末に、それらしき地域に立っているマンションを見つけた。近所には近代的な音楽大学もそびえている。
前に住んでいたトコロは「ハイツグリーンヒル」だったが今は完璧に立て替えられ名前は「グリーンピア」。多分これだろう、と安心して帰路についた。
泉岳寺新百合ヶ丘 26枚
ぼろぼろ写真のなかから26枚だけ泉岳寺新百合ヶ丘2009として収録したので、ちょっとだけ見てください。スライドショー観覧することも出来ます。
これを発行して見るとチケットなしで 見送りできる |
萬松山泉岳寺 |
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境内はそこそこの広さだが・・・ |
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47士墓所は狭い |
線香をたむける人が多い |
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大石QP |
新百合ヶ丘駅前にて |
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昼ごはんはお好み焼き |
川崎市マンホール1 |
同2 |
同3 |
ここが30年前住んでいた筈 の土地 |
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グラウンドが音大が変わった |
駅でアイスクリームを食べた |