午後さいたま市を巡礼歩行

 2018年08月09日(木)、お昼頃から大宮に出かけ、氷川神社とその兄弟寺社と武蔵浦和の調神社に参拝してきた。3万歩21Kmを歩き続けた。

さいたま市寺社ウォーク

神社仏閣のご朱印帖と歩んだ経路
表の構成 矢印クリックで説明表示

3枚が戴いたご朱印
と本日の寺社散策経路 クリックで拡大

 昨日から台風13号が房総半島沖から上陸を危ぶんでいたが、おかげさまで朝10時過ぎに銚子沖から茨城三陸海岸沖に抜けてくれた。
 今日は4年前の仲間4人と久しぶりの飲み会。武蔵浦和で午後5時開始で行われる予定なのだが、ツレアイに奨められて浦和近辺の寺社巡りをしようと決めた。
 午前中に出かけ、12時に大宮に到着。ここから、一之宮氷川神社、中氷川神社、氷川女体神社を巡って東浦和駅まで歩こうと計画した。
 まずは、駅前大通を少し歩くと大きな交番があり、そこから右手に立派で荘厳な神社に向かう参道が連なっている。露店も何もない広くて緑濃い道だった。旧大宮市と名付けられたのはこの氷川神社に由来するという。
 ここから中氷川神社、氷川女體神社に続く道は田舎道でかなり長かった。大きな公園や桜並木があったが、今はもちろん咲いてない。中山神社には神職の方は不在でご朱印は頂戴出来なかった。本殿前にご朱印箱があったが、残念ながら空で貰えなかった。平成13年に浦和市・大宮市・与野市、またその後岩槻市が合併して大さいたま市130万人の人口になったのだが、旧大宮・旧浦和市のマンホールが沢山あった。
 氷川女體神社では、留守居のお爺さんにご朱印を書いていただけた。近くの見沼氷川公園には「山田の中の一本足のかかし」を作詞した歌詞碑と山田の案山子像があった。
 東浦和の手前で漸く飯屋を発見し、3時半を回っていたが、吉野家で丼で小腹を満たした。
 その後電車で東浦和駅から2駅先の武蔵浦和駅に到着。時刻はまだ午後4時。集合時刻までまだ1時間もあるので、そこから徒歩20分の調神社に参拝。つきじんじゃが正式名称だが地元の人は「つきのみやさん」とよばれているらしい。狛犬ではなく狛兎がいたり、鳥居が無かったりほかにもいろいろと伝説があるらしい。
 武蔵浦和に戻って午後4時45分。駅前の塚田農場で4人で歓談。南九州産の鳥や野菜、焼酎などが旨かった。今日歩いた距離は30139歩、歩いた距離にしてほぼ21Kmを超えた。

見どころガイド

氷川神社

 氷川神社(ひかわじんじゃ)は、埼玉県さいたま市大宮区高鼻町にある神社。東京都・埼玉県近辺に約200社ある氷川神社の総本社である。他の氷川神社と区別する際は「大宮氷川神社」とも呼ばれる。大宮の氷川神社・中川の中氷川神社(現 中山神社)・三室の氷川女体神社は一直線に並んでいる。

中山神社

 中山神社(なかやまじんじゃ)は、埼玉県さいたま市見沼区中川にある神社。当社は氷川神社と氷川女体神社の直線上にあり、広大な見沼を挟んでちょうど中間に位置する。

氷川女体神社

 氷川女体神社(ひかわにょたいじんじゃ)は、埼玉県さいたま市緑区にある神社。登記上の宗教法人名称は旧字体の氷川女體神社である。

調神社

 調神社(つきじんじゃ) は、埼玉県さいたま市浦和区岸町にある神社。別称は「調宮(つきのみや)」。社名の「ツキ」により月待信仰が古くからあり、狛犬ではなく狛ウサギがある神社として知られる。

さいたま寺社巡りアルバム37枚

 スライドショーでも見られるさいたま寺社巡りミニアルバムを37枚用意しています。


大宮駅を12:05
散策開始

右に氷川神社の御柱

長い立派な参道
が続く

一の鳥居に到着

200余の氷川神社
を束ねる

奥が本殿

旧大宮市の蓋
盆栽を表現

合併記念になった
見沼公園

中氷川神社入口

氷川神社

どなたも居られず
御朱印は無し

柴川中流からみた
大宮高層ビル群

旧浦和市の蓋

さいたま市のマンホ
ケヤキやサクラソウを表現

さいたま市の蓋

氷川女體神社

これだけ歩いた

見沼氷川公園に碑

武笠三が作詞

午後3時半に
遅い昼食
冷しゃぶ牛カルビ丼

旧浦和市の
カラー蓋

東浦和に4時前に到着

武蔵浦和から調神社まで
歩いた

地元ではつきのかみ神社

狛犬ではなく狛兎でした

蚊も蝿もいないなど
いろいろな伝説あり

午後5時から旧友と
飲み会

胡瓜株パプリカなど
の生お通し

小牧は芋焼酎

宮崎の佐土原産のなす

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