dachs飼主の東祥寺檀参新潟旅
平成25年10月8日(火)〜10日(木)に東祥寺さんで坐禅会の皆さんと檀家の有志ご参加合計16名で東祥寺檀参研修旅行に行ってきました。
過去の東祥寺檀参旅
- 平成21年10月22日〜23日 神奈川 総持寺、最乗寺
- 平成22年10月12日〜13日 福島 龍門寺、恵日寺
- 平成24年10月09日〜11日 福井 永平寺、延暦寺、建仁寺、誕生寺
ツアー記録
はじめに
平成24年度東祥寺檀家様研修旅行として坐禅会仲間も参加して、良寛禅師ゆかりの地を訪れ、新潟県内を参拝してきました。
良寛禅師の足跡
旅の前に、良寛禅師の足跡を簡単に追ってみる。
誕生
良寛は、宝暦8年〔1758年〕10月2日越後国出雲崎(現・新潟県三島郡出雲崎町)に生まれた。
出家
父、山本左門泰雄はこの地区の名主・橘屋であり、父の後を継ぐ名主見習いを初めて2年目の18歳の時、突如出家し、子供の頃に勉学を積んだ曹洞宗光照寺にて修行をする。
得度
安永8年(1779年)22歳の時、良寛は玉島(岡山県倉敷市)の円通寺の国仙和尚を"生涯の師"と定め、師事する。
円通寺の格式は高く、その入門には厳しい戒律を通過しなければならなかかった。そして経を学ぶことより、勤労に励むことを第一としていた。「一日作らざる者は、一日食わず」国仙和尚は日を変え言葉を変えて良寛に説いた。円通寺での修行は12年を重ねた。
諸国めぐり
寛政2年(1790年)印加(修行を終えた者が一人前の僧としての証明)を賜る。翌年、良寛34歳の時「好きなように旅をするが良い」と言い残し世を去った国仙和尚の言葉を受け、諸国を巡り始めた。
悟り
48歳の時、越後国蒲原郡国上村(現燕市)国上山(くがみやま)国上寺(こくじょうじ)の五合庵(一日五合の米があれば良い、と農家から貰い受けたことからこの名が付けられた)にて書を学ぶ。
五合庵の良寛は何事にもとらわれず、何者にも煩わせることもない、といった生活だった。筍が顔を覗かせれば居間を譲り、子供にせがまれれば、日が落ちるまで鞠付きに興じるのだった。
五合庵での階段の昇り降りが辛くなり、61歳の時、乙子神社境内の草庵に居を構えた。円熟期に達した良寛の書はこの時に生まれている。70歳の時、島崎村(現長岡市)の木村元右衛門邸内にそれぞれ住んだ。無欲恬淡な性格で、生涯寺を持たず、諸民に信頼され、良く教化に努めた。
入滅
天保2年(1831年)1月6日74歳で入滅。
旅の予定
10月08日
(火曜日)
自宅(04:00)ー>バス乗車(04:30)ー>東祥寺(05:00)
ー>西福寺(09:30)ー>永林寺(11:00)ー>長岡で昼食(13:00)
ー>酒造資料館(14:45)ー>蓬平温泉和泉屋(16:00)宿泊
10月09日
(水曜日)
ホテル(09:00)ー>光照寺(10:00)ー>良寛記念堂など(10:30)
ー> 昼食は寺泊 (12:00) ー>北方文化博物館 (15:15)
ー> 新発田月岡温泉泉慶(17:00)宿泊
10月10日
(木曜日)
ホテル(09:00)ー>新潟ふるさと村(09:50)
ー> 昼食小千谷わたや(12:00)
ー> 東祥寺着(19:00)