dachs飼主の東祥寺檀参永平寺旅
平成24年10月9日(火)〜11日(木)に東祥寺さんで坐禅会の皆さんと檀家の有志ご参加合計23名で東祥寺檀参研修旅行に行ってきました。dachs飼主は3日お昼に中途脱出させていただき、明石に墓参りに寄ってから帰りました。
ツアー記録
はじめに
平成24年度東祥寺檀家様研修旅行として坐禅会仲間も参加して、道元禅師ゆかりの地を訪れ、参拝してきました。
道元禅師の足跡
比叡山延暦寺横川地区参道の掲示より、道元禅師の足跡を簡単に追ってみる。
ご誕生
道元禅師様は、正治2年(1200年)1月26日(旧暦1月2日)、久我通親(こがみちちか)公をお父様に、藤原其房(ふじわらもとふさ)公の娘をお母様として、京都の地にご誕生になられました。
*3日目訪問の誕生寺
出家
道元禅師様は、3歳のときにお父さまを8歳のときにお母さまを亡くされ、深く世の無常を感じられ出家の志をおこされました。
得度
出家を志された道元禅師様は14歳の4月9日、横川般若谷千光坊に入り、天台座主(てんだいざす)70世公円(こうえん)僧正様について得度されました。現在横川の元三(がんざん)大師堂近くに、得度慰霊碑が建立されています。
*2日目訪問の比叡山延暦寺
禅の教えを求めて中国へ
比叡山での勉学を終えられた道元禅師様は、貞応(じょうおう)2年(1223年)正しい仏道を求めて宋(現在の中国)へ渡られ、寧波の港で阿育王山(あいくおうざん)の転座(てんざ 修行僧の食事を司る役)和尚と出会い、禅の修行姿勢を学ばれました。
悟り
道元禅師様は、宋の各地を歴訪され、ついに現在の天童山景徳寺(てんどうざんけいとくじ)で、如浄(にょじょう)禅師様と出会われ、厳しい参禅修行ののちお悟りを開かれました。
禅の教えの開示
宋から帰国された道元禅師様は、京都建仁寺で過ごされ、正しい坐禅を勧める書として『普勧坐禅儀』を著されました。その後、深草の安養院(あんよういん 現在の欣浄寺 ごんじょうじ)に移られ、生涯の大著『正法眼蔵(しょうほうげんぞう)』の撰述を始められます。
*2日目訪問の建仁寺
初開道場・興聖寺の開創
道元禅師様のもとに集まる求道の人々は日増しに多くなり、坐禅修行のための道場が求められ、観音導利院興聖宝林寺(かんのんどうりいんこうしょうほうりんじ 現在の興聖寺)が、わが国最初の坐禅道場(僧堂)として開創されました。天福元年(1234年)のことでした。
永平寺の建立
新らしい禅仏教の興隆のため、道元禅師様は如浄禅師様のみ教えにしたがって、新天地を求めて深山幽谷の地・越前に移られました。そして、寛元2年(1244年)大仏寺(現在の大本山永平寺)を建立されました。
*初日訪問の永平寺
木の芽峠の別れ
永平寺に移られて10年目の建長4年(1252年)の夏頃から健康をそこねられた道元禅師様は、翌春永平寺をお弟子の懐奘(えじょう)和尚様に譲られ、療養のために上洛されることになります。義介(ぎかい)和尚様とは旅の途中の木の芽峠でお別れになりました。
入滅
上洛された道元禅師様は、西洞院高辻の俗弟子・覚念(かくねん)の屋敷で、手厚い看護を受けられましたが、薬石効なく、建長5年(1253年)9月29日(旧暦8月28日)にお亡くなりになりました。
旅の予定
10月09日
(火曜日)
自宅(04:00)ー>バス乗車(04:30)ー>東祥寺(05:00)
ー> 新東名高速道利用で永平寺へ >永平寺(15:00)宿泊
10月10日
(水曜日)
永平寺(08:30)ー>延暦寺参拝と昼食(11:45〜15:15)
ー> 建仁寺 (16:15〜17:00) ー>京都国際ホテル(17:30)
ー> 懇親会(ハトヤ瑞鳳閣)
10月11日
(木曜日)
ホテル(08:00)ー>誕生寺参拝(08:45〜09:45)
ー> 月桂冠大倉記念館 (10:00〜10:45) ー>昼食愛知県岡崎いちかわ(13:30〜14:45)
ー> 東祥寺着(21:00)